2003年9月 第512号・内容・もくじ
終わることなき希望 ヒルティの詩から |
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祝福を求め続ける歩み ヤコブとエサウ |
ひとみを守るように
旧約聖書には、神の示した正しい道に従えなかった人々がきびしく裁かれる状況がしばしば記されている。そうした印象によって旧約聖書の神は裁きの神であると漠然と思っていて、新約聖書で初めて愛の神としてのすがたが現れると思っている人が多い。しかし、すでに旧約聖書においても、神の愛は特別な表現で記されている。
…主が、あなたたち(神の民)を略奪した国々に、こう言われる。
あなたたちに(危害を加えようと)触れる者は
わたしの目の瞳に触れる者だ。(ゼカリヤ書二・12)
人間は他人の苦しみや悲しみに対しては鈍感である。自分の親しい人、肉親であったら、その苦しみなどは身近に感じるが、それでも本人が感じている苦しみのごく一部に感じている程度であろう。身近な人であってもこういう状態であるから、どんな悲劇が新聞などで報じられていても、ほとんど何も感じないことが多いし、ときたま感じてもすぐに忘れてしまうというのが私たちの実体ではないだろうか。
しかし神は、どんな小さいことでも感じて下さる。神の愛の敏感さ、繊細さ、それは、私たちを目の瞳のように敏感に守って下さるほどのものだということが、記されている。瞳というのは、人間のからだのうちで、最も敏感に反応するところである。ほんのわずかのゴミでも、近づこうとするとただちにまぶたが閉じられて、瞳は守られる。
このように瞳はきわめて小さな攻撃にも守られているが、神がそのように敏感に私たちを守ってくださっているというのは、驚くべきことである。神の愛が人間の苦しみに対してとくに敏感に感じて守って下さるということが、このような箇所に見られる。
それは、この預言を受けた預言者自身の経験であっただろう。神の言葉を受けるということは、神の近くに引き上げられることであり、神のご性質をいっそうはっきりと示されることである。
主は荒れ野で彼を見いだし
獣のほえる不毛の地でこれを見つけ
これを囲い、いたわり
御自分の瞳のように守られた。(申命記三十二・10)
このような繊細な愛のことは、すでに旧約聖書の古い時代、モーセが神から受けたと伝えられてきた文書(申命記)にも記されている。水や食物のない砂漠地帯において、最も必要であったのは、そのようなこまやかな神の配慮であり、守りであったのである。私たちも人生の荒野において、心を病むことがさまざまのところで生じているのを知っている。
けれども、もし、私たちがこうした心の奥深いところまで届くような愛を受けるならば、そのような心の病に陥らずにすむだろうし、そのような心の病も、瞳を守るような神の愛に触れるならいやされることであろう。
日本も、世界も現在の状況は、外見的にも、内的、精神的にも荒廃の中にある。
東京都知事が、T外務審議官の自宅に発火物をしかけられたことについて、T氏や、外務省の北朝鮮外交を批判して、「当たり前の話だ。良識ある国民の不満、怒りだ」などと公言した。北朝鮮は拉致という一種のテロをやっていると批判する一方で、気に入らないやり方をするものは、爆発物を仕掛けるというテロ行為をしても当然だというのは、もし、適当な機会があれば、自分もそれと同種のことをやるということになる。こんなひどいことを公然と言う危険な人物が、日本の首都の代表者だとは驚き入る。
二年前のアメリカの世界貿易センタービル爆破事件や、現在のパレスチナ紛争はまさに、こうした考え方によって双方が攻撃しあっているのである。
こうした考え方は、今に始まったことでなく、人間の攻撃的な本性のゆえに昔からどこにでもあった。子供が誰かにいやなことをされたから、仕返しをするというのと同様な考え方なのである。それが、規模が大きくなると、そのまま戦争の肯定になっていった。
相手が気に入らないことをやっているなら、武力で攻撃して殺しても当然だということになり、そのとき、関係のない一般市民が巻き添えになっても構わないという考えである。
私たちがそうした精神の荒野にあることを痛感するとき、今から数千年前に書かれた、この申命記の言葉に記されているような神の愛こそ、荒野をうるおすいのちの水となってくれる。
終わることなき希望 ヒルティの詩から
これまでわたしは十分自分のために生き、
その悲しみを味わいつくした。
自分で造った家はくずれ落ち、
そのあとから新しい家が建てられた。(*)
永遠をめざして立てられた家、
時間の流れによっても壊されない家、
天の火はそこに燃え立ち、
捧げ物の煙は 日ごとに立ちのぼる。
神の怒りは解け―戸は開かれた―
貧しき魂は解き放たれた!
わたしの前途にはかぎりない希望と
驚きに満ちた時とが続いている。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために」上 九月一日の項より)
(*)以下の箇所の原文
Ein Haus,fur Ewigkeit gegrundet,
Das keine Zeitflut untergrabt,
Aus dem,von Himmelsglut entzundet,
Ein taglich Opfer auswarts strebt
Der Zorn ist aus- die Tur ist offen-
Die arme Seele ist befreit!
Vor mir liegt ein unendlich Hoffen,
Und eine wundervolle Zeit!
○この詩は、古い自分が滅び、そこから新しい人間とされたとき、その魂のうちになにが生じてくるのかを印象的に描いている。ヒルティ自身の長い生涯の実際の体験が背後にあるのを感じさせる。
長く自分のために生きてきた、そうして築き上げたすべては崩れ落ちていった。それがすべて崩壊していくのは、当然のことであった。神に根ざしていないものは遅かれ、早かれ壊れていくものだからである。
しかし、神を信じ、神に頼っているものには、その崩れ落ちたところから、新たな家が建てられていく。それは神ご自身がなさること、自我の崩れ去ったところに、新たな芽が出るように、神と結びついている魂には必ず新芽が萌え出ずる。
そしてそこには自我の欲望の炎でなく、天来の火が燃え始める。そして自分に取り込むことでなく、神への捧げ物が日ごとになされていく。
そのような変革をとげた魂は、神のさばきとは無縁のものとなる。狭い自分というなかに閉じこもっていた魂はようやく自由な世界、霊的な世界に羽ばたくようになる。
前途にはもはや、闇や混乱がみえるのでなく、逆にどこまでも続く希望、永遠の世界へと通じている希望があり、この闇の世界のただなかにあっても、時の流れすら驚くべきものとなる。その時間の流れのなかで、驚くべきことが生じていくのを霊の目によって実感するゆえに。
謙遜について
傲慢とは、自分を力あるものとし、他人を見下すような態度であり、謙遜とは言葉使いとか態度がそのようでないことと思われている。しかし、単にそうした外に現れた態度だけをいうのでない。
自分が小さいと感じるのは、いろいろの能力が欠けていることで小さいと感じることもある。例えば、数学ができない、英語がわからないといったことから、自分はわずかの能力しかない、小さいものだと感じる。大人になっても、毎日の生活のなかで、自分自身の性格を変えられない、仕事ができない、思ったことが表現できないなど、いくらでも自分が小さいと感じることはある。ことに病気になると、それが苦しいものであるほど、自分が小さいことを痛切に感じさせられる。このように、この世にはだれにでもいろいろと苦しいこと、困難な問題が生じて、自分の力がないことを思い知らされることはたくさんある。
それにもかかわらず、人間は傲慢であるのはなぜだろう。自分が小さいと感じても、自分より小さいとか、劣ったと思われる人間にはすぐに傲慢になる。 それはやはり、本当に自分の小さいことがわかっていないことと、愛を持たないことにある。
小さな存在に対して見下すのでなく、慈しみをもって、またその小さな存在が支えられるようにと願う心をもっているなら、そこには傲慢な心は出てこない。
真の謙遜とは、神の前にどんなに自分が小さい存在であるかを実感するところにある。単に小さいと感じるだけでは、十分でない。その小さいと実感するにもかかわらず、その取るに足らない自分に、神が顧みて下さり、力を与えて励まして下さり、ともに歩んで下さることを知ることにある。
どんなに能力があり、仕事ができても、本当にだれに対してでも愛をもっているのか、生活の場において、正しいことがいつもできているのか、いうべきことを言い、言うべきでないことを言わないという基本的なこともできているのか、自分中心でなく、真理をまず第一に考えているのか、などといったことを考えるとき、私たちはそうした真実のあり方からははるかに遠く離れていること(罪)を感じる。
そうした罪を知って自分の小さいことを知り、そこに、罪の赦しという神からの力が注がれることを経験するとき、初めて私たちは本当の謙遜へと近づく。人間の心の最も奥深いところのできごとである罪ということを赦したり、取り除くことができるのは、どんなに権力があろうとも、金があろうともできないのであって、そうした罪を除くことこそ、人間を超えた力のはたらきである。それゆえ、そのような罪のゆるしを経験した者は、この世には、生まれつきの能力や金などどんな力も及ばない、神の力が存在することを知らされる。
キリストの弟子たちは、すべてを捨ててキリストに従ったし、三年の間、間近にキリストの言動、大いなる奇跡を目の当たりにしてきた。それでも、なお、キリストがもうじき十字架にかけられるという時であっても、だれが弟子たちのなかで、一番偉いのかとか、キリストが王となったときには、自分をあなたの右において下さいといった願いをするような、自分中心的な考えであった。だれが一番大きい存在なのかということを問題にする心は、小さいものを見下し、自分が他の者よりも大きいのだという意識にとらわれていることになる。
そして、ペテロはたとえイエスが殺されるようなことがあっても、従っていくと明言したのに、その直後のゲツセマネの園における祈りのときには、イエスと共に祈ることができず、ほかの弟子たちと共にみんな眠ってしまった。そのときの主イエスの祈りは、生涯のうちで最も真剣なものであって、苦しみもだえつつ祈り、そのときには血の汗がしたたり落ちたと記されているほどであった。
しかも、そのすぐあとに主イエスが捕らわれたときにはみんなが逃げてしまったこと、ペテロは三度もイエスを知らないと否定したことが書かれている。それは、どんなに人間が小さいか、を思い知らせることであった。
しかし、それだけで終わらなかった。そうした心に刺さる深い痛みを味わったあと、主イエスによる赦しを受け、そこから復活のキリストに出会い、さらに、そのキリストから命じられた通りに、みんなで祈っていたときに、大いなる力が上から注がれた。それは聖霊であった。この聖霊が与えられてはじめて弟子たちは本当の謙遜なものとせられていった。
パウロも、こうした本当の謙遜を知っていた代表的人物であった。
しかしわたしたちは、この宝(キリストの福音、真理)を土の器の中に持っている。
その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。(Ⅱコリント四・7)
パウロは自分は土くれのようなものだと感じていた。それが「土の器」という言葉に表れている。しかしそのような小さい存在であるにもかかわらず、そこに計り知れない神の力が与えられているという確かな実感があった。
謙遜とは、英語で humility というが、この言葉は、ラテン語の humus に語源があり、これは、「土」を意味する。パウロは文字通り自分が土のごとき存在であることを感じていたのである。
「真の謙遜とは、自分以外のところから来ている力を実感することだ。」とヒルティは簡潔に述べているが(*)、たしかにそのように自分が小さいと感じ、そこに神からの力が与えられるという経験をすることで初めて私たちは謙遜ということを知る。
新約聖書のはじめのところで、主イエスの教えの最初にある、「心の貧しい者は幸いだ。天の国はかれらのものである。」ということもこの真の謙遜あるところに、天の国が与えられるという約束なのである。
(*)眠れぬ夜のために 第一部 9月6日の項
止むにやまれぬ心
現在、聴覚障害者が手話を用いることはごく自然なこととして、多くのひとたちや学校でも手話が学ばれている。しかしそれは最近二十年ほどのことで、それ以前は、手話といってもまだまだ奇異な目で見る人も多く、全国のろう学校でも、ほとんどすべてが手話を禁止していたのであった。私がろう学校の教育にかかわっていた当時、全国でわずかに数えるほどのろう学校が手話をろう教育のなかで取り入れていただけであった。手話を用いないで、唇の読み取りを重んじ、残されている聴力を補聴器を使って発声できるように訓練していく口話教育が全国のろう学校に浸透していた。
それは、ろう児に手話だけで教えると、正しい日本語が身につかない、言葉を発することができなくなる、残っている聴力を訓練しなくなる、補聴器をつけなくなるといった弊害が案じられてのことであった。確かに、幼いときから手話だけで教育して、発声の練習とか聞き取り、唇の動きで言葉を読み取る訓練などしないなら、ろうあ者の能力は相当制限されてしまうだろう。
しかし、ほとんど全国のろう学校で手話を全面禁止するようになったことで、ろうあ者には、楽しく会話するということが禁じられる結果となった。唇を凝視して、読み取ることは至難のわざで、そこにはリラックスして会話を楽しむといった雰囲気とはほどとおいものになる。たえず、読み取り間違いをしつつ、前後の文や発言から類推をしつつ、唇の動きを読み取っていかねばならない。それは非常に疲れることであり、そのような会話は到底たのしい会話とはなりえない。
発声や聴力の訓練、読み取りなどとともに、手話を併用していくのが正しいあり方であると私はじっさいにろう教育にかかわってはっきりと知らされたのである。
戦前において、全国のろう学校で、手話が禁じられていくなかで、ただ一つだけ手話の重要性を見抜いて、それをあくまで守り通したのが、大阪私立ろう学校であり、当時の高橋潔という校長であった。彼は、いかに周囲が口話教育へと全面的に移っても、自分が経験的に知った、手話の重要性を決して見失わなかった。それで、手話を重要視して教育でも用い続けたのであった。
その高橋潔は、キリスト者であって、彼のそうした信念は、キリスト教信仰に基づくものであったし、彼は、それだけでなく、人間として生きるためには、宗教教育が不可欠であるとしてそれを行ったのであった。高橋の宗教教育に関する考え方をつぎに引用する。
… 音楽の世界から絶縁された淋しい人生を明るく生きてきた、そうしてまた、生きていくであろうところの彼らろうあ者が淋しいこの世から再び明るい世界へと旅立つとき、すべての子等がかくあってほしい
。
身の障害を恨み、悲しむ心は露ほどもなく、まず、生きているということに感謝し、人生の終わりにおいて、悲しみの中にもなお、感謝と希望の心に満たされて皆と別れ、よりよき世界へと旅立つように、これが私のろう教育における宗教教育の念願なのでございます。
そうした大願望の止むにやまれぬ心から、あるいは、省令に反し、あるいは訓令に反きつつ、自己流の宗教教育を行ってまいりました。
宗教教育は、実にかくあらねばならない、またかくあるべしと指示されてなさるべきものに非ずして、あの子たちの持つ魂を尊重してそれをはぐくみ、育てんとする、止むにやまれぬ心からのものでなければならぬと信ずるものであります。(「手話は心」377頁~ 全日本ろうあ連盟発行)
高橋は「止むにやまれぬ心」というのを強調している。当時の文部省の省令や命令などに背いてでも、自分の内に起こってくる、止むにやまれぬ心からの動きを重んじたのであった。それが当時の日本全国の流れに逆らって手話をあくまで重要視し、また人間を超えた存在へと心を向けさせる宗教教育をなさしめたのであった。
また、生活の身近ななかからもつねに神の存在に触れるようにと心がけたのはつぎのような文からもうかがえる。
「…校庭に散るプラタナスの落葉もまた、私には尊い宗教教育の材料でした。…来年の春の新芽を立派に残して枝を離れ、安心して再びもとの土に帰るのです。家や世界を一つの樹木とするとき、お互いは一枚の葉でなければなりません、と。そこには実に意義ある人生を教えられ、不可思議な自然の妙味を知らされます。かくて、一枚の落葉も神の摂理、宇宙の神秘を教えるには十分であり…」(同354頁)
こうした身近な現象も何とかして万物の背後におられる存在を知らせたいという、止むにやまれぬ心を持つとき、よき宗教教育の材料となる。
キリスト教の長い歴史においても、つねにこの止むにやまれぬ心をもってキリストの福音をつたえようとする人たちがあとを断たなかった。それを新約聖書では、聖霊にうながされてのはたらきだと記している。聖霊が働くとき、人はそれがどのような結果をもたらすか、周囲から見下されるかといったことを超えて、自分でも止められないようなある力を内に感じ始める。そしてそのあとは、神がなさるという信頼の心も同時に生じてくる。
今も生きて働くキリスト、そして聖霊は神の御計画に従って、そうした止むにやまれぬ心を起こし、真理の福音を伝えるようにと働いているのである。
聖書の示す幸い
幸いとはどんなことか、それには多くの意見があるし、千差万別である。だれでもすぐに思い浮かべるのは、健康であり、お金であり、また家族の愛、安定した仕事、といったことだろう。それらは、子供から老人まで、おそらく圧倒的多数の人たちが思い浮かべることだと思われる。
じっさい、健康でなかったら、絶えず体に痛みや苦しみが続いていたら幸いだというような感情は到底生まれないだろう。その痛みがひどければひどいほど、日夜その苦しみでさいなまれるからである。
その苦しみを取り去ってほしい、何とかしてその痛みから抜け出したいという気持ちでいっぱいになり、他のことは思わないほどになるだろう。
家族の不和で悩むときには、それは日夜忘れることもできない。職場の問題ならそこを離れるときにはまだしもその重荷は軽くなる。しかし家庭の問題は深刻になるほど他人に話すこともできず、話してもどうにもならず、日夜忘れることはできないだろう。
それゆえ、家族が平和で暮らしているということもだれにとっても無条件的に幸いだと感じ、それを願うことになる。
こうしたわかりやすい幸いは不思議なほどに聖書では書かれていない。それは驚くべきことである。幸いなことという、だれにとっても当たり前と思われていることが、聖書では想像もできないような内容で示されているからである。
次の旧約聖書の詩編三十二編に表されている幸いということは、こうした聖書の見方をはっきりと示す箇所の一つである。(以下の詩編の訳文は、現代の各種外国語訳も参照して、現代の日本語としてすぐに分かる表現にした箇所がある。)
いかに幸いなことか。
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は!
いかに幸いなことか。
主に咎(とが)を数えられず、心にいつわりのない人は!(旧約聖書 詩編三十二・1~2)
人間の幸いの最も根源的な内容は、人間の精神の最も奥深いところにある。もし、人の心の意識していないほどの奥底で、真実に反した思いや考えが潜んでいるとき、それはどこかで必ず現れるであろう。自分中心に考え、自分のことを第一にしてしまう言動となって現れる。そこから他人が自分を損なうようなことをしたらそれに怒り、不満や憎しみを感じたり、見下したりする。そうしたところには静かな平安はない。揺るがない心の平和はない。私たちの内から、いのちの水というべきものが溢れ出てくるには、私たちの魂の根源にて清められていなければならない。そこが濁っていたら、その濁りはつねに私たちの思いや行動に現れてきて、平安を乱すことになる。
聖書はこうした真理を深く見抜いている。それゆえに人間の魂の根底が清められることを第一に置いている。
この詩は、そうした作者の気持ちが数千年という時間を超えて伝わってくる。
本当の幸いとは、真実そのものであられる神に背く本性(罪)が変えられることだと知っていたのである。そのために、その罪が赦される(*)ことを幸いの根底にあることだと見抜いていた。
この詩の冒頭にある、「いかに、幸いなことか!」と訳された原語は、アシュレーという言葉で、この言葉は、詩編全体のタイトルともなっている第一編の最初にも置かれている。詩編はこのアシュレーという言葉を全体のタイトルとしているとも言えるのであって、これは、「ああ!」とか、「おお!」のような感嘆詞の仲間で、「なんと幸いなことか!」という感動を表す表現である。
この表現は、旧約聖書全体では、四十回ほど現れるが、詩編だけで、二十八回現れる。詩とは本来感動から生まれるものであるから、この言葉が多く用いられているのも当然であろう。詩編とは、ほかの国々の詩集にみられるような、たんに人間的な感情を表現したものでなく、神への信仰の中から生まれた深い感動が中心となっている。
(*)「(背きを)赦され」と訳されている原語(ナーサー)は、「上げる、取り去る、運ぶ」といった意味がもとの意味で、そこから罪を取り去る→罪を「赦す」という意味にも用いられている。「わたしは手を天に上げて誓う。『わたしの永遠の命にかけて…」(申命記三十二・40)において、「(手を)上げる」と訳されている原語が、ナーサーである。
私たちの心の奥にある、汚れや自分中心の本性、そうしたものが、取り去られるということは、人間のあらゆる幸いの根底を与えてくれることなのである。
私たちが、この詩がわからないというとき、それはこの詩が最も重要視している罪の重さということが、わからないからだと言えよう。それを深く感じるほどに、この詩が言おうとしていることが人間の根本問題なのだと感じられてくる。
私たちが、夕日や広大な海や、山々の美しさ、あるいは植物のさまざまの姿など、自然の世界に触れるとき、人間に触れるのとはどこか大きくことなったある感じ、または安らぎを感じるのは、それらが、罪というものを持っていないからである。
罪を取り去る、あるいは、罪を覆うという表現には、神は私たちのさまざまのよくないところをあえて見ようとせず、それが清められ、それを取り去ることに心を尽くして下さっているのを感じる。人間はその逆が多い。よいところがあっても、それが見えず、かえってよくないところを見ようとする。そこからさまざまの紛糾が生じてくる。
私は、罪を告白しなかった。そのため、私は苦しくて、一日中叫び続けて疲れ果ててしまった。(*)
昼も夜もあなたは私を罰し続けられた。
私の力はまったくなくなってしまった。
あたかも、夏の暑さによって水分が渇ききってしまうように。
そうした苦しみの後に、ようやく私は罪を告白した。
私は自分の悪しきことを隠さなかった。
罪をあなたに告白しようと思いを定めた。
そのとき、あなたはあらゆる私の罪を赦して下さった。
(*)この箇所は、新共同訳などの邦訳では「絶え間ない嘆きに骨まで朽ち果てた」というような訳文となっている。しかし、骨まで朽ち果てるというのは、地中に埋めた骨が長い年月によってくち果てるというような場合しか使われない表現であり、「嘆きによって骨までくち果てる」などということはあまりにも、誇張した表現と感じられる。数千年前のヘブライ人がこうした表現を使っていたとしても、現代の言葉としては意味不明になる。そのため、外国語訳にもよりわかりやすい表現にしてあるのもいろいろある。(RSV,NRSV,TEV,Living Bible,Einheits Ubersetzung,Truduction Oecumenique de la Bibleなど)下はその例であり、ここでの邦訳はその英語訳に従った。 When I did not confess my sins, I was worn out from crying all day long.
Day and night you punished me, Lord; my strength was completely drained,
as moisture is dried up by the summer heat.
Then I confessed my sins to you; I did not conceal my wrongdoings. I decided
to confess them to you, and you forgave all my sins.(Today's English Version)
自分に罪がないとして、自分が正しいのだと考えている間は、苦しみはなくなることがない。自分が正しい、という感じ方は、他者が間違っているとかそのゆえに、見下したりする。そうした間は、自分の罪は分からず、なぜ苦しいのかもわからない。しかし、時がきて自らの罪に気づき、そこからその罪の深さを知らされたとき、初めてそのどうすることもできない心の奥底にある罪を取り去って頂きたいと願うことになる。
他者の罪でなく、自分の罪に気付くこと、そこから私たちの本当の歩みが始まり、揺るがない幸いへの出発点となる。そのようにして神に罪を告白するとき、神は意外にもそうした長い間気付かなかった罪であるにもかかわらず、それらをすべて取り除き、それらをあえて見ないようにしてくださる。
ひとたび人間の根源の問題にまで下って行った者は、あらゆる表面的な幸いとは異なる幸いがそこにあるのに気付く。それが、この罪の赦しということなのである。
このようにして罪に気づき、その罪を赦された者は、強固な精神的な基盤を持つことになる。罪赦されるということは、神との結びつきが与えられるということであり、それは神の力が注がれることになる。ひとたびこの罪の赦しを経験した者は、人生の困難において、祈りという力の秘密を知らされたのである。
しかし、もし罪を認めず、自分を正しいとするかぎり、神との結びつきが回復されず、神からの力もまた注がれない。
私たちの力の根源とは、生まれつきの意志の強固さや決断力でもなく、また人生経験が多いということでもなく、読んだ書物の多さでもない。それは健康、病者、年齢や民族の違いとか時代などあらゆることとは違った、すべての人間の内部にある罪に気づき、それを赦されるということなのである。
ここに聖書の中心があるゆえに、パウロもその代表的な手紙でこの詩を引用している。
同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえている。
「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。
主から罪があると見なされない人は、幸いである。」(ローマの信徒への手紙四・6~8)
そして、宗教改革者として広く知られている、ルターもまた、この詩をすべての詩編のなかで最もすぐれているいくつかの一つだといった。(ルターの卓上語録より)
それらは、とくにパウロの手紙にはっきりと記されている、信仰による救い、罪の赦しの幸いを強調している詩であり、その第一にこの詩編32編をあげ、さらに51編、130編、143編をあげたという。(**)
(**)この詩はまた、アウグスチヌスが特別に愛した詩でもあり、彼の最後の病のときに、そのベッドの向かい合った壁にこの詩を書かせたという。 そしてこの詩は、古代のキリスト教会によって、七つの悔い改めの詩とされた中にも含まれている。ドイツの有名な旧約聖書注解(ATD)では、つぎのようにこの詩について述べている。
「この詩は神から逃れることのできない人間が自分の良心の苦闘と苦難について証しした詩のなかでは、その経験の直接的な力によって、最も力強いものの一つになっている。良心とはいかなるものであるかを感得させてくれる迫真の描写のうちに、この詩の特質と永続的な価値とが秘められている。」
また、十九世紀の世界的な大説教家であった、スパージョンは、詩編に関して全三巻千五百ページにもなる書物(THE TREASURY OF DAVID )を書いたが、その注解において、この三十二編を、「すばらしく福音的 gloriously evangelic」と評している。
あなたの慈しみに生きる人は皆、
あなたを見いだした時、あなたに祈るべきなのである。
そうすれば、大水が溢れ流れるときにも
その人に及ぶことは決してない。
あなたこそ、わが隠れ場。
苦難から守ってくださる方。
救いの喜びをもって、わたしを取り囲んでくださる。
罪を知り、その赦しを与えられて初めて、人は神との結びつきを与えられる。そして祈りによってその近くに感じられる神と語り、神からの力を与えられるようにと絶えず祈ることができるようになる。祈りの道がそこから開けてくる。
そうして困難のときに絶えず祈ることを忘れない者は、この世の大波が襲ってきても、打ち倒されない力を与えられる。罪赦されることからこのような生きた隠れ場を与えられ、安らぎの場が与えられる。こうして、かつては苦しみと他者への怒りや不満があり、世界もそうした暗いもので満ちていると感じていたのであるが、ここに至って、「救いの喜びをもって、私を取り囲んで下さっている」とまで、実感するようになる。
この作者は最初は、自分の内なる力がことごとく夏の太陽で水分が渇ききってしまうように、失せてしまったとの実感があった。なんと大きい変化であろうか。至るところ、砂漠の大地のように、渇ききっていのちも失われている世界から、神の慈しみが取り囲むと感じるほどにうるおいに満ちていると感じるのだから。
こうしたゆたかな神の恵みに目覚めた体験は、有名な詩編二十三編でもうかがうことができる。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。…
死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。…
命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。(詩編二十三編より)
この最後のところにある、「恵みと慈しみは私をいつも、追いかけてくる」という言葉は、いかにこの作者がゆたかな恵みを実感していたかがうかがえるものとなっている。かつては必死になって神の恵みや慈しみを求めても得られなかったのに、今では神の恵みや慈しみの方が私を追いかけてくるほどに、もはや神の恵みは失われることのない生活へと変えられたというのである。
神の慈しみが取り囲み、あるいは、追いかけてくるという、特別な表現は、神を信じる者の生活がどのようなところへと続いているかを指し示すものとなっている。御国への道、それはこのような祝福の道なのである。
神に逆らう者は悩みが多く
主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
神に従う人よ、主によって喜び躍れ。
すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。
この詩の最後の部分で、再びこの作者は自分を取り囲む神の大いなる慈しみを強調し、そこからおのずから神への讃美となっている。神を讃美することこそ、人間の究極的な目的なのである。
私たちは、旧約聖書の詩の世界に触れることによって、神がどのような高さと深さにまで、私たちを導こうとされているかがうかがえる。あたかも彼方の、雪をいただいた高い峰を仰ぐように、私たちはこうした詩編に記されている世界を望み見る。今はそうした状況にはほど遠くても神はそのような祝福に取り囲まれた世界へと導いて下さると信じ、確たる希望を持つことができる。そうした希望はすでに与えられたと同様な喜ばしい気持ちにさせてくれるものである。そしてどうかそうした慈しみが取り囲む世界へと私たちを導きたまえと祈り願うようになる。
祝福を求め続ける歩み ―ヤコブとエサウ
創世記に、ヤコブとエサウという兄弟の記述がある。私は子供のときにそれをふつうの小学生向けの月刊雑誌で物語として書いてあるのを読んだことがあった。子供向けの聖書物語にもこの内容はたいてい書かれている。それらは、単なる興味深い物語として読まれているようである。ここでは、このよく知られた物語が現代の私たちに何を告げようとしているのかを考えてみたい。
ヤコブは、かつて兄を欺いて長男の権利を奪い取ったことがあった。それを兄のエサウが怒って、ヤコブを殺そうとまで考えた。そのために、ヤコブは母親のいう通りに、遠い親戚のところまで逃げていき、しばらくのあいだそこで留まっていることになった。兄の怒りがとけるまでの少しの間というつもりであったが、滞在先の親族の者によって期間が引き延ばされ、二十年ほどもそこに留まることになった。そして時がきて、ようやく故郷に帰ることになった。そのとき、ヤコブの最も恐れたのは、兄のエサウが自分に対する怒りを持ち続けているかどうかであった。郷里が近づいたとき、兄が四百人もの人々を引き連れてヤコブのところに向かっているということを知らされた。それは何の目的なのか。砂漠のような乾燥地帯を、わざわざそのような多くの人間を伴って来るということは、単に自分を迎えるためでなく、自分のかつての欺きを今も憎んでいて自分たちを攻撃してくるためではないか、といった不安と恐れがヤコブにはたちまち生じてきた。それで、人間的に考えてそのような状況となっても、いずれかが助かるようにと、連れている人々を二組に分けた。
そうした上で、ヤコブは必死になって祈った。
「主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。
わたしは、あなたが私に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。
どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。
あなたは、かつてこう言われました。『わたしは必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする』と。」(創世記三十二・10~13より)
この祈りには、ヤコブの恐れと不安、そしてその中から神に必死で祈る姿がある。殺されるかも知れないという、彼の生涯での最大の危険が間近に迫っているときにヤコブがなしたことは、こうした真剣な祈りであった。その祈りのあとで、兄エサウへのたくさんの贈り物を準備した。それらは山羊やヒツジ、牛などたくさんの家畜たちであった。そのような多くの贈り物を準備して、近くの川を渡ったのであるが、ここでヤコブは不思議な行動をとっている。それは、そのような危険を前にして、わざわざすべての家族やヒツジや牛などきわめて多数の家畜たちなど持ち物をもすべて川を渡らせたが、わざわざ一人後に残った。それは何のためか、目前に迫った危険のなかで、一人だけで真剣に祈るためであったろう。
たくさんの財産や多くの家族、最愛の妻からも離れて、一人で神に向かった。そのような神に向かう姿に、主は応えられたのであった。それが、何者かが現れてヤコブと格闘をしたということである。もし、他の家族や従っている人々とともに眠っていたらこうした出来事は起こらなかった。
その者の正体が何であるか、組み打ちしているあいだに、ヤコブは徐々にわかってきたようである。それは、夜明けまで何時間もの長いあいだの格闘の後で、その何者かが、去っていこうとしたとき、ヤコブは「私を祝福してください。祝福して下さるまでは、離さない。」と強く求めたのである。もし、相手がただの人間ならば、このように必死になって「私を祝福して下さい!」と食い下がって願うことはあり得ない。早く行ってしまえ、と自分の方から追い出すだろう。このように考えるとこの何者かとは、神あるいは神の使いだとヤコブは直感していたのがうかがえる。
ヤコブの決してあきらめようとしない姿勢によって、その何者かは神ご自身がすがたを変えて現れたのだということがわかってきた。そしてその者は、名前をヤコブから、イスラエルに変えることを命じた。ここで初めてイスラエルという言葉が現れる。現在では国家または、民族の名前だとたいていの人が知っているが、もともとはこのように、ヤコブの祈りのなかでそれに応えて現れた神ご自身が、ヤコブに与えた新しい名前であった。
ヤコブの生涯においてこの川における、神との格闘は象徴的な意味を持つものであった。このとき、格闘をした相手(神)は、ヤコブの祝福を求める切実な懇願によって、祝福の約束を与えた。
このとき、神は「お前の名はヤコブでなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからである。」と言われた。人間と闘って勝つというのは分かりやすい。ヤコブは叔父からいろいろと約束を破られたり、欺かれたりした。しかしそうした試練に打ち勝って乗り越えてきたことである。しかし、神と闘って勝ったとはどういうことか。本来、万能の神とたたかって勝つなどということはありえない。ここでは、神の与えたさまざまの試練をも信仰によって乗り越えることができたことを象徴している。ヤコブは、決して模範的な人間ではなかった。しかし彼はどんなことがあっても、あきらめずに求め続けた。
20数年前に、両親のところから逃げていくとき、途中で現れた神からの啓示によって、この世界の背後には神がおられて、導かれているのだとはっきりと知って以来、困難なときには神に祈り、助けを乞う姿勢があったと思われる。それは夜中に現れた何者か、それは神的な存在だと直感したヤコブが祝福を与えられるまで決して離そうとしなかったところにもみられる。
こうしたことが、「神と闘って勝った」という表現で記されている。
しかし、このような神からの祝福を受けるということは、何らかの痛みを受けることを伴う。それが「腿を痛めて足を引きずっていた」という記述で表されている。キリスト以降では、書いたものが、聖書にたくさん収められるほどに大いなる祝福を受けた使徒パウロは、数々の迫害を受けて苦しんだし、そのうえ、繰り返し必死で祈らずにはいられないような、身体の病気をも持っていた。神からの祝福を多く受けるということは、こうした何らかの痛みをひきずっていくことと結びついているのは、歴史における大きな働きをしたキリスト者や、書物、あるいは私たちの周囲にも多く見いだすことができる。
ヤコブが大きな戦いをしたあと、「太陽は彼の上に昇った」と記されている。これも、数々の試練、困難に信仰をもって打ち勝った者の上には、神の光が射すようになるのだということを象徴的に表しているのが感じられる。
このようにヤコブの祈りは二つに分けて記されている。その一つははじめにあげた祈りであり、もう一つがヤボクの渡しでの何者かとの格闘であった。そのことから、ヤコブはようやく神からの励ましを受けて、自ら先頭に進んでいくことができた。そして可能な限りの敬意を示して、エサウに向かって行った。エサウも、四百人もの多勢の人間を引き連れてくるということは、単なる歓迎ではなかった。通常の考え方からいうと、それは攻撃と受け取らざるをえなかった。それゆえ、ヤコブは非常な恐れを感じたのであった。もしかしたら、攻撃をうけて、殺され、家族も財産もうばわれるかもしれないという極度のおそれがあった。
エサウにしても、自分の弱点に乗じて欺いたヤコブを、かつては殺そうと考えたほどであり、そのヤコブは以来まったく音信もなく、赦せないという気持ちが残っていたであろう。もしも、ヤコブが威圧的な態度を取るならば、攻撃も辞さないということから、四百人もの多勢を引き連れてきたと考えられる。
しかし、ヤコブはそうした窮地にたって、可能な唯一のこと、必死に祈ることをした。それは、わざわざ深夜に、家族やすべてのものを先に川を渡らせて、自分だけ一人で残って祈ったことで現れている。家族とともにわたり、そこで一人テントの外に出て祈ることもできたのである。ここに、このときのヤコブの祈りの真剣さがうかがえるし、じっさいその真剣さに応えて、神が現れ、霊的な試練を与え、ヤコブの祈りが自分の力でなく、ひたすら神の祝福を願う心を確認することになった。そして祝福を与えた。
この祝福とは、直接的には、目前に迫っている、命が関わるような危険から守られることであった。 その祈りの結果、祝福を与えられた。その祝福の内容はまず、困難に立ち向かう力が与えられたことであった。
ヤコブはそれまで恐れおののいていたにもかかわらず、自分から先立ってその危険と思われていたエサウに向かっていくことができたし、そこで、エサウもそれまでのまったくの未知数であったヤコブの気持ちがはっきりとして、ヤコブへの全面的な好意となった。
ヤコブの真剣な祈りと粘り強く神からの祝福を求める姿勢によって、エサウの心も変えられたと考えられる。
エサウは、ヤコブを見ると「走ってきて、ヤコブを迎え、抱きしめ、首を抱えて口づけし、共に泣いた」と記されている。それは、新約聖書のルカ福音書で、主イエスの放蕩息子のたとえで、長いあいだ行方不明であった放蕩息子をむかえる父親の描写ととてもよく似ていて、主イエスはこのエサウの態度を用いたのではないかと思われるほどであり、心広くあたたかい出迎えであった。
ヤコブが数百頭もの家畜をエサウに差し出したいと言っても、エサウは驚くことに、「自分はたくさん持っているから、それらすべてはお前が持っていてよい」と言って、かつて自分を欺いて長男の権利を奪った弟であるのに、そうした過去のことはいっさい触れることなく、ヤコブが持参したものまで、受け取らずともよいといったのである。ヤコブがそれでも強いて受け取って下さいと願ったのでようやくエサウはそれを受け取った。さらに、エサウは自分が先導してやろうと言ったし、それに対してヤコブがそれには及ばないこと、自分は多くの家畜を引き連れているからと辞退すると、エサウは、それに気を悪くすることなく、「では、私が連れてきた者たちのうちの何人かをお前のところに付けて残してあげよう」とまで言ったのである。ここには、全面的な好意以外のなにも見られない。このような過去にこだわらず、かつて自分を欺いた者に対してもすべてを赦し、好意だけを注ぐというエサウの態度は、ヤコブの祈りによって神がそのように変えられたということも考えられるが、ひとたび、ヤコブが自分に好意的でかつてのような欺く態度をまったく持っていないことがわかると直ちに態度を好意的に変える、性格的にこうしたこだわらない性格であったと考えられる。
主イエスが放蕩息子の父の姿にこのエサウの態度を用いたとも受け取られるほどに、エサウはここで好感のもてる人物として描かれている。人間的には、ヤコブよりもずっと付き合いやすい相手であったと思われるほどである。
しかし、それでもなお、神はエサウにその特別な祝福を与えず、ヤコブに特別な祝福を与えたのであった。ここに、神の祝福が人間の予想や人間的に素直だとか、あっさりしているとか、やさしいといったような性格的な長所といったことを基にして与えられるのではないことがうかがえる。
ヤコブにはいろいろと欠点もあった、人間的な考えによって事を運んでいく抜け目のない態度もあった。しかし、それでも彼の特質は、困難なときに神に立ち返ることであった。神に祈り、神にすがろうとすることであった。
そうした特質も、神から与えられた。自分が兄を欺いたために、殺されそうになって遠くまで逃げているその途中で、神はとくにヤコブに現れて天に通じる階段とそこを上り下りする天使を見るという特別な体験が与えられた。
これはヤコブにとって、以後の生涯を神への信仰に生きるということにつながった決定的な体験であった。それはヤコブがなにかよいことをしたからでも、性格的によかったからでもなかった。逆に、ヤコブは自分の行動のゆえに、兄に憎まれて逃げていくところであって何もそこにはよいところはなかった。しかし神はそうしたヤコブを選んで、とくに神の国を見させたのであった。
それ以来、ヤコブは自分を導くものは、神であることを知らされた。そしてその神に祈る姿勢をずっと持ち続けることができ、エサウとの対面のときに考えられた危険においても、その祈りを第一にした。まさにそのことが、神の祝福を受けているしるしなのであった。
神の祝福は人間のあらゆる予想を超えたところで、神の一方的な選びによって行われるということを、このエサウとヤコブの記事は伝えようとしているのである。
ある人が神を信じ、キリストを信じることができるようになったということは、その人がとくにまじめであったからとか、何かに優れていたからでもなく、ただ一方的な神の選びによる。人間のあらゆる計画をも超えて働く神の御計画によって、人は神に呼び出され、神に導かれ、そして神の言葉を担うものとされていくのである。
ことば
(164)…そしてこの信仰をもって私は出かけていき、絶望の山に希望のトンネルを掘ろうと思う。(「マルチン・ルーサー・キング 説教・講演集」90頁 新教出版社)
・前途に立ちふさがる絶望の山、それはキング牧師の時代だけでなく、はるかな古代から現代に至るまで、どこにでも見られる。そうした絶望の山を前にしてそこから前に進めなくなることは実に多い。
しかし、二千年前に、キリストはそうした絶望の山にだれもがたじろいで後ずさりせずによいように、大いなる希望のトンネルをすでに掘って下さった。主イエスは、「私は道であり、真理であり、いのちである。」といわれた。その道は、絶望の山のただなかを通って神の国の希望へと続いているのである。
(165)我々は、人と一緒のばあいにも、一人の場合にも、神を讃美したり、ほめたたえたり、その愛を数え上げるべきではないだろうか。畑を掘っているときも、働いているときも、神への讃美歌を歌うべきではないだろうか。
「偉大な神、神はわれらに道具を与えて下さった。偉大な神、彼は私たちに手を与え、喉をあたえ、胃をあたえ、知らぬ間に成長させ、眠りながら呼吸できるようにして下さった。」と。
…多くの人々は盲目になっているのだから、誰かがその埋め合わせをして、みんなのために神への讃美歌を歌うべきではないのか。
老人になり、足も不自由になった私は、神を讃美するのでなければ、他の何ができるだろうか。…私は理性的存在である。私は神をたたえねばならない。これが私の仕事である。私はそれを行っていく。私はこの仕事を離れないだろうし、また、あなた方をも同じこの歌をうたうようにと勧める。「エピクテートス 語録」上岩波文庫(「人生談義」) 70~71頁より)
・たえず神への讃美ができること、それは私たちの最終目標である。私たちが罪赦され、聖霊を受け、神の愛を受け、その愛を分かつといった道を歩むことができるほどに、その心からは自然な神への讃美が生まれるであろうから。私たちの現実はいかにそうした状況に遠くとも、そうしたところへと道は続いている。
旧約聖書の詩編にも、その150編にわたる最後には、神への讃美詩篇が集められていること、新約聖書においても、神に感謝せよ、と繰り返し教えられていることもこのことを指し示すものとなっている。
休憩室
○夏から秋の夜空
我が家から二キロほど離れたところに、かなり大きい川があります。夜の集会が終わって家に近くなるのは、夜のだいぶ更けた時間となり、その川のほとりでは通行する車も少なくなり、人はほとんど通らなくなります。夜の集会からの帰りに車をとめて歩くには恵まれたところです。河川敷に短い遊歩道があり、そこで川の静かな流れを前にして、ほとんどさえぎるものもないところなので、全天の星空が望めます。
夏から秋にかけては、やはり、南のアンタレスとか頭上に輝く、わし座のアルタイル、こと座のベガ、白鳥座のデネブといった一等星たちが目につきます。それらが大きい三角形をつくっていて、夏の大三角と言われています。そのなかで、白鳥座とその中のデネブは天の十字架とも言われる大きい十字架を形作っており、白鳥座を見ると、聖書の十字架を思い出すのです。
なお、こと座のベガは恒星では四番目に明るい星なのでよく目立ちます。
今年はそれらから近いところに火星がみえていて、強い輝きを保っていて、夜空を見るたびに火星を見て、さらにほかの明るい星々を見るのが常でした。この世がいかに混乱し、揺れ動くとも、夜空の星は変わらぬ光を放って地上の私たちに上を仰げと語りかけています。星空は人間の存在がいかに小さいか、そして永遠的に輝く光、それらを創造した神の御手の大きさを直接的に感じさせてくれます。
ことに川のほとりで、だれ一人いないところで仰ぐ夜空は、音もなく流れていく水はいのちの水を思わせて聖書の世界が身近になるひとときです。
返舟だより
○静岡の集会との相互の訪問
八月二十三日(土)~二十四日(日)に、静岡の石川 昌治ご夫妻が来徳され、訪問や集会での聖書講話がなされました。土曜日の午後に徳島に到着されてから、徳大医学部付属病院にもう十八年間も、医療過誤によって入院している勝浦
良明兄を訪ね、さらにその後は、やはり別の病院に長期入院されている、板東 テル子姉も訪ねて主にある語らいと祈りをして下さいました。
病院で長い間単調な生活をしている方々にとっては、遠くからの信仰に生きるキリスト者の訪問は心に新しい風をもたらすものとなることが多いと思われます。二十四日(日)の主日礼拝では、旧約聖書のダニエル書の一章、三章によって、信仰の旗印をはっきりとさせること、そこに神の守りと力が与えられるということが語られました。四十二名ほどの参加でした。
こうした一年に一度の特別集会をすることによって、ふだんとは違った神の力がはたらき、初めての方や日頃あまり参加されない方もみえたりして、私たちの祈りを聞いて下さる神を思います。
私(吉村(孝))も、一年に一度、静岡を訪問して、聖書の言葉の真理を語っています。今年は、九月十三日(土)~十四日(日)でした。十三日の土曜日には、静岡に到着後、石川
昌治ご夫妻と、西澤 正文兄とともに、清水市の水渕 美恵子姉と石原 正一ご夫妻宅を夜に訪ねました。水渕姉は、体調が十分でなく、集会にも出られないとのことで、短い時間ですが、聖書を読み、言葉を学び、ともに祈ることができました。石原
正一ご夫妻宅でも、初めての訪問でしたが、ここでも主にある交流が与えられ、顔と顔を合わせて語ることの恵みを思います。
十四日の日曜日には、詩編の三十二編、三十三編を語りました。
その内の、三十二編が今回の「はこ舟」に掲載したものです。詩編は、単なる人間の感情でなく、神といかにふかく人が結びつくことができるのか、何が真の幸いなのか、世界を支配するものは何か、終末にはどうなるのかなどといった人間と世界の根本問題が記されています。多くは、深い苦しみや嘆きのただなかから、歌われたものですが、それらはそうした苦難のときであったゆえにいっそう激しく神を求め、その力を求める真剣な信仰の心がにじみ出ています。
静岡地方の方々だけでなく、下田や、千葉、東京からの初めての参加者もあって、み言葉がそうした人たちも引き寄せたのだと思ったことです。いつの時代にも、人の心を惹くものは数々ありますが、つぎつぎとそれらは消え去り、移り変わっていきます。しかし、聖書の言葉だけは、数千年を経ても、一貫して人間の魂を引きつけてやまないものがあります。
○今回の聖書講話のために、静岡に行くのは、車を用いることにしました。徳島から、高速バスや新幹線で乗り継いで行くのと、車でいくのとは、所要時間はそれほど変わりません。車で行くと、途中での立ち寄りができるという利点があります。「はこ舟」の読者とか「祈りの友」、あるいは以前からの主にある友人、知人が各地におられるので、そうした方々のところに帰途に訪問を少しでもできればと願って、道路事情などにも慣れておくためでした。
今回は、静岡からの帰途、浜松市の溝口 正兄をお訪ねすることができました。溝口さんは、長く盲学校教師を勤められたことで、私が盲学校で教えていたとき、ある大きな問題をともに担っていただいたこともあり、以前の四国集会の講師としても来ていただいたこともある方です。長距離運転のため、体調の問題もあり、寄り道できるかどうかは当日にならないとはっきりしなかったので、事前に立ち寄ることも連絡してなかったのですが、ちょうど、溝口さんだけが在宅しておられ、突然の訪問でしたが、主にある愛をもって迎えて下さいました。ちょうどその日の午後は、数十年の長きにわたって毎月一度続けておられる、「憲法を守る平和行進」をされたあとで、お疲れもあったと思いますが、主に支えられたお元気な姿で、午前中に主日礼拝が行われたというその部屋にて、主にある交わりのひとときを与えられて感謝でした。
もう三十五年以上も毎月一度続けておられるということ、キリスト者の方が八割ほどで、キリスト者でない方々も加わっておられるとのこと、このような平和への訴えを一、二回することはよくあっても、数十年も四百三十九回という長い歳月を続けるということのなかに、神の導きと支えを感じたことです。