あなた方みんなの中で、いちばん小さい者こそ、大きいのである。 (マタイ福音書9の48より) |
・2015年11月 第 657号 内容・もくじ
思いがけないこと | 見よ、私は万物を新しく | 弱きを顧みる者の祝福―詩 篇41― |
導きの神 | 生きている神様に導かれて(無教会全国集会での証し) 中川陽子 | ことば |
お知らせ |
この世は思いがけないことで満ちている。
国内外で起きる突然の事故、病気の宣告、災害、身近なところでの親しかった人の心の変質…等々。つい数カ月前までは思いもよらなかったような苦難がふりかかってくることもある。
他方では、予想しなかった良きことも与えられる。思いがけない善き人との出会い、治らないと思っていた、あるいはもうあまり命がないと思われていた病気がいやされる、キリスト教に関心なかった人が、意外なきっかけからキリストを信じるようになったこと、あるいはずっと途絶えていた友との関わりがもう回復しないだろうと思われていたにもかかわらず、予想していなかったことからよい関係が回復すること、生活のなかで、重く暗い気持ち、あるいは悲しみにうちひしがれているとき、思いがけない人からの電話や音信によってさわやかな風が心を吹き抜ける―等々、さまざまの思いがけないよきことが生じることもある。
聖書においても、悪しきこと、苦しいことが突然生じることも記されている一方で、本当によきことが思いがけなく与えられるということも記されている。
キリストの弟子たち―ペテロやヨハネ、ヤコブなども漁師であってその仕事中に、思いがけなくイエスがとおりかかり、私に従え、と呼びかけられた。その短い呼びかけが生涯を変革するものとなり、また彼らのはたらきは、キリスト教が世界に伝わっていくための重要な基礎となった。
キリスト教迫害をしていたパウロは、突然に天よりの光が射してきて、それまでのまちがいをはっきりと知らされ、新たな人と作り変えられ、福音伝道に生涯をかける人物となって、その書いたものが聖書として世界中にて読まれるようになった。
さらに、旧約聖書、新約聖書ともに記されている重要なこと―それは突然にして、世の終わりが来ることである。
世の終わり、それは、悔い改めずに、真実や愛に反することを意図的に犯し続ける者にとっては裁きの日であり、罪を知ってその赦しを得ようと主を仰ぎ続けているものにとっては、究極的な救いの日である。
ここにも、裁きを受け、苦しみを受けるということと、逆に生涯で最もよきこと、復活してキリストのような栄光に輝く者と変えられることも突然に起こると記されている。
このように、私たちの心の中、そして身近な生活からさらに日本や世界に生じる大きな出来事は、みな人間が予想できないかたちで突然に生じる。
さらには、この世界、宇宙そのものが新しい天と地に変えられるという私たちの想像をはるかに超えた出来事もまた、突然にして生じるといわれている
それゆえに、主イエスは「目を覚ましていなさい」と繰り返し言われた。
…その日、そのときは誰も知らない。…父(神)だけが御存じである。気をつけて目を覚ましていなさい。
…いつ主人(神)が帰ってくるのかあなた方には分からないからである。主人が突然帰って来て、あなた方が眠っているのを見つけるかもしれない。
あなた方に言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。(マルコ福音書13の32〜36より)
このようにさまざまの善きこと、悪しきことも突然に生じる―これはいかなる人間もこの世界を支配することはできないということを神が示そうとされているのを思わせる。
人間をはるかに超えた存在である神が御支配なさっているゆえに、私たちから見るとき突然に生じた、というように思えるのである。
この闇と混沌、空虚や荒廃のある世にあって、私たちの最終的希望もまた、その神の突然に起こす力にある。
どんなに腐敗や混乱があっても、全能の神ゆえにそうしたことにかかわらず、世の終わりと称されるときには、突然にそのような事態が変えられる―それが聖書が繰り返し私たちに語りかけているメッセージである。
この世界は混沌としている。混沌とは、辞書によれば「入りまじって区別がつかず、はっきりしないさま」と説明されている。
「勝敗の行方は混沌としている」 「敗戦直後はすべてが混沌の中にあった」」
日本の行方はたしかにどうなるのか誰もわからない。
日本だけでなくこの世はどこに向っていくのかわからない。
聖書の最初に記されていることは、混沌である。
…初めに神は天地を創造された。
地は混沌であって闇が深淵の面にあった。(創世記1の1〜2より)
現代の私たちが直面している混沌をもすでにはるかな昔から洞察していたのがうかがえる表現である。
創世記で最初に記されている状況は、区別がつかないとか、はっきりしないといった状況はもちろんのことであるが、それとはややニュアンスの異なる意味を原語は持っている。そのことは、ほかの日本語訳聖書や英訳などを参照するとわかる。
新共同訳では、「混沌としていた」という箇所は他の日本語訳では、次のように訳されている。
・地は茫漠として何もなかった…(新改訳)
・地は形なく、むなしく…(口語訳)
双方とも、混乱して方向性がないと状態であるというより、空しい、形がない、といったニュアンスで訳されている。英訳なども、いずれも形がない、空虚であるという訳語が用いられている。(*)
それは方向性がわからない、というのとはやや異なるニュアンスを持っている。
(*)英訳の一部から。
・without form,
and void (KJG)
・formless and
empty, (NIV)
・ formless
void, (NJB)
・waste and void (YLT) →void とは、空虚、空しい などの意。
この混沌と訳された言葉の原語の意味(*)は、空虚、何もない、茫漠としている(内容がはっきりしない)である。
この原意から見るとき、いっそう神からの風と光の重要性が浮かび上がってくる。
そうした空虚、混乱、荒涼としたという状況を、根本的に新しくするために神は光を創造された。そして同時にそこには神の風が吹いていた。
海や陸地あるいは太陽、生物、天体などを創造するよりまえに、空虚で荒涼としているところに神の光を与えた。
それは空しさや荒れ果てた状況を根本的に新しくするのは、何よりも神の光であり、神の霊(風)ということを示している。
(*)ここで混沌と訳されている原語は、トーフーとボーフー
という二語から成っている。
旧約聖書においては、トーフーは20回使われ、ボーフーは3回しか使われていない。
トーフーは次のように用いられている。
・不毛の地(荒涼の地)申命記32の10
・空しい、useless ―Tサムエル記12の21
・荒れ地(ヨブ記6の18)
次にボーフーは、旧約聖書では3回だけ用いられ、創世記、イザヤ書、エレミヤ書に各一回ずつである。
・…私が地を見ると、 見よ、茫漠として何もなく、 天を見ると、その光はなかった。
(エレミヤ書4の23) 「茫漠として」の原語は、トーフー であり、「
何もない」は ボーフー という語であり、ここは、創世記の最初の箇所と同じでこの二語が重ねられている。
それゆえに、新たに生まれ変わる、聖霊によって新しく生まれることの重要性を説いているヨハネによる福音書もその最初に、この命の光を指し示しているのである。
…言(ことば―キリストを意味する)の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。(ヨハネ1の4)
…あなた方に真理を告げる。人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。…
霊から生まれるものは霊である。あなた方は新たに生まれなければならない、と言ったことに驚いてはいけない。 (ヨハネ3の6より)
パウロもつぎのように書いている。
…だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。(Uコリント4の16)
パウロ自身、キリスト者をきびしく迫害し、捕らえ、国外にまで追跡し、さらには殺すことまでしていたほどに、彼の心は、キリストの真理に関しては無であり、荒れていた。その混沌としていた彼の魂の世界を根本的に新しくしたのは、キリストの光であった。
万物を新しくする―このことは、はるか後のいつかわからないこの世の終わりのことだ、しかもそれはそんなことが実際にあるのかどうか―と疑う人も多い。
しかし、私たち一人一人の魂のなかに、根本的に新しいものを創造してくださるのが神であり、キリストであり、その光であり、そのみ言葉である。
そのことを少しでもじっさいに体験してきた者は、その神の力の大いなることを深く知らされるがゆえに、万物を新しくする神の力をも信じることができるように導かれる。
使徒たちも、復活したキリスト、聖霊を受けて初めて根本的に新しくされた。それまでは三年間あらゆる奇跡やキリストの行動、その教えを聞いていてもなお、自分が上に立ちたいといった欲望をおさえきれず、また十字架でイエスが死ぬなどあってはならないと、イエスの発言を叱責するなどしたほどだった。
…割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。(ガラテヤ 6の15)
…だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。(Uコリント
5の17)
聖書という二千ページを超える膨大な内容をもった書物の最初に、混沌、空虚、荒廃が記され、それを打ち破るものとしての神からの風(神の霊)、光が記されている。
そしてその聖書の最後に置かれた黙示録にも、その神の霊と命、光そのものであるキリストが再び来られて、新しい天と地という、完全な世界への変革を待ち望む祈りで終えられている。
万物を創造した神であるからこそ、神の御計画のとき―その日、主の日―が至るときには、現状がいかに混乱し、どうにもならない状況であろうとも、その万物をまた新たにされるということを信じることができる。
それは、私たちもまた心においても体においても弱く、衰えていき、ついには滅びてしまうものにすぎないにもかかわらず、そのような者をも神の全能の力によって復活させていただき、キリストの栄光のからだへと変えてくださる―という驚くべき約束が与えられているのと同様である。
いかに幸いなことか
弱いものに思いやりのある人は。
災いのふりかかるとき
主はその人を逃れさせてくださる。
主は、その人を守って命を得させ
この地で幸せにしてくださる。
あなたは、そのような人を、敵に引き渡されない。
主は、その人が病の床にあるとき、支え
病気のときには、そのすべての病をいやしてくださる。(1〜3節)
詩篇41編は第一巻の終わりの詩。第二巻の終わりは72編、また第三巻の終わりは89編で、すべて最後に「主をたたえよ」という祈りで終わっている。このように区切りごとに祈りが書かれてある。
このような構成からも、主への感謝、賛美ということの重要性を知らされる。
わたしたちも何かの区切りごとに、何かができてもできなかったときでも、また良くても悪くても、絶えず神様を賛美する、いつも喜び、感謝するということへと導かれている。
私たちにとってのごく身近な区切り、それは一日の初めと終りとである。その区切りのときに、私たちも新たな一日の祝福を祈り、主が守っていて下さることを感謝し、また一日の終りには、一日の守りと恵み、そばにいてくださったことを感謝し、神のわざを賛美して眠りにつくことができたらと願う。
この詩篇の最初の部分を、口語訳では「貧しい者をかえりみる人は幸いだ」と訳している。原文では「アシュレー」という言葉からはじまっている。
このアシュレーとは、「いかに幸いなことか、何と祝福されていることか!
」といった意味であり、間投詞なのであり、強調された表現となっている。
詩篇1編も同じ「アシュレー」で始まっている。ということは、詩篇全体が、神による祝福、幸いを主題としているのだ、ということが暗示されているのである。
本当の幸いはここにあるのだ、どんなに人がそのことを受け入れなくとも、ここにこそ真の幸いがあるのだと、あふれる気持ちを言いたいから、ほかの詩には見られない形で始まっている。
このように何から始まるか。何を区切りにおくかということの重要性をこうした詩篇の構成からも考えさせられる。
「アシュレー」というヘブル語は詩篇で28回ほど出てくる。
第1編での幸いの本質は、主の教え(*)、すなわち神の言葉を愛し、喜ぶ人で、そんな人はいつも神の言葉が心にある。これがあらゆる幸いの根源にあるとはじめに言っている。
これは主イエスが言われた一番大事なことと通じていて、神を愛することである。それさえあれば潤ってくる。これが詩篇全体のタイトルになっている。本当に喜ぶものを知らなかったら、他のものを愛してしまう。
(*)主の教えと訳された原語は、トーラーであって、この箇所のように、「教え」と訳されることもあるが、詩篇119の70節のように、「律法」と訳されることも多い。それゆえに、それらを別の意味だとして受け取るのは不適切であり、統一的に「神の言葉」として受け取ることが大切である。日本語への訳語からだけ見ると、教えと律法とは、相当異なるニュアンスがあるが、実は原語は同じなのである。訳者の聖書の解釈や日本語に関する感覚や理解によってこのように訳語が異なってくる。
この詩篇では、まず、弱き者(貧しき者)を顧みる人への祝福が言われている。後に主イエスが山上の垂訓で言われた「憐れみ深い人は幸いである。その人は憐れみを受ける」という言葉を思い起こさせる。
みんなが無視するもの―小さきもの、弱っている者をかえりみるところに、祝福が注がれる。
私は信仰が与えられ、キリストが私のうちに来てくださってからは、一般社会で無視されてるようなもの、小さきものへの関心が自然に生まれてきた。それゆえに、高校教員となってみ言葉を伝えようという思いが起こされたのちに、高校では一般的には顧みてこられなかったといえる夜間の定時制高校に勤めたいという気持ちが自然に生まれてきた。
私は高校は、県下全域から集まる徹底した進学校に学んだが、その高校のすぐそばにある盲学校のことは、その進学校ではただの一度もその盲学校のことを話す先生方はいなかった。
また盲学校という制度ができていなかった時代は、生まれつきの全盲の人は家族からさえ疎んじられることがあり、周囲の世間の目をおそれて、特定の部屋に閉じ込められて長年過ごす、という非人間的なことさえ、一部では行なわれていた。
主イエスは、こうした世間の目に隠れた弱いもの、苦しむ者たちに、手を差し伸べられ、祝福を与えられるお方である。
私たちも、第1編にあったように、いつも神の言葉を愛して心に思っているなら、神の言葉とは神ご自身のお心から出たものであるゆえ、そして、神は弱いものを思いやるお方だから、そのような方向へと導かれる。
主は病気のときには、そのすべての病をいやしてくださる。―これは、新共同訳では、「主は、病の床にあるとき、立ち直らせてください。」(4節)と訳され、祈願文として訳されている。しかし、他の訳では、「病をことごとく癒される」(口語訳)と、神への確信として訳され、また、英訳でも、「病気のときには、あなた(主)は、すべての弱さを癒される。」
・in their
illness you heal all their infirmities.(NRS)などのように、やはり神のわざへの確信として訳されているのが大部分である。(*)
(*) 詩篇ではこの詩にかぎらず、確信として訳されている箇所が、新共同訳では、祈願文として訳されているところがしばしばある。例えば、3節、4節のように「〜してください」と祈り願う訳とされているのと、「〜してくださる、してくださった」という事実または確信を言っている訳とにわかれている。
詩篇を読むときには、この点に注意して読む必要がある。どうしてこのように訳が分かれるのかというと、ヘブライ語では、一般的には、まだ起こっていないこと、祈願や命令など、また繰り返し起こることには未完了形を使うが、未来のことでも確実なこと、強調されるときには、完了形を使うことがあり、現代語のように、未来のことは未来形、過去のことは過去形、いま終わったばかりとかその結果が持続しているときには、現在完了形、祈願のことは祈願文―等々のようにはっきりと分けられていない。そのため、日本語に訳するときに、それを訳する人によって変わってくる。
この箇所を、「〜してください」と祈願として訳しているのは少数で、多くの外国語訳は「〜くださる」と訳して神の救いへの確信をあらわす表現となっている。2節で確信を言っているので、3,4節もそのように受けとることができる。
これが貧しい者に配慮する人の受ける具体的な幸いで、その人が病の床にあっても立ち直らせてくださるという祝福が記されている。。
主よ憐れんでください―自分の罪の赦しを願う
2〜4節では一般的なことが書かれていたが、5節からは主語が一人称になって個人的な体験を言っている。
…主よ、憐れんでください。
あなたに罪を犯した私をいやしてください。
「主よ憐れんでください」という切実な叫び、祈りは、詩篇や福音書など多くの箇所で見られる。
ヘブル語の原文では「ホンネーニ エロヒーム」という2語であらわされる。憐れむ「ハーナン」の命令形に、「私を」という接尾辞がついた形である。
この言葉は、ギリシャ語は「キューリエ エレエーソン」(*)として、主イエスに対して全盲の人や重い病気の人が、主よ憐れんでください! と必死に叫ぶときの言葉として現れる。
(*)キューリエとは、キューリオス(主)の呼格で、「主よ」という呼びかけのときの形。また、エレエーソンは、エレエオー
憐れむ の命令形。
例えば、つぎのように、ハンセン病でひどい差別と病気の苦しみにあえいできた人が、主イエスに出会ったときに叫んだのがこの言葉である。
…声を張り上げて、「イエスさま、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。(ルカ17の11)
また、街角で乞食をして生計をかろうじてつないでいた盲人がイエスが通り掛かったのがわかったとき、彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。(ルカ18の38)
これは、「キリエ エレイソン」という発音となって、ミサ曲にもこの言葉は多く使われていて、昔からこの一言は重要であった。
どんな苦しい人でも、この叫びはできる。また「ハーナン」から、主は憐れみ深いお方、恵み深いお方だということで「ハンナ」という名前ができ、ヨハンナ、ヨハネ、あるいはフランス語ではジャン、ジェーンなどという発音として多くの女性の名前に採用されることになった。こうして名前という形で「主は憐れみ深いお方である」ということが、全世界に反響し続けている。
人間は自分のことは気づかず、他者の欠点や罪によく気付く。○○さんに苦しめられた、嫌なことをされた、などということはだれでもそんな気持ちを持ちやすい。しかし、そうした他者の罪を思うと同時に、みずからは罪がないのか、自分は本当に神が私たちにくださっているような愛を持っているのか、不正なことにはっきり否という勇気、正しさを持っているのか、真実な心をもって人に対してきたのか―等々のあるべき姿からはずれているということ―罪を知らねばならない。
この詩の作者は、他者からの攻撃や敵視を受けつつも、そのただなかで、前述のような意味での罪を犯した自分を癒してくださいというところに憐れみを求めている。これは聖書でなければこういう発想は起こらないだろう。
…敵は私を苦しめようとして言う。
「いつ、彼は死に、その名は滅びるのだろうか。」(早く死んでその名も消え失せるがよい―新共同訳)
見舞いに来れば、むなしいことを言いますが
心に悪意を満たし、外に出ればそれを口にします。
わたしを憎む者は皆、集まってささやき
わたしに災いを謀っています。
「呪いに取りつかれて床に就いた。二度と起き上がれまい。」
わたしの信頼していた仲間
わたしのパンを食べる者が
威張ってわたしを足げにします。(6〜10節)
敵対者は、相手の命がうしなわれることを願う。人間は、相手の命が少しでもよりよいものになるように祈り願うのが本来の姿であるのに、現実は、逆の心がしばしば人間の心によぎる。憎しみはそのように相手の命がなくなることを求め、殺すという取り返しのつかないことにまで至ることがある。
そして、殺すことと本質的に同じこととされる憎しみは、子どもですら持ってしまうこともある。
誰かに対して「いつ、○○は死ぬのだ、早く死んだらいいのに―」などというような気持ちを持つことは、なんと悲しいことだろう。神は私たちに命を与え、その命がさらによりよいものになるようになることを願っておられるゆえに、私たちも自分や他者にそのことを求め続けるのが本当の姿であるのに。
人間とは、他者の苦しみを少しでも和らげようとするのが本来であるが、悪の霊に支配されるようになるとき、逆に相手の苦しみが増すことを願うようにさえなっていく。
10節にあるように、かつては信頼し、ともに食事をするような間柄であった人が、思いがけなく敵対者となる。この世はそのような不条理な世界だということが言われている。この詩が作られてから数千年も経った。しかし、こうした人間の心の深い闇、罪ということは変ることがない。
ともにパンを分け合うような親しい間柄であった。それなのに、今は私に敵対している。友はこんなにも豹変してしまった。これが人間の現実である。
こういうことを思い知らされると、だから人間は醜いと落胆してしまう。とくに老年になってこのような人間のけわしい現実を思い知らされるとき、深い悲しみに陥る。もし神への信頼を持つのでなければ、こうした人間の現実に直面するとき深い打撃を受けて立ち直ることも難しい状態になるだろう。
しかし、人間の罪深い実態を深く思い知らされ、だからこそその闇を照らし、救いだしてくださる神に向かおうとする。そのためにこのような経験も与えられている。それゆえにこのような経験をすることも、主にあっては、重要な経験であって、その苦しみのゆえに、そこからの救いを求めて神に、真剣に向かうようになる。
主イエスはこの41篇をご自身のことに関係づけて用いられた。主イエスの弟子にもこのような驚くべき裏切り、背信行為が生じることになった。
「わたしのパンを食べている者が、私を逆らった」という言葉が実現されなければならない。(ヨハネ十三・18)
詩篇は単なる人間の感情を表すだけでなく、深い神様の御意志が表れている。詩篇は大いなる預言書でもある。非常にくるしいことであるからこそ、主イエスもこれを苦しい経験として通っていかれた。神を信じて、ともにパンを食べて歩んでいったのに、あるときから突然裏切り、さらに自分に対して憎しみを持ち、敵意を抱くような状態に変わっていく。このように人間世界のはかなさ、空しさ、そしてしかし、ここから神様を仰ぐ大きな入り口があるんだと知らされる。
だから、いつも感謝せよといわれている。このような目に遭っても、神様のほうに立ち返るとき、神の国への道を確実に上っていくことができる。
この詩の作られた時代には、次のようにまだ部分的に深い啓示が与えられなかったところがある。
…どうか私を憐れみ、起き上がらせてください。
そうすれば、彼らを見返すことができます。(11節)
このような、敵対者への仕返しの心、敵を憎む心を根本的に改革するために主イエスがこられた。「あなた方は、敵は憎めと教えられてきた。しかし私は言うのだ。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」と。(マタイ5の43〜44)
このようにいかなる相手に対しても、あくまで神の愛をもってその人がよくなるように、悪を行なう人が滅びるのでなく、その悪人に宿る悪そのものがなくなるようにとの祈りである。それによってのみ悪人はよき人間となるからである。
新約聖書の時代になってからは、このように、見返すとか復讐の心ではなく、神の力がのぞんで相手が変えられるようにとの祈りの心を持って見つめるようにと教えられている。
旧約聖書ではこのように、新約聖書の主イエスの精神や教えからすれば、その高いレベルに達していない状態が折々に見られる。これは当然のことであって、究極的真理は徐々に段階的に啓示され、キリストに至ってはじめて完全な啓示が示されるようになったのである。
これが、使徒パウロが折々に記している、キリストこそが最終的な啓示であるということである。
…世のはじめから代々にわたって隠されてきた奥義(*)が、今や、聖徒(キリスト者)たちに明らかにされた。
この奥義が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを神は彼らに知らせようとされた。この奥義こそは、あなた方のうちにおられるキリストである。(コロサイ書1の26〜27より)
(*)奥義…原語は、ミュステーリオンで、口語訳、新改訳などでは奥義と訳されてきたが、新共同訳では、「神の秘められた計画」と訳されている。科学や哲学、あるいは経験ではわからない霊的な真理のことを、この語であらわしている。それゆえ、キリストの十字架の死による罪の赦しや、死者の復活、あるいは再臨といったこと、さらに右に引用した箇所のように、キリストそのものが、ミュステーリオン
だといわれる。
詩篇やほかの旧約聖書に見られる一部の表現が、現代の私たちにはそぐわないからといって、それを読まないのは大きな損失である。
それらをも知ることでいっそう旧約聖書から新約聖書、キリストへの大いなる変化というものがよくわかるし、また旧約聖書そのものが、さまざまの意味でキリストを指し示すものであることがより鮮明に受け取れるようになるからである。
… 私は知る、私は神の御旨にかなうのだと。敵が私に対して勝つことはないのだと。
この作者は最後に、神の力によって悪に勝利する、という確信をのべている。神の助けを叫び求める者に力を与え、悪の力に呑み込まれないようにしてくださる。そうして悪の力は決して神により頼む者を滅ぼすことはないのだという確信で終わっている。
…あなたはわたしの全きによって、わたしをささえ、とこしえにみ前に置かれます。 (口語訳)(*)
(*)ここでも、新共同訳は、「無垢な私を支え、とこしえに、御前に立たせてください。」という祈願に訳しているが、.ほとんどの英語訳などは、次に引用したように、救いの確信として訳している。
・In my integrity
you uphold me and set me in your presence forever. (NIV)
・…You have set
me in your presence forever. (NRS)
「私の全き」の全きとは、原語はトームで、これは、誠実、高潔、全きことなどの意味に用いられる。(ヨブは全き人であった
など)
ここでは、苦難のおりにも、神に精一杯信頼し、神のみに頼り、祈り求めてきたそのことをさしているので、神への真実な思いをもってきたゆえに、主が私を支え永遠に御前に置いてくださる―という喜ばしい確信をのべている。
聖書に記されている神の特質は、導きの神であるということである。聖書における神は特定の建物にだけいるとか、ギリシャの哲学者たちが語っている真理(イデア)のようなものでもない。
それは、至るところに存在していて、しかも、生きてはたらく神、私たちを導く神であるということである。
このことは、聖書の全体にわたって、さまざまに表されているが、つぎの箇所もその一つである。
あなたを贖う主はこう言われる。
わたしは主、あなたの神
わたしはあなたを教えて力をもたせ
あなたを導いて道を行かせる。
私の戒めに耳を傾けるなら
あなたの平和は大河のように
恵みは海の波のようになる。
あなたの子孫は砂のように
あなたから出る子らは砂の粒のように増え
その名はわたしの前から
断たれることも、滅ぼされることもない。(イザヤ書48の17〜19)
この詩は捕囚(紀元前586年頃〜538年)となったユダの人々が、ペルシアの王キュロスによって、神殿の器具までもつけて帰国が許可されることとなったという歴史的状況のなかで書かれた。
しかし、それは1500キロもあるような砂漠地帯の旅であって、途中にどんな困難があるかわからない。
そのときに言われた神の言葉がここに記されている。
かれらに語りかけた神、それは、初めであり、終わりである、天地万物を創造したお方である。さらに、聖なる神であるとともに、私たちをあがなってくださるお方。さらに、教え、困難のただなかを導いてくださるお方である。
ここに記されていることは、直接には、いまから2500年あまりも昔のことである。しかし、旧約聖書の特質―聖書全体の特質は、特定の時代のある人たちに言われたことばでありながら、それがさまざまの民族や、世代の人々にあてはまるということである。しかも
何千年も越えてその真理性は衰えることがない。
そのような神が、イスラエルの人たちを捕囚の地から、約束の地へと導くのである。
現代の私たちも、また、罪の捕囚の状態から約束の地―すなわち神の国へと導かれていく。
そして、そこは平安と正義が流れ来るもの、繰り返し押し寄せてやまないものとして言われている。
平安―シャーロームとは、シャーラム 完成する、全うするという動詞の名詞の形である。(*)それゆえに完成された状態、神のよきものによって満たされた状態を意味する。
(*)シャーラムという動詞は次のように使われている。「ソロモンは神殿を完成した」(列王記上9の25)「あなた方の神、主に誓ってそれを全うせよ」(詩篇76の12)
旧約聖書においては、それは物質的な豊かさ―ぶどうやオリーブ、いちじく、小麦などの農作物の豊かさをも意味していた。さらに霊的には、それは、そうした目に見える作物にたとえられる霊的賜物―力や愛、真実、正義、永遠性、清さ等々を意味している。
そうした豊かさが与えられるという。
それが単に豊かに与えられるといわずに、平和は川のように と言われているのはなぜか。イザヤに啓示されたのが流れ続ける川のようにシャーロームが与えられていく、ということなのである。
平和は流れるとはふつうまず言わない。それは静かにとどまっているものだからである。それはその豊かさを意味している。じっと流れないでとどまる池や湖のようでなく、つぎつぎとあらたに流れてくる、そしてさらに遠くへと流れていく、それほどに豊かということなのである。シャーロームということは特定のところにとどまるのでなく、周囲へ、また後の時代へと絶えず流れてうるおしていくものなのである。
このような動的な豊かさ―それは、神の言葉についても言われている。
…雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。(イザヤ書55の10〜11)
ここでも、神の言葉は、ひとりのところでとどまっているのでなく、それはあふれ出ていくもの、雨も雪もつぎつぎといろいろなものをうるおしていく。同様に神の言葉もまた、そのようにさまざまの人、次々と時間を越えてうるおしていくという動的な本質を持っている。
そして、このことは、また神の言葉は、天地に響きつつ、世界を伝わっていくということが示されている。
また、正義も海の波のようにつぎつぎと押し寄せてくるという。この世では逆に不正がつねに大波のように一人一人や人間の組織、団体、そして政治や国家全体にまで押し寄せている。そこで内戦が起こり、多くの人たちが命をおとし、また生涯いやされないような傷を負ってしまう。
そのようなこの世の大波のただなかで、正義の大波が寄せてくるという―それは驚くべき啓示である。
そしてまた、最もよきものといえるものは、風のごとく、また火のように注がれてくる。使徒言行録にあるように それによって使徒たちはイエスが殺されたという絶望感を越えて立ち上がりキリストの福音を命がけで伝えていくようになった。
そして、そこから真の平和―主の平和が、たしかに世界中へと流れ続けていくようになった。
このように、神の国にあるもの―平安、正義、また命の祝福等々は、あふれ続け、流れていく。さらに歴史を越えてそれは広がっていく。
そのような祝福のもとにあるのが、神の言葉に聴くということである。
あなた方が私の戒め(み言葉)に耳を傾けるならば、そのような祝福が注がれると記されている。(イザヤ書48の18−19)
聖書は全体としてみるとき、それは大いなる導きの書である。そのことと、神の言葉に聴くということとが不可欠に結びついている。それは後の神への信仰のモデルとなったアブラハムの場合においてもはっきりと示されている。
創世記の冒頭にあるごとく、私たちは世界が闇であるからこそ、ぜひとも導かれる必要がある。
闇がいかに深くとも、神が光あれ!と言われるならたちまち光が存在し、私たちを導くのである。闇のなかの光こそ、私たちのさまよう歩みの前途を照らし、導くものとなる。
それゆえ、聖書巻頭の一句―光あれ! はいっさいの導きを包含するものとなった。
この世界は闇である。何が正しいのか、どこに真実があるのか、本当に正しいことが勝つのか、愛はあるのか…あまりにも不正や悪事が個々の人間にもまた政治や社会、さらに国際的にも行なわれていて、わからないような状況である。
それゆえに、創世記でも、マタイ福音書でもヨハネによる福音書でも、最初の部分でそのことが言われている。
…闇と混沌であった。神は言われた。光あれ! すると光があった。(創世記1の2〜3)
…暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタイ4の16)
…光は闇の中で輝いている。暗闇は光にうち勝たなかった。(ヨハネ1の5)
そのような闇だからこそ、その闇で人は霊的には(神の目から見て)命をうしなっていて、真実の愛や正しさ、清さ、勇気等々を持つことができなくなっている。
それゆえに、私たちには厳しすぎる表現と思われるほどであるが、「人はみなその罪のゆえに死んでいた。」(エペソ書2の1、5)とまで言われているのである。
そうした死に至る深い闇だからこそ、そこに神は光を与え、導こうとされる。
さらに一人一人を導くだけでなく、民族や国家、この世界全体を導いていかれる。このことは後に取り上げる。
聖書は大いなる導きの書である。個人だけでなく、民族や国家を導く光について記されている書である。
最初は、アブラハムを呼び出し、彼を導き約束の地へと導いた。それは後のさまざまの個人や民族を導く象徴的なできごととなった。
そしてさらにこの世界全体、宇宙すらも神の大いなる御手によって導かれているという、壮大な導きが聖書には記されているのである。
生きている神様に導かれて(無教会全国集会での証し) 中川陽子
私の最初の神様との関わりは、母からでした。母が無教会のクリスチャンで、高校生の時に担任だった吉村孝雄先生より伝道を受け、私や弟を生んだ後に神様を信じるようになり、導きを求めてキリスト教の本を買いに行ったときに、徳島駅のバス停でばったり吉村さんに再会し、徳島聖書キリスト集会に行くようになっていました。
私や弟も集会に連れられて行っていたので、集会場から聞こえてくる讃美歌や、集会員の方々の雰囲気、母が本をよく読んでいたので、そういう中で、キリスト教とは、静かでまじめで、少し堅苦しく、よく歌って、よく本を読む人たちというイメージがありました。
私が子供の時、初めて真剣に祈ったのは、母のキーホルダーを壊してしまった時です。見つかる前に壊れたところがくっつきますようにと、キーホルダーを握りしめて一生懸命祈ったのですが、そっと手を開いてもそれは壊れたままで、ごめんなさいと謝ることになりました。そのとき、やっぱりお祈りしても、こんな無茶なことは聴かれないんだなぁと思ったことを覚えています。
小さいときから私は自分の中に罪という大きな問題があることを強く意識し、いろんなことに罪悪感を持っていました。また、朝早く起きるのは苦手でできないし、何をしてもうっかりして、行動もぐずぐずしていました。いろんな事がよく分からなくて、他の子より劣っているような気がしました。小学校に入ると、母が歌謡曲やテレビ番組に触れさせるのを嫌がったので、そこでも他の子供たちと話題が合わなくなりました。
わたしは他の子たちが考えていることや暗黙のルールのようなものが分からず、自分自身の性格の問題もありましたし、仲良くする方法が分からなくて、強い劣等感を持つようになりました。
聖書を開いて自分なりに読んでみたこともありました。イエス様の山上の教えに感動して、世の中の人が皆このように行動したら、この世界の問題は全部解決するのにと思いました。でも、こうしなさいと言われても、自分にはできないことも思い、悲しくなりました。クリスチャンとは、これを全部守ろうと決め、それを宣言した人たちなのだと思っていたのです。キリスト教に対する憧れがあるのに、そこは、清すぎて近寄れない、入り口が分からない世界に思えました。
そんな私が、20歳の時に、家にあったキリスト教の本に目を留め、ふと読んでみたくなって手にとりました。マーリン・キャロザースという牧師が書いた「賛美の力」という本です。
最初に、ある信者の証が書かれていて、分かりやすかったので、引き込まれるように読みました。それは、困難に見えることに対しても神様を信頼して心から感謝した人に、奇跡的な解決が与えられたという証しでした。
子供の時にキーホルダーを直してくれなかった神様は、もう今の時代には奇跡を起こせないのだと思っていたので、私は心底驚きました。それにキリスト教は山上の教えに書いてあったようなことを守る宗教で、善いことをする、律法的なものだと思い込んでいたのです。
私はその本で、初めてキリスト教とは罪人の私たちのために、イエス様が十字架に架かってくださることによって、永遠の命を無償で与えてくださるものであるということを知りました。アブラハムの例が書いてあって、アブラハムは人間的には問題もあったけれど、ただ神様を信じるだけで義とされたとありました。
私は幼い頃から自分の罪に悩んできたので、こんな自分にも道が開かれ、助けてくださる神様がいることを知って、本当に嬉しく思いました。信じるだけでいいのなら、私にもできると思い、私もただ信じてそこに入れていただこうと思いました。それに、この証のように奇跡を起こせる生きた神様だったら、ついていきたいと思えました。
それでその日、その本を読み終わってすぐ、母のところに行って、「お母さん、私クリスチャンになる」と言いました。母は突然のことで半信半疑でしたが、とても喜んでくれました。その後まもなく、父もいつの間にかイエス様を信じるようになっていました。
その数ヵ月後、私は、神戸の大学病院に就職し、看護師として働き始めました。そして、また人間関係でつまずいてしまいました。弱さを克服しようと読んだ本には「自意識過剰」とか「自己憐憫」など、厳しい言葉が並んでいて、それが分かっていても解決にはなりませんでした。
あの「賛美の力」の本に倣って、辛いことを感謝してみようとしてみましたが、どうしても本心からはできず、感謝するふりをして状況を変えて貰おうとする姑息な手段は神様には通じませんでした。
今思えば、職場に適応できなかったのも大きかったと思います。私は当時看護師になる最短コースと呼ばれた進路で高校卒業と同時に准看護師資格を得、その後2年制の看護学校を出て正看護師になりましたが、周囲は3年制の専門学校や短大を出た人ばかりでした。今は更に4年制の看護大学の時代となりました。
私が最初に配属された心臓血管外科の病棟は急変の多い部署なので緊張度が高く、先輩の指導も非常に厳しいものでした。最初の研修で配属部署が発表されると、周囲にいた、その病院の付属短大を出た人たちから一斉に「気の毒に」と言われて驚きましたが、入ってみると理由が分かりました。
朝から晩まで叱られ、否定され、心はボロボロになりました。私は田舎者の小心者で、上手に対応できなかったので、その状態は長く続きました。同期の子は一人辞め、翌年入った新人も皆辞めました。当時私は、両親に石の上にも3年、と約束していたし、一人前になるまで仕事を辞めてはいけないと考えていたので、そんな中で仕事を覚えながら何とか適応しようと努力しました。
夜勤も多かったので、体も疲れ果て、もともと胃腸が弱かったのですが、過敏性大腸症候群や不眠症にもなりました。私はとにかく早く年を取りたいと思い、まるで捨て去るかのような気持ちで年を重ねていきました。
1年でも職場で経験年数を重ねたら、いじめられなくなり、仕事がもっとできるようになって、楽になれると思ったからでした。もうひとつ悩んでいたのは、自分の愛のなさです。看護師の仕事は日々患者さんに何かを求められ、それに対応していかなければいけないのですが、もっと患者さんを愛さなくてはいけないのに、患者さんの要求に応えきれない、自分には愛が足りないという悩みがありました。看護師の仕事で一番苦しかったのは、日々自分の愛のなさをまざまざと見せられ、痛感させられることでした。
当時無教会の集会が近くになく、電車に乗ることも苦手だったので、時々しか大阪の狭山集会まで行くことができず、近くで教会に行こうとしました。
しかしそこでは、洗礼を受けなければ、クリスチャンではなく求道者と呼ばれるということを知りました。どこに行っても信仰の話ではなく、まず洗礼の話になり、教会の人にとって、洗礼を受けているかどうかが非常に大切なことであるということを知りました。
それでは洗礼を受けていない人はクリスチャンではないのか、両親も、集会員の人たちも、吉村さんも、本当のクリスチャンじゃないのか?と悩みましたが、私が子供のころから知っている、あのまじめで優しくて、信仰に熱心な人たちが、神様に覚えられておらず、救われていないとは到底思えませんでした。
吉村さんをはじめ、いろんな人に質問しましたが、まだ私には理解できないことが多く、誰が本当のことを言っているのかが判断できず、とても悩みました。
私は信じるだけで無償で救われることを読んで、この信仰の世界に入ってきたけど、洗礼を受けなければ天国に行けない、永遠の命がいただけないとなると大問題です。一度は悩みを解決するためだけに洗礼を受けようとしたこともありましたが、どうしても納得できずに止めました。
教会でのお話も、私が当時実生活で悩んでいることの力にはなりませんでした。エゼキエル書37章に、枯れた骨が出てきますが、人間関係で躓いて身体も弱った私が骨の状態なら、キリスト教にも居場所がないように感じた私は枯れた骨でした。救われた最初の喜びからはほど遠く、再び律法的に自分を責め、キリスト教が理解できず、劣等感の塊で、完全に道を見失っていました。そんなこんなで看護師になって9年程経っていました。
そんな時、徳島で行われた無教会のキリスト教四国集会に参加しました。そこには何となくゆったりとした清らかな、特別な空気が流れていました。私は人に会うのが嫌で、あまり周囲と関わりたくなく、それでも見た目はカラ元気を出すという感じで、壁の内側から周囲を観察しているような感じでした。
その日、講話が始まると、みなさんが前を向いて熱心に聞き始めました。その瞬間、一人ひとりが心を、上におられる神様に向けて、じっと神様に聞き入ろうとしているように感じました。その時、ハッとするものがありました。みんな、ただ人間的な思いで、人に会いに来ているのではない、神様に会いに来ている。一人ひとりにその人自身の課題があって、そこに働く生きた神様の働きを待っているのだと思いました。そう気付くと、私は心底ホッとする感じを受けました。みんなが人間を見つめず、神様のほうを向いているその空間が、とても居心地が良いものと感じました。
そして、その時、私は初めて聖霊というものを感じて、それを受けることができました。それは言葉で言い表しにくいですが、理屈ではない大きな喜びで満たされているという体験でした。その喜びは、地上の喜びとはまったく違った種類のもので、この喜びと他の物を交換するのは嫌だという思いもしました。
それが私の大きな転機になりました。聖霊を受けたその時から、洗礼を受けるかどうかということは、まったく問題ではなくなりました。人が私に対して何を思おうと一切関係なく、イエス様が救ってくださったものを覆したりできないことが分かり不安がなくなりました。そして私の霊的な居場所は、この無教会の、小さい頃から知っていた、徳島聖書キリスト集会であるということがその時はっきりと分かりました。
それから、徳島に帰省の際に日曜の礼拝に行き、神戸でも集会が与えられ、交代勤務ではありましたが週1回くらいのペースで何らかの形で礼拝に出ることができるようになりました。
仕事では、私は集中治療室に配属されました。看護師としていつかは働いてみたいと思った部署でした。ところが、すでに経験年数は9年経っていても、ICUでは再びひよっこ扱いでした。また、人間関係で再び悩まされました。とにかく同僚の看護師の方々は気が強くて、知識の誇りあいという状態でした。あまりに殺伐としていて心が挫けそうになりました。
しかし、信仰的な転機を迎えていた私は、その悩みや苦しみを、信仰で解決しようとすることができました。講話を聴くときの姿勢も、今の自分の問題を解決するためなので、一生懸命自分のこととして聞きました。仕事に行く前は胸がドキドキして不安になります。そういう時は聖書を必死で読みました。詩篇の作者のうめきが、私のうめきと重なるように思いました。
そして「私の敵の前で、私の食卓を整えてくださる」という詩篇23篇5節の御言葉が深い慰めとなり、それを信じることができました。自分に冷たい態度を取る人、敵対する人のことを祈り、できるだけ愛をもって接するように努めました。
ある時、士師記7章のところが、目に留まりました。神様は戦いに挑むギデオンに、このように言われました。「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいけない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。」そして兵士が減らされ、神様はまた言われました。「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ」そして水の飲み方で兵士は選り分けられ、神様は兵士を3百人までわざわざ減らされました。それを読んだ時、その神様のなさり方に、とても驚きました。
そして、目の前の問題がいかに自分にとって大きく見え、それに比べて私がいかに非力であっても、神様のお力はそんなものを越えて勝つのだから、そのことを信じよう!と思うことができました。それは、自分の力に頼らず、信仰によって神様のお力によって、救っていただくという良いレッスンになりました。
私は最後の5年間集中治療室にいましたが、もうこれで限界というところが来たので、病院を辞めることにしました。辞める時に、私にずっととても冷たい態度をとってきた人が、ためらいながら、「辞めるの?」と話しかけてきました。私は明るく「はい。徳島に帰って、母がしているケアマネの仕事を手伝おうと思っています。」と答えました。すると、その人は「中川さんだったら、優しいからどんな仕事をしてもうまく行くと思うよ」と言ってくれました。私はそれをその人の精いっぱいの謝罪と愛だと受け止めました。そして、ずっとその人にできるだけ愛をもって接してきたことが、実は伝わっていたことも知ることができました。こうして、私の、病院での自分の課題との戦いは終わりました。そしてそれが、今、私のかけがえのない経験として、仕事上の、そして心の大切な宝物となっています。
今、わたしは母が起こした、有限会社マンナ在宅支援ミルトスという、聖書から名前をいただいた会社で、ケアマネジャーとして母と二人で働いています。あの病院でとても厳しい訓練を受けたことが、今、一人ひとりの利用者さんの生活を支援する上で、とても役立っています。そして、看護師だったときに愛が足りないと苦しんだことを元に、今、できるだけ仕事では一つ一つのことに私なりに愛を込めたいと願っています。利用者さんやそのご家族は、神様が意味あって私に出会わされた隣人であると思うからです。
今こうして、神様に繋がり、自由に仕事ができる環境を感謝します。日常の業務の些細なことで、神様は驚くほど私たちを助けて下さり、それを通して「神様が生きて共にいる」ということを知らせてくださいます。外に仕事に行くと、自分が会おうと思った人だけでなく、本当に会うべき人にばったり出会えたり、誰かのことが急に気になって神様に促されるように相手に電話をしたことで、問題を早めに解決できたということもありました。
解決不可能と思われた難しい問題も、神様は必ず解決を与えて下さいました。私達は罪人で十分なことができませんが、神様はいつも私たちを助け励まし、私たちができる以上のことを与えて下さっていると思います。母と私と二人の小さい会社ですが、今では地域の中核病院や市役所関係からも困難事例と言われる仕事を任せていただけるようになりました。
子供のころから「枯れた骨」のような苦しさを経験し、自分なりのどん底感を体験しましたが、わたしは神様の吹かれる、霊の風によって生き返りました。私の杯は、今溢れていると思えます。今も自分の罪に苦しみ、課題がたくさんありますが、それはそのまま神様に「わたしにはこのような問題があります」と言っています。すると、神様は聖書だけでなく、さまざまな本や、経験から私に色々なことを教えてくださり、方向を示してくださいます。
過去に、私は問題に対し、表面的に感謝することで、神様をコントロールしようとして失敗しました。今でも嫌なことがあれば、すぐに神様に感謝するのは難しくて時間がかかることがありますが、なるべく起こったことや、嫌な気持ちそのものも神様に感謝するようにしています。その嫌な気持ちが、御心にかなった道を歩むために神様を求めさせ、それによって何か新しいことが示されたり、教えられるということに、気づいたからです。痛みがあれば、そこに祈りが生まれ、神様との関係が発展していきます。私はまだ、そのことを小さい範囲の、仕事の面でしかできていませんが、
いままでの歩みを振り返るとき、すべて私たちの背後で、生きているキリストが導いてくださったことを感じます。これからも、自分の思いを超えて、クリスチャンとして神様ご自身が成長させてくださると信じています。
(2015年10月 千葉県で開催された無教会全国集会のときに語った証しに若干の追加したもの)
(392)罪人の一人とされること
どんなに正しい人でも、その生涯のうちいつかは、「罪人のひとりに数えられる」にちがいない(マルコによる福音書15の28)。
もしこのことが起らなければ、かえってよい徴候とはいえない。このような場合神を慰めとして持つならば、すなわち、あらゆる人間的批判をはるかに越えて力づけ給う神の慰めと、この助けを確信することから生じる清らかな良心(真に滑らかな良心とはこれ以外にはない)とを与えられるならば、世人の批判にも容易に堪えられ、それも想像していたほど悪いものでも危険でもないことを悟るであろう。
ひとはこのような経験を経ることによってはじめて勇気ある人間となり、神がその戦いに用いることのできる者となる。それまでは、どんな人もみな臆病者であって、いざという時に神の味方に立つことを恐れるのである。(眠られぬ夜のために上
4月5日 ヒルティ著 岩波文庫118頁)
・キリストは、ヒルティの言う罪人の一人とされた。その他歴史のなかで無数のキリスト者たちはそのような罪人とされ、苦しめられ、殺されることさえ多かった。
キリストは弱き人々、苦しむ人々を助け、いやし、また真理そのものの神の言葉を語ったが、弟子の一人に金で売り渡され、当時の律法学者、宗教家からは神を冒涜したという最も重い罪をきせられ、長老、さらには民衆やローマ兵にまであざけられ、弟子たちはみな逃げてしまった―あらゆる苦しみを受けて地を去られた。
しかし、神はそうした真理の証人たるキリストを復活させ、不滅のものとされ、そのキリストを永遠の存在として世界に告げ知らせるように導かれた。
私たちもまた、不当な悪口、非難を受けたとしても主からのものとして受けるようにと導かれるし、また私たちの罪ゆえにそのようなことも生じるのだとの思い、さらに主に立ち返るようにとうながされる。