2003年10月 第513号・内容・もくじ

リストボタン風にあたる リストボタン勝つことがすべて リストボタン受け身に生きる 
リストボタン語りかける神 創世記三十四章より リストボタン神への讃美のために戻ってきた人(ルカ福音書17章より) リストボタン休憩室
 リストボタンことば (史記、ボンヘッファー) リストボタン返舟だより  

st07_m2.gif風にあたる

秋の風が吹き渡る。川岸にてその風を受けているとき、それは天来のものだと感じる。
この世の汚れた世界には決して染まらない世界からの風と感じる。それに気付くもの気付かないものの別なく、風は吹き渡る。そして心開いているものの中に入っていき、汚れたものを一掃してくれる。
主イエスが言われたように、善人にも悪人にも太陽の光は注がれ、雨も降り注ぐ。
天来の風もまた同様である。
聖書にもこの世と異なる風が吹いている。新聞や雑誌、テレビなどとはまったく違った世界からのメッセージをたたえて、静かにそよいでいる。ときには激しく私たちの心に吹いてくる。
寒い日にたき火にあたってぬくもりを与えられるように、私たちもこの世の塵にまみれた冷たい風でなく、秋の空に吹き渡る風、神の国から吹いてくる風にあたってそのぬくもりと清めを受けよう。

 


st07_m2.gif勝つことがすべて

あるスポーツの有名な人が、監督を辞めた。それを評して、別の監督が我々の世界は勝つことが第一だ、負ければ辞めるのも仕方がないと言ったという。
勝つことがすべて、これは、なにもスポーツの世界だけのことでない。信仰の世界も実は勝つことが第一なのである。
私たちが勝利を得るために、神は信仰を与えられた。
十字架にてはりつけの刑に処せられたが、それはじつは罪の力に勝利されたということであり、完全な善の敗北と思われる出来事が実は、最大の勝利なのであった。
キリスト教において勝つということ、それは、ふつう世の中で言われている勝利とは大きく異なっている。世の中の勝利は、スポーツの世界で典型的にみられるように、数である。得点をどれだけとったか、打率やホームランがどれほどあるかということが決定的である。また、会社などでも、どれだけ収益をあげたか、これも金額であり、数である。
入試でも、得点で合格が決まり、敗北とはすなわち得点が少ないことである。
スポーツでも、入社、入試などのテストでも、わずか一点低ければ負けということになるし、不合格になる。勝った人と、負けた人の差が一点しかない、それでも、勝利したものは、大学入試であれば大学生となっていくし、スポーツでは、優勝となると、多大の名誉や報奨金なども伴う。しかし実際は、一点しか差がなく、気候や体調などほんの一時的なことでも決まったということも多い。
そうした得点をとるためには、生まれつきの能力が必要だし、健康も必要である。ベッドに寝ているような病人では、スポーツそのものがはじめからできないし、会社勤めも、勉強もわずかしかできないから大学入試もきわめて難しくなる。さらに天候とか体調など偶然的なこともかかわってくる。
しかし、キリスト教信仰の世界で、勝つということは、そうした「数」とはまったく異なる意味を持っている。わずか一点で決定的に勝利と敗北が決まったり、 天気や体調によって決まるというものでない。
それは、人間との戦いでなく、悪との戦いである。キリスト教にいう、勝つことがすべてというのは、悪との戦いに勝つことがすべてということである。
しかも、その勝利のためには、人間はただ信じる心があればよいというのである。私たちの生まれつきの能力や努力、健康や偶然、あるいは金の力といったものによらず、すでに勝負はついているというのであり、その勝利を得るためには、人間はただ、神を信じ、神を仰げば足りるというのである。
人間は、その内に働く、罪の力に負けていて、死んだも同然の状態になっている。
 罪の力とは、神の持っているような究極的な真実や正しさ、あるいは、愛ということに反するようにさせる力である。はじめからすでに敗北しているのであるがその中に主イエスが来てくださって、負けている者を新しく立ち上がらせ、本来は決して持つことのできない勝利を与えられるということである。
 キリスト教信仰の根本的な内容とは、罪の力に勝つことである。そして、それがすべてであるとすら言えよう。
 旧約聖書からすでにそのことは、重要な内容となっている。アダムとエバの物語は、罪の力に敗北した人間の根源的な姿が表されている。また、モーセが受けた十戒という神からの戒めは、罪の力に負けないようにとの戒めであると言える。偶像崇拝してはいけない、というのも、真実と愛に満ちた神以外のものを大切にするとは、すなわち悪に負けることであるし、安息日を守れというのも、それによって悪の力に負けないようにするためである。
 しかし、十戒のような戒めをいくら繰り返し言われても、悪の力に勝つことはできない。預言者がいくら警告しても民は聞き入れなかった。そのゆえに、神はキリストを地上に送ったのであった。キリストは、人間を罪の力に勝たしめるために送られてきたお方であった。
キリストは罪の力に勝利したお方であるということは、死にも勝利したということになる。

…死はすべての人に及んだ。すべての人が罪を犯したからである。(ローマの信徒への手紙五・12より)

多くの場合、人は死ということを、肉体の死とだけ考えて、罪と何の関係もないことと思っている。けれども、使徒パウロは、人間にとって死という最大の暗い出来事は、実は罪の結果なのだと示されていた。これは驚くべき洞察である。死はごく自然な現象として自然界には、至るところに見られる。人間に限らず、動植物全般にわたって、死ということがある。それは罪となんの関係もないように思われるからである。
しかし、そうした表面的な見方と全くことなる見方をパウロは神から示されていたのである。
そこから、キリストは罪の結果である死に対しても勝利したのだということが弟子たちにも次第に明らかになってきた。
罪の力(悪の力)と死の力に勝ったキリスト、そのキリストを信じることによって、私たちもその勝利を受けることができる。
この二つに勝つならば、私たちはどんなことが降りかかってきてもそれに負けずに勝利する道が開かれていると言えよう。
それゆえに、ヨハネ福音書において、キリストがとらわれる直前の夕食の時に述べた最後の言葉が、
「勇気を出せ、私はすでに世に勝っている。」
(ヨハネ福音書十六・33
ということであった。ここで言われている「世」とは、この世であり、この世を支配しているかのように見える悪の力を指している。神などいないとするこの世の霊的な力に勝利しているということなのである。それは、イエスを殺そうとするような力にもすでに勝利しているということであった。だからこそ、十字架上で殺されるという最も敗北のようなことのただなかに、勝利が得られたのである。
私たちを打ち負かそうと押し寄せてくるこの世の力、闇の力そして死の力に対して、自分の考えや意志の力では到底勝利などできない。科学技術がいかに発達したからといってもそうしたものに勝つ力とか方法は全く与えることはできない。それは人間を超えた力によって初めて勝利ということが視線に入ってくる。
さらに聖書の最後の書物である、黙示録というのも、その内容は要するに、悪の力との戦いにおいて、最終的に神が勝つということがテーマとなっていると言えよう。

…世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。 (Ⅰヨハネ五・5

まことに、キリスト教とは「勝つ」ことがすべてなのである。



st07_m2.gif受け身に生きる

聖書を読んでいると、気付くのは受け身の生き方が目立つということである。聖書やキリストのことを知るまでは、自分で主体的に能動的に生きることが一番よいというように思わされてきた。自分で考え、自分で行動するのが何より大切なのだというようにである。
しかし、聖書では、自分で考えるとか自分で主体的に生きるということが、いかにもろいかをすぐに教えられる。聖書の最初に置かれている書、創世記には、アダムとエバの話が出てくる。神の最善の戒めに背いたのは、自分の考えに従ったからである。このくらい背いてもよいだろう、といった考えは自分で判断したのである。ヘビにそそのかされたことがきっかけであるが、そそのかされたとき、自分で考えた上で、神に背くことを選んだのであった。
ここでも、自分で主体的に考えて行動するということが、いかに誤りを含んでいるかが示されている。
これは特にパウロの書簡でも示されている。

キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ…(ロマ書一・1

使徒パウロは、自分のことを現代の我々からみると驚くべきような言葉で表している。
僕と訳されている原語とは、奴隷のことである。奴隷はまったく受け身で生きる。自分で考え、自分で行動などしていたら、厳しい取り扱いをうけるか売り飛ばされてしまい、生きられないからであった。
命じられるままに、行動する、これが奴隷なのである。
また、次には「選び出された」という言葉も同様であって、自分の意志で使徒になったのでない、そのような特別な職務にはとても自分の意志ではできないという意識がある。理由は分からないがとにかく全能の神が深い理由によって自分を選んで下さったという、神への深い畏れを伴う感謝の心がここには感じられる。
かつてキリスト者を迫害して殺すことまでしたような人間であるのに、なにゆえに、自分がとくに福音を伝えるという重要な職務に選び出されたのか、それは全く分からない。わかるのは、ただ、神の全能とその全能の神がすべてを知っておられるのに、それでも自分を選んで下さったということへの深い感謝の念なのである。それはかつての自分の重い罪を赦して下さったのでなければ選ばれることはあり得ない。あのような自分をも赦し受け入れて下さったということを深く実感させるものである。こんな自分をも選んで下さったという深い感謝の念がここには現れている。
つぎに、「召されて」という言葉である。これは、原語では、「呼ばれた」
*というごくふつうの言葉である。英語でいえば、called であり、どこにでも聞かれる言葉であるが、日本語訳のように、「召された」などというと、日常ではほとんど使われない言葉になってくる。要するに、神あるいは、キリストから呼び出されたということなのである。
また、「使徒」という語も、原語では、「遣わされた者」
**という意味であって、これもまた、受け身の意味を持っている言葉である。

*)ギリシャ語では、クレートス(kletos)という言葉で、「カレオー kaleo(呼ぶ)」という語から作られた言葉で、「呼ばれた」という意味で受け身の意味を持っている。
**)この語の原語は、apostolos といい、「遣わす、派遣する」(アポステロー)apostello という語から作られた言葉で、「遣わされた者」という意味になる。


こう見てくると、使徒パウロは自分のことを、つねに受け身の存在として深く感じていたのが分かってくる。キリストに敵対していた自分を愛し、十字架によって救って下さった、なんと自分は神に愛されている存在なのかという実感が感じられる。
このような、受け身のあり方は、聖書には基本的なあり方なのである。聖書の一番最初の書物である、創世記で最も重要な人物はアブラハムである。そのアブラハムの信仰のあり方がのちの聖書に記された信仰のあり方の基本となっているほどであり、それゆえに「信仰の父」と言われる。そのアブラハムも、やはり自分の意志でそのような信仰の先達となったのでなく、まず、神がアブラハムを呼び出し、その呼びかけに応えて神の導きに身を委ねたことが出発点にあった。パウロと同様に、神から「呼び出された」経験がもとになっているのである。そしてその後もいろいろと失敗もあり、人間的な考えにとらわれたこともあったが、その都度、神からの呼びかけによって立ち直っていった。
モーセも同様で、初めは自分で同胞の苦難を救おうとしたが、かえって殺されそうになり、遠くの地まで命からがら逃げて行った。そのところで、結婚し、子供も生れて、羊飼いの平和な生活を送っていたとき、モーセは神から呼び出されたのであった。モーセが自分で考えてエジプトから奴隷のように扱われている同胞の苦しみを救おうとしたのではなかった。そんなことは考えることもできない不可能なことであったからである。
そうした羊飼いという生活の中において、神からの呼び出しをうけたことが、彼の生涯にとって決定的なことになったし、彼の同胞にとってものちの世界の歴史にとってもきわめて重大な影響をもたらすことになった また、旧約聖書に見られるが、戦いは主の戦いであり、主が戦われるということが重要な真理であった。

モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。
(出エジプト記十七・11

これも、ふつうの戦いとまったく異なるものである。普通の戦争は、自分の武力に頼んで先制攻撃を加えようとする。太平洋戦争でもそうであった。しかし、この出エジプト記の例では、モーセは武力や兵士の数に頼んで攻撃するのでなく、モーセはただ神に祈り続けるだけであった。手を上げているとは、神に必死に祈るその姿を象徴的にあらわしている。神が戦い、勝って下さるのを待つばかりなのである。ここにも受け身がある。戦いすらも、本質的に受け身なのである。
このように、受け身の生活はよくないとか、つまらないと思っているのは、大きなまちがいであって、世界の決定的な重要な出来事も実はこのように、自分以外のところからの呼びかけを聞き取ることにあった。

主イエスのような方ですら、自分では何もできないと言われた。

…イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子(イエスのこと)は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。」…
わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである。(ヨハネ福音書五章より)

このように、二回も繰り返して、主イエスは自分からでは何事もできないと強調されている。ここにも受け身の生こそ、究極的なものであることが示されている。主イエスは、
「私は道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ十四・6
と言われた。主イエスが真理そのものであるが、それは完全に神に対して受け身であり、神からの真理や命がすべて流れ込むようになっていたからであった。神の真理や命は神ご自身のものであるから、当然、力も含まれている。受け身というとなにか、弱々しいものを連想する人があるであろうが、それは全く逆なのである。
主イエスがいかに敵対する人が取り巻いても、また十字架に架けられるという事態になっても、なお、周囲のものが驚くほど沈黙を守り、泰然自若としておられたのは、周囲の人々の敵対心に対しても動揺させられない力を持っておられたからであり、それは神に対して完全に受け身であったゆえに神の力が注がれていたからであった。
主イエスは「私はすでに世に勝っている」と言われたが、私たちはただそれを信じるだけで、その勝利にあずかることができるのである。
信仰を持って生きるとは、神に導かれて生きるということである。自分の意志で切り開いていくというのではない。「自分の意志で道を切り開いていく」というと、聞こえはよいが、実際には、至るところで切り開けない状況に直面して、だれかの助けを与えられるのを待つしかない。
自然の風物はなぜあのように、美しいのか、なぜ人間とは全くことなる純粋さを持ち、それゆえに一層の美しさを保っているのか。それは、自然の風物が、人間の前に提示され、人間が受け身になって、それら神のわざを受け取ろうとするかどうかが問われているのである。
虫が美しい声で歌っている、私たちが受け身の心になって、それに対して心を開くと自然にそれは心に流れ込んでくる。神ご自身の作品である、大空や星、山々やその渓谷の美しさ、雄大さ、あるいは野草の繊細な美しさ、などなどすべては、神がすでに創造されてあり、私たちの眼前に繰り広げられている。ただ私たちはそれを心を空しくして受け入れるだけでよいのである。自分で作り出して味わうことなど不要なのである。
福音書の最初のところで、本当の幸いについて記されている。それは、「心の貧しいものこそ、幸いだ」(マタイ福音書五章)というのである。心の貧しいということは、すなわち、心になにも自慢や誇り、金や能力など、頼むものを持っていない状態であり、神に対して全くの受け身の心を指している。そのような心にこそ、神の国が与えられるという約束である。
そして、私たちの日々の生活も自分の意志や努力で切り開いていく必要はなく、主によって導かれるままに生きていくことが求められている。信仰を持って生きるとは、大いなる御手によって導かれて生きるという受け身の生なのである。
そして私たちの肉体の命が終わるときには、神によって復活させて下さることが約束されている。復活ということなど、まったく人間の力とか意志、金やいかなる権力によってもできない。それはただ、神がしてくださることであり、それを待ち望むことだけが私たちにできることであり、そうした受け身の姿勢だけが必要とされているのである。
自分の力に頼って生きること、それは、主体的に生きるとか言ってこの世のほとんどの人たちがそれこそが一番よい生き方なのだと思っているが、それは実に危ないし、不安や心配に満ちた道である。自分そのものがいかに頼りない存在か、いったん事故や難しい病気になったりするとたちまち自分の意志や働きなどきわめて限定されてしまうからである。
神に対して受け身に生きるという、弱いように見える生き方が実は最も強い力を発揮する生き方であるのは、歴史を見ても、また本当にキリスト信仰に生きた人をみてもその強さがわかる。それは神の力がそこに注がれるからである。

 


st07_m2.gif語りかける神 創世記三十四章より

旧約聖書のなかには、どうしてこんな内容が載っているのかと、不思議に思われる箇所がときどきある。数千年も昔に書かれたものだから、現在の基準で考えてはいけないことは当然だが、それにしてもなぜ、こんな記事がわざわざ残されてきたのかと読む者にとって不可解な内容がある。
創世記の三十四章のような記事もその内の一つである。なぜこのような事件が生じたのか、それは、ディナというヤコブの娘が、その土地の娘に会うために出かけたということであった。そのような単純なことから、大きな事件となってしまった。その土地のヒビ人のシケムという男が彼女を辱めた。そのような事態になって、どう解決するのか、どのようにしたのが最もよい道なのか、ヤコブもはっきりとは示されなかったし、動揺のために祈ることもできなかったようである。ヤコブはただ事態を見守るだけのようであった。しかし、ヤコブの息子たち、とくに二人の子供、シメオンとレビは、激しく怒って、復讐を計画した。ちょうど、シケムと父親がディナを嫁にもらいたいとの申し出をしてきた。シケムたちは、どんな高額の結納金でも出す、贈り物も差し出すと言って、ヤコブたちを金品で引き込もうとした。もし、ヤコブや息子たちが、そのような物質的なことに惑わされていたらそのまま彼らの言うままにして、ヤコブたちの一族はヒビ人と合体してしまっただろう。
ヤコブや、息子のシメオンとレビは、そうした誘惑には負けなかったが、彼らがとった方法は、決して神に選ばれた者のすることではなかった。彼らはシケムとその父親をだまして、その求めに応じるといい、そのかわりに、シケムの属するその土地の人全部が、全員割礼をせよといったのであった。それは、割礼を受けさせてから婚姻関係を結ぶためではなく、その後で襲撃して復讐するためであった。
シケムたちはだまされて、その要求に従った。ヤコブの息子、シメオンとレビは、 正しいことに反することをしたから、それに対する義憤と、人間的な復讐の感情が入り交じっていた。そして復讐の感情が聖なる契約のしるしであったはずの割礼を、欺くという悪に用いてしまった。彼らが全く物質的なことへの欲望から自由になっていなかったのは、ヒビ人たちを襲ったときに、シケムとその父親を殺しただけでなく、町中を略奪してヒツジ、牛、ろばなどみんな奪い取ったということに現れている。こうした暴虐のゆえに、後になって、ヤコブは彼らの行動を強く非難して、彼らに神の裁きが下ることを預言している。

…シメオンとレビは似た兄弟。彼らの剣は暴力の道具。 わたしの魂よ、彼らの謀議に加わるな。
わたしの心よ、彼らの仲間に連なるな。彼らは怒りのままに人を殺し、思うがままに雄牛の足の筋を切った。
呪われよ、彼らの怒りは激しく、憤りは甚だしいゆえに。わたしは彼らをヤコブの間に分け、イスラエルの間に散らす。(創世記四十九・5-7

実際に、後の歴史において、シメオンは、シケムの土地から追い出され、カナン地方では最も砂漠で人が住めないような、ユダの南部が割り当てられ、レビは定住の場を持つことがなくなったのである。
この事件は忌まわしい事件であって、読む者を不快な気持ちにさせるものである。本来は、ヤコブと息子たちが、シケムとその親に対して、毅然たる態度で臨み、彼らに厳重に抗議し、謝罪を要求すべきであった。そうした正しい道をとらなかったがあえてこのような内容が聖書に記されているのはなぜか。
それは、彼らの罪ですらも、神は結果的にそれを用いて、ヤコブ一族が土地の人たちと混血して、偶像崇拝をするようになり、部族としても消えていくことから守られるということにされたのであった。
ヒビ人たちは、多額の金や物をヤコブ一族に与えるといったが、それはそのうちに、すべて自分たちのものになると考えていたのであり、自分たちと同化してしまうと考えていたからである。(二十三節)
神は、人間が大きい罪を犯しても、それをもご自身の御計画に用いていかれる。罪を犯したものは、裁かれる。しかし、いかなることが生じようとも、神の全体としての計画は揺るぐことなく進んでいくのだということがここには示されているのである。
こうしたヤコブの弱さのただなかに、神は語りかけて下さった。それが三十五章にある。

…神はヤコブに言われた。「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。」(創世記三十五・1

この短い言葉、「神は○○に言われた」ということが、創世記の重要な内容でもある。人間はカインのことでもわかるように、はじめから罪深い存在である。いつも真実なものに背き、離れていく傾向がある。しかし、そのような罪深い人間に、たえず神が語りかけるということが、大いなる光となっている。この混乱と汚れた世界のただなかにあって、神が私たちの魂に語りかけるという事実、それは奇跡として感じられる。人間の声、不信実な言葉や事件が横行するただなかにあって、それらと全くことなる世界からの語りかけがある。
箱船で知られているノアにしても、周囲の人々の状況はつぎのようであった。

…主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを見た…この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。神は地上を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべての人は堕落の道を歩んでいた。
(創世記六章より)
こうしたただなかではみんなその悪に染まってしまうと考えられるだろう。しかし、そのような悪に染まったただなかにおいて、神はノアに語りかけられた。
神はノアに言われた。「すべての人を終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。… 主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。…」(創世記六章、七章より)

この世では、悪は裁かれることもないと思っている人は実に多い。聖書で言われている神などいない、と考える人にとっては、裁きなどは存在しないことになるだろう。死んだらそれで終わりで、地獄も天国もなくみんな無になるというのが一番多くの人の漠然とした考え方だと言える。
しかし、悪は必ず裁かれる。 裁かれないように見える悪の力が世に満ちていると思われても、そのただ中に、神が語りかける。現在においても、さまざまの悪によってこの世はおびやかされ、真実に生きていくことができないように見える時がある。しかしそのようなどこにも神はいないと思われるようなただ中に神は語りかける。
ノアの後の時代、アブラハムやヤコブ、ヨセフ、モーセ、ダビデなど、重要な人物は多くいる。彼らはみんな、何らかの悪意や敵意などのただなかで生きていた。もしそのような悪意ばかりしかないのなら、彼らもついに倒れてしまったであろう。預言者のうちで、最も力ある人の一人であったと思われる、エリヤという預言者ですらも、厳しい迫害に直面して、もう生きる気力をも失ってしまったこともあった。しかしそのような絶望的なほどに悪に追い詰められたときでも、そのただ中に、神が語りかけて、再びエリヤは力をうけて、自分に課せられた使命のために立ち上がることができたのである。(旧約聖書・列王記上十九章)
神の生きた語りかけ、それこそは創世記全体においても、とくに重要なテーマなのである。失敗や、罪、思いがけない事件、それらからの悲しみや苦しみ、そうしたすべてを主はご存じであって、そのような闇のただなかに神の語りかけが与えられる。ディナの事件は大きな闇である。ヤコブ一族を覆う暗い陰となった。しかし、そのような闇のなかに差し込む光があるということをこの記事は語っているのである。



st07_m2.gif神への讃美のために戻ってきた人

聖書には、旧約聖書から現在のハンセン病と思われる病気のことが記されている。ハンセン病はこの世で最も不幸な病気といわれ、また人間が認識した最初の病気であるともいわれる。すでに前二四〇〇年ころのエジプトのパピルス文書にハンセン病は記録されており、ペルシアでは前6世紀に知られ、インドや中国の古い文献にも記されているという。
当時は病原菌のことももちろんわからなかったので、現在のハンセン病以外の皮膚病も含まれていたと考えられる。
新約聖書のキリストの時代になっても、ハンセン病の人たちの状況の苦しみは非常なものであった。そうした恐ろしい苦しみ、それは肉体的にも、精神的にも耐えがたいものであったであろう。ハンセン病以外の皮膚病であれば、そのうちに治って、社会生活に戻ることもできたが、ハンセン病そのものに冒されていた場合には、汚れているとされ、治ることなく次第に病状は進行していく。家族からも社会からも放逐され、体も心も深く傷つき、そのゆえにこの世で最も不幸な病気と言われるほどであったと考えられる。
そうした恐ろしい闇のなかに放置された人たち、そこにはだれも何の救いの手もさしのべることはできなかった。世間の人たちと交際することすらできず、人のなかに入っていくこともできない状態であったからである。
そのような極限状態に置かれた人たちに、深い信頼を呼び起こしたお方が、主イエスであった。
それはつぎのような記事によってもうかがうことができる。

…イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。
ある村に入ると、らい病(*)を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、
声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。
イエスはらい病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。
その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。
そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。
そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。
この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ福音書十七・1119

ハンセン病の人たちは、一般の人々との交際を禁じられていた。人混みのなかに出て行くこともできなかったようである。だからこそ、ここの記事にあるように、「遠くの方に立ち止まったまま」、大声で叫ばねばならなかったのである。

祭司が調べて、確かに発疹が皮膚に広がっているならば、その人に「あなたは汚れている」と言い渡す。それはらい病である。…らい病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者だ。汚れた者だ」と叫ばねばならない。(旧約聖書・レビ記十三章845節など)

このように、ハンセン病がひどくなると、その苦しみに全身をさいなまれつつ、さらに、家族や周囲からも排斥され、どこにも安住の地はなくなる。そうした絶望的状態にあったにもかかわらず、すでに引用した十人のハンセン病者たちは、イエスはそのような状況から救い出すことができると確信していた。
そのような信仰はいったいどこから生じたのか。とても不思議なことである。主イエスのすぐ近くにいて、数々の教えを聞き、その奇跡を目の当たりにしてきた者たちであっても主イエスが絶大な力を持っていることがわからず、主イエスに信頼するどころか、ねたみや悪意を持ちはじめる者も多くいた。
弟子たちですら主イエスに対して、なかなか絶対の信頼を持つことができなかった。そういう中で、ほとんどだれからも注目されず、その存在すら無視されていたと思われるハンセン病の人たちがこのように全身でイエスへの信頼を表したのは驚くべきことであった。
信仰というのは、私たちが求めて与えられると言えるが、他方では本人がまったく思いもよらない場合でも一方的に与えられる場合もある。私自身はキリスト教という信仰を全く求めてはいなかった。しかし、神の不思議な導きによって、一冊の本から信仰が与えられた。
このハンセン病の人たちは、文字も読めず、主イエスがなさっている数々の奇跡も見ることもなく、またその教えを直接に聞いたこともなかったであろうと考えられる。外に出た人からの情報としてイエスという人がなにか、今までとは全く異なるお方であるという、直感が与えられたのであろう。それゆえに、人がたくさんいるにもかかわらず、遠くに立って、「声を張り上げて」叫んだのであろう。それまでの苦しみのすべてを、渾身の力をこめて、イエスへの叫びとなしたのであろう。周囲のものがどう思うか、邪魔者扱いにされるだろうとか、ほかのことはいっさいかえりみないで、ただ主イエスだけを、主イエスが持っていると信じられるその神の力と憐れみに全幅の信頼をおいて叫んだのであった。
当時は、意外なことに、ハンセン病だとされた人がいやされたかどうか、それは医者でなく、祭司が判断するのであった。しかもほかのいろいろの病気については、祭司がそのような判別をするのではない。それほど、ハンセン病というのは、宗教的な病であったのがわかる。祭司に見せるために行くとは、癒されたということである。彼らは、イエスが触れることも、手をおいて祈ることもしないのに、癒されるのだろうかと信じがたい思いがあったのではないか。しかし、そうした疑いの念を超えて、彼らは、主イエスの言葉を信じた。ほかのいかなる者に対しても持ったことがないような、絶対の信頼をイエスに置いていた。そのゆえに、彼らはそのイエスの言葉の通りに、まだ治ってはいないがともかく、祭司のところへ行こうと歩き始めた。治ってないのに、祭司のところに行ってどうなるか、祭司に追い返されるのではないか、なぜ、イエスはまず病気を治した上で祭司のところへ行けと言ってくれなかったのだろうか、などなど、さまざまの思いが生じてきただろう。
 しかし、それら一切の揺れ動く心に、主イエスへの信頼が打ち勝った。
 そしてそのような主イエスへの無条件的な信頼こそが、求められていることであった。
 彼らは、そうした信仰を持って祭司のところに歩いて行った。どれほどの時間を歩いただろうか。主イエスは彼らの信仰を見届けて、彼らは歩いていく途中でその病気を癒された。「あなた方の信仰があなた方を救った」ということが成就した。
 これは、思いがけない人が、だれも予想できないような、主イエスへの信仰を持つのだということが言われようとしている。文字が読めるかどうかとか学識や、社会的地位、それまでの罪があるかどうか、などそうしたことと一切関わりのない、主イエスへのまっすぐのまなざしがここでは重要なものとされているのがわかる。人間が追い詰められたとき、どこにその必死の気持ちを持っていくか、その方向が問われている。現在なにも苦しみもない、悠々と暮らしているといった人も、いつそうした追い詰められた状況に陥るか分からない。人間は自分でそれらを自由にはできないのである。そして、私たちの霊の目が清められるほどに、私たちの現状は、いろいろの意味で危険に満ちたものであって、私たちがそれぞれに力を込めて叫び、祈る相手を持っていることが必要なのが分かってくる。
 この聖書の箇所で、もう一つ言われている重要なことがある。それは、彼らは主イエスへの絶対の信頼を持つ者たちであったし、それほどの大きいいやしを受けたにもかかわらず、主イエスのところに戻ってきて、イエスに感謝を捧げたのは、わずかに一人であったということである。

…その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を讃美しながら戻ってきた。そしてイエスの足元にひれ伏して感謝した。この人はサマリア人であった。
そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。
この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ福音書十七・1519より)

少しまえには、大声で叫んで主イエスからの助けを求めた。どうか私たちを憐れんで下さい!という必死の叫びであったが、彼らの信仰によって癒されたこの人は、他の人たちがいやされたのを知ってもイエスに感謝のために戻ってくることはなかったが、この人だけは他の人たちとは逆にわざわざイエスのもとに戻り、大きな声で感謝したという。すべてに見捨てられていたゆえに、イエスに向かって必死の大声で、神からの救いをもとめ、それが与えられたとき、大声で神に感謝する…そうした光景を思い浮かべるとき、何ごとにつけ、全身で主イエスに表すという姿勢が見られる。いやしてもらうために叫ぶときは大声であっても、いやされたときは、そのうれしさのあまり何をしようか、どんな仕事ができるだろうか、今まで行けなかったところへ行こう、楽しみがたくさんある…などなどと自分の前途のことで心がいっぱいになってしまうことが多いであろう。
わざわざいやされたことを知って、喜びと感謝をもって主イエスのもとに戻ってきて、その感謝を全身で表したのは、ただ一人で、しかもその人は、当時のイスラエルの人たちから見下されていたサマリア人であった。
神の御心にかなったことは、人々の予想することとしばしば大きく食い違っているということの例である。
かつて、結核で苦しみ、死の恐怖にさいなまれ、家族からも捨てられたような人が多く療養所にいた。そうした困難な状況のもとで、信仰を真剣に求めた人が治って郷里に帰ると音信がない、それで遠いその人のところまで訪ねて行ったら、その人は信仰を全く捨てていた。とても残念であったと、私たちのかつての集会の代表者であった杣友(そまとも)豊市兄からも聞いたことがある。
ここで、主イエスがとくに言われているのは、神への感謝と讃美ということである。「大声で神を讃美しながら…」とある。神を讃美するということは、神様はすばらしい、とそのなされた働きのことを心から喜ぶことである。それがなかったら讃美などできない。そしてそのなされたことが、自分に対してなされたことであれば、神への讃美とともに喜びと感謝の心が伴う。神のなされた働きに無感覚であるほど、神への讃美や感謝は生れないのは当然のことである。
私たちが絶えず霊的に目覚めているならば、神のなされる働きに敏感となり、それが自分と関係のないことでなく、自分に絶えず関わっているということが感じられる。
使徒パウロが、つぎのようにのべているのは、やはり私たちにはともすれば神への感謝や讃美が乏しくなって逆に不満や不平が多くなりがちであるから、それを戒めているのがわかる。

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平安があなた方の心と考えを主イエスによって守ることになる。
(ピリピ 四・47より)

だれでも子供のときから、人からなにかをもらったら「ありがとう」と言いなさいと教えられてきただろう。しかし、それは一種の礼儀として当然のことだと思うだけで、そこに喜びや本当の感謝の心がない場合でも、形式的にそう言うようになることもある。
感謝や喜びというのは、この聖書の箇所にあるように、長年の苦しい病気から開放をしてもらったというような特別な場合であっても、なお一時的な感情に終わって、その喜びを神に向かって表し、神への感謝を捧げるということに結びつかないことが多い。
たえず神に向かって感謝し、神を讃美するところに、神からも新しい祝福が注がれる道がある。このハンセン病の人のいやしの記事においても、いやされた喜びと感謝を神にささげ、イエスにひざまずいてそれを表したのは十人のうちの一人だけであったが、その人に対して主イエスは、「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われた。直接にこうした力づける言葉、励ましの言葉を受けることができたのであった。
パウロがいろいろの箇所でこのように、感謝をこめて神に祈れといっているのも、そのように神への感謝や讃美をもってするとき、神からも絶えず新たな恵みと祝福が注がれてくるからである。すでに引用したピリピ書で「神の平安」が与えられて心が守られる、ということはそうした一例である。

ここで記されている十人のハンセン病が癒された人たちはその後どのような生活に移っていっただろうか。それは記されていないが、受けた恵みを大声で感謝し、神への讃美するために戻ってくる心が継続されるとき、主イエスからも絶えざる恵みが注がれていったと想像できる。しかし、自分が受けた恵みを神への感謝と讃美にあらわさないでそのままになっていくとき、神との生きた関わりは乏しくなり、上よりの祝福や恵みもまた乏しくなっていくことであろう。
私たちも日常生活において出逢う、さまざまの出来事をことあるたびに神のわざとして受け止め、神への感謝と讃美のために神のもとに立ち返るようでありたいと思う。
「神を讃美するために帰って来た者は他にいないのか」と主イエスは今も問うておられる。

*)らい病、らい病人に関する訳語について。同じ新共同訳でも、最初に出版されたものは、「らい病」と訳されているが、現在発行されているものは、「重い皮膚病」となっている。これは、当時、この病気のなかには、現在のハンセン病(らい病)以外の皮膚病も含んでいたと考えられるからである。なお、一九九六年四月、「 らい予防法」 が廃止されると国・ 厚生省は公的に「 ハンセン病」 の病名に改めた。
レビ記にはその病気が治ったら祭司に見せて一定の清めの儀式をした後に、一般の人と同様な生活にもどれるとある。(旧約聖書・レビ記1314章) 治る場合もあるのがこの記事からうかがえるから、その場合にはハンセン病とは違った病気であったのがわかる。しかし、ハンセン病は、聖書の世界だけでなく、世界的にいかなる病気よりも恐れられ、中国でも天の刑罰をうけた病気などとまで言われたのも、その病気の恐ろしさにある。顔や手足の著しい変形や麻痺、さらに手足を切断せねばならなくなる場合もあり、患部がひどくなると、ひどい悪臭を生じたりということもあった。しかも昔は遺伝すると思われたりして、ハンセン病は、特別に恐れられ、忌み嫌われた病気であった。聖書に出てくるハンセン病患者は、こうした悲惨な状況に置かれた人であったと考えられる。新しい訳のように「重い皮膚病」と訳すると、なぜ、他にも重い病気は結核や心臓などの内臓や強い伝染性のペストなどいくらでも病気があり、それらはみんな重くなると耐えがたいものとなり、死に至るのに、どうして重い皮膚病だけがとくに聖書に出てくるのかが分からなくなる。今年十月発行の新改訳聖書の改訂版では、「らい病人」という言葉を使わず、原語のヘブル語のツァーラアトを用いて、「らい病人」は、「ツァラアトに冒された人」と訳が変えられた。しかし、これでは、一般の読者にとっては、何のことか分からない。各種の外国語訳聖書ではどうか、多数は、「らい病人」にあたる言葉を用いている。(leper(英語)、Aussatzige(ドイツ語) lepreux(フランス語)など。英語訳の一部には、「らい病」は、virulent skin-disease (悪性の皮膚病)と訳している New Jerusalem Bible infectious skin disease (感染性の皮膚病)としている、New International Versionなどもある。)

 


st07_m2.gif休憩室

リンドウ
秋の山にて野草は多く咲き始める。そうしたなかでとくに多くの人たちに親しまれ、愛されてきたのは、リンドウではないかと思います。しかし、ほとんどの人にとっては、リンドウとは、花屋さんにあるリンドウであり、それが購入されて会場や家庭で飾られているリンドウではないかと思われます。
花屋で見られるのは、多くはエゾリンドウといって、北海道などに自生しているものです。多くの花をつけ、その飾られたところに秋を感じさせる、青い美しい花です。しかし、徳島の山でみかけるリンドウには、花屋さんでは見られないような素朴な美しさを感じさせられます。

宮沢賢治の、「銀河鉄道の夜」という作品の中に、次のような箇所があります。

…その小さなきれいな汽車は、空のすすきの風にひるがえる中を、天の川の水の中をどこまでもどこまでも走っていくのでした。
「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」カムパネラが窓の外を指さして言いました。
線路のへりになったみじかい芝草の中に、月長石ででも刻まれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いていました。…(「銀河鉄道の夜」岩波文庫255頁)

車窓から見えるものは数々あると思われるのに、とくに、このリンドウが記されているのは、それだけリンドウが山野に群生しているのが、著者にとってもきわめて印象的であったからだと思われます。
私にとっても、数十年昔の大学時代に、京都の郊外からずっと何日も山を登り始め、峠をいくつもいくつも越えて、だれもほとんど通らないような道をたどって、日本海に流れ込む由良川の源流地帯へと歩いていったとき、その川の岸辺のところどころに、小さいながらも澄みきった青さの花があり、それがリンドウでした。そのリンドウは、ワーズワースの「水仙」という詩のように、ふとしたときに思い出されて、その山の奥深い原生林帯を思い出すのです。
ほとんど人も訪れない京都府と福井県境付近の深い山中を流れる渓谷、そこはさながら別世界でした。それは信仰を与えられる少し前であってまだそうした自然を創造した神のことは知らなかったのですが、その人間の手の加えられていない自然そのものの渓谷の流れと付近の樹木、紅葉しかけた美しい葉、だれも斧を入れたことのないような原生林に深く心を動かされたのです。一日中十時間ほども歩き続けても一人も人間に出会うこともなかった深い山中にあって、その清い水の流れは、私の魂のなかに流れ込み、リンドウの深い青色は心のなかに彼方の世界を指し示すものとなって刻まれたのです。
そしてそれから一年あまりたって、人間の罪を赦し清めるキリストの十字架の意味を神は私に啓示されたのでした。
秋がめぐってくると、あのはるか遠い昔のリンドウと水の流れを思い出すのです。そしてあの遠くて長い山道は二度と歩けないけれども、神の国への道が示され、いのちの水の流れを与えられ、神の国に咲く花を知らされてきたことを思います。


 


st07_m2.gifことば

166)楽(音楽)は、万物に通じる。…楽をさかんにするのは、人間の風や俗(態度や習わし)を変えるためであって、楽器の音を極めるためではない。
…楽は上下を一つにさせる。
…天地の気は流れてやまず、楽は万物を和同させる。
…仁は楽に近く、義は礼に近い…(司馬遷「史記」楽書第二より。世界文学体系 筑摩書房刊130131頁)

今から二千年あまり昔の中国の歴史家であった、司馬遷は音楽の深い意味についても語っている。楽とは単に一時の楽しみでなく、宇宙に流れているある霊的な本質を持っていることを言おうとしている。旧約聖書の詩編には、つぎのような詩があるが、それと共通したところがある。

話すことも、語ることもなく
声は聞こえなくても
その響きは全地に
その言葉は世界の果てに向かう。(詩編十九編より)

旧約聖書のこの詩を書いた著者は、いわば、霊の耳、魂の耳で聞き取る響き(音楽)がこの世界に流れているのを感じ取っていたのがうかがえる。
司馬遷も、楽は万物につうじるといって、霊的なものであると言う。
それゆえ、どのような音楽であるかによってそれがよいものであれば、人間を変える力を持っている。それは霊的なものであるから、さまざまの表面的な差別をおのずから感じなくさせる力をも持っている。それがここでいう、万物を和同させるということである。
「仁は楽に近し」、仁とは、現代の我々の言葉ではキリスト教でいう「愛」に近い意味を持っているが、それがどうして「楽」に近いのか、それは、音楽は霊的なものであり、万物を流れ、一つにするはたらきを持っているからである。怒りや憎しみは分裂させ、滅ぼそうと働くが、愛は敵対するものもその荒れた心をも一つにしようとする働きを持っており、こうした面で共通していると言える。
キリスト教では、音楽は不可欠なものとなっている。世界中でおびただしい音楽がキリスト教礼拝や信仰の助けのために生み出されてきた。今も世界の至るところで神をたたえ、祈りを運ぶ音楽が響いている。私たちの心を神へと運び、神の国の賜物を私たちの心に注ぎ入れる働きをしつつある。そして本当に音楽がその適切な働きをするときは、単にその人の一時の気分転換となるのでなく、司馬遷が言っているように、その人の精神を清め、その行動のあり方をも変えていく力を持っていると言えよう。
167)もし、我々が人間の手中のなかにおちいり、人間の暴力によって苦難と死がふりかかってこようとも、「すべては神から来る」と我々は確信している。
神の意志と判断なしには、一羽のすずめでさえも地に落ちることはないからである。
この神こそは、この神に属する人々のために、また彼らが立ち向かおうとしている事柄のために、「最良のこと」あるいは、「役に立つこと」以外のことをすることはない。
我々はこの神の御手のなかにいる。だからこそ、「恐れてはならない」のである。
(ボンヘッファー (*)一日一章221頁 新教出版社刊)

どのような悪や困難が私たちにふりかかってきても、それらはすべて神の支配のなかにある。いかに私たちとしては理解できないようなことであっても、だからこそ、すべては神の御手のうちにあると信じる信仰が必要とされている。最終的には神がそうした悪そのものを滅ぼされるのだ、と信じてさまざまの出来事を見ることの必要性をこの言葉は語りかけている。

*)ドイツのプロテスタントの牧師、神学者。精神病理学教授の子として生まれる。チュービンゲン、ベルリン両大学で学び、ニューヨークのユニオン神学校に留学、帰国後、ベルリン大学私講師、学生牧師、世界教会協議会役員などを歴任した。第二次世界大戦中はヒトラーのナチスに対する抵抗運動に加わった。一九四三年四月に逮捕され、二年程の投獄生活ののち、終戦直前の一九四五年四月九日に処刑された。獄中で多くの書簡や遺稿を残した
(「日本大百科全書」による)


168)私は彼がその双肩に負った大きな責任をいかにして果たしてきたか尋ねた。「それは全く簡単ですよ。神を讃美し、神に祈ることによってです。私はあらゆる試練に遇いました。しかし、神は常に真実であるということを知りました。…私たち自身のなかに、どんな善いことがありますか。私も無価値な人間です。しかし、そのような者であっても、キリストの名によって祈る私の祈りは聞かれるのです。大切なことは、主を信じる信仰と信頼です。…毎日聖書を読むことは、祈りにとって非常に大切な条件です。」と言って結んだ。 (「主はわが光」50頁 好本 督(ただす)*著 日本キリスト教団出版局)

*)好本督(一八七八~一九七三)は、日本盲人の父と言われた人。日本ライトハウスの創設者である岩橋武夫や、点字毎日の初代編集長の中村京太郎ら、多くのすぐれた盲人のキリスト者がいるが、好本だけは、別格の先覚者だと言われる。それほどに、日本の盲人の霊的な支えとなり、土台となる働きをした。例えば、日本盲人キリスト教伝道協議会の創設、点字毎日の設立、日本語の点字聖書の出版などがある。好本は、数々の困難な道を、神とキリストへの信仰と深い祈りによって導かれてその大きな働きをすることができた。

 


st07_m2.gif返舟だより

○八月に行われた、京都桂坂での近畿地区無教会・キリスト教集会に参加できなかった人に、一部の録音(CDに書き込んだもの)を差し上げましたが、そのなかでつぎのような感想を書いてこられた方がいました。

…自己紹介と特別讃美のCDをいただきましたが、この方々の心の内には主が住んで下さっているのだろうと思わされました。また、プレイズ&ワーシップの156番の「(聖霊の)油を絶やすことなく」という讃美を聞いて涙とともに自分のごうまんさに気付かされ一杯反省させられました。
音楽は病人の心とからだを癒す力があると日野原重明さんが言われていましたが、本当にこの156番の讃美によって疲れすぎていた体もストレスだらけの心も何か軽減した気になりました。また、このCDにより、信仰に基づいてしっかり立っている人の生き方を学ばせていただきました。…

・また、別の入院している方ですが、「祈りの友四国グループ集会のテープ御送付下さり、お礼を申します。私たちには何よりのテープ、何度でも、聞ける利点に、落ちている記憶力にもテープによるみ言葉の説き明かしが心に良く入ってきます。…」と書いてこられた方もいます。

・録音したものは、会場の霊的な雰囲気や実際の参加者たちとの生きた交わりもなく、一方的に聞くだけですが、それでも主が用いられるときには、録音した一本のテープやCDも必要な働きをすることがわかります。入院している人や、老齢化や病気のため自宅で過ごしている人たちにとって、録音したものによって、参加できない集会の内容と共に時には、霊的な雰囲気も受け取ることになるようです。
私たちは主が用いて下さるのを信じて、どんな小さなものであっても、何かを生み出し、それを主のまえに差し出す心で用いていくと、実際に主が意外なところでその志を用いて下さるのを実感することができます。

○去る十月の十一日(土)~十三日(月)まで、偶数月の第二日曜日をはさんで、いつものように、阪神地方のいくつかの集会にてみ言葉を語る機会が与えられました。神戸市の夢野集会(上田宅)、大阪狭山聖書集会(宮田宅で、日曜日と月曜日の二回)、高槻集会(佐々木宅)、大阪府泉南市の川澄宅での家庭集会です。私たちの集会の三名の同行者とともに参加することができました。今回は、いつもの参加者の他に、山陰地方から初めての参加者がありました。その方は、ホームページやメールを通じて交わりが与えられるようになった、大学生で、神戸と大阪狭山での集会に参加されました。今回初めて会ったのですが、メールで何度か連絡を取ったり意見交換などして、ホームページも見ていたので、いろいろと話す機会ともなりました。このように、インターネットによって新たな交わりや働きが紹介されたり、学びの場となったりすることもあります。