2007年12月 562号・内容・もくじ
鷲のつばさに乗せて
神の導きというのもなかなか感じられない場合が多い。どこに神が存在するのかそれすら確信が持てないということも多い。
しかし、人間から見る目、人が感じることはきわめて表面的なことでしかない。
旧約聖書には、神がエジプトで奴隷状態の苦しみと迫害にあったイスラエルの民をそこから助け出して砂漠状態の荒野を導いてこられたことが記されている。
人々がさまざまの苦しみを経てようやく神の山シナイに着いたとき神はつぎのように言われた。
…あなたたちは見た
私がエジプト人にしたこと
また、あなたたちを鷲の翼に乗せて
私のもとに連れてきたことを。 (出エジプト記十九・4)
神は鷲のつばさに乗せてイスラエルの人々を運んできたという。しかし、人々はそのような力強さを感じることなく、水もなく、食物もなく、モーセを殺そうとしたほどの苦しみの連続であった。
しかし、それは人間の側からの感じ方であって、神はそうした苦しみや困難にもかかわらず全体として力をもって翼に乗せて運ぶように守って導いてきたというのである。
主イエスが十字架にかけられたときには、あまりの激しい苦しみのゆえに、「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」と叫んだが、イエスのようなお方でも神が自分を捨てたというような実感を持ったほどであった。
しかし、そのような叫びにもかかわらず、神はイエスをたしかに「鷲の翼」に乗せて御国へと運んだのである。最初の殉教者であったステパノも、パウロをも、またその後に続く無数のキリスト者たちにおいても同様である。
現実の困難は圧倒するほどのことがある。しかしそれにもかかわらず、神は力強い翼に乗せて今も私たちを運んで下さっている。そしてそれだけでなく、この世界全体をもやはり力ある翼に乗せて、み国へと導かれているのである。
「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている。」
(ローマ信徒への手紙十一・36より)
朝ごとに
最近は、朝ごとに闇の中に輝く光を見る。それは夜明けの東の空にかがやく明けの明星を見るからである。まだみんなが寝静まっている早朝から、少し明るくなってくる六時すぎになってもなお、最後まで輝いているのが明けの明星、金星である。
目に見えるもので最も天の国に近いもの、それが星である。そしてとりわけ夜明けに闇からの解放をつげ、ここに光の国がある、ここに汚れなき世界がある、と力強く、しかも静かに告げているのが明けの明星である。
そしてこの見る者をして思わず惹きつけるような強い星の輝きは二〇〇〇年も昔から、主イエスを象徴しているとされてきた。聖書の最後の書である黙示録のその終りの章にて、イエスが「私は明けの明星である。」と語ったことが記されている。(黙示録二二・16)
この黙示録はローマ帝国のネロ皇帝のはげしい迫害のときに記された文書である。そうした闇の状況のなかに、黙示録の著者ははっきりとその闇を貫いて光るイエスを示されていたのである。
そしてそのイエスを、目に見えるものとしては最もあざやかに指し示すものが明けの明星であった。
救い主イエス・キリストが表れるということ、闇の中で苦しむすべての人たちを救うために表れるということは、その誕生のはるか七〇〇年ほども昔から力ある預言者イザヤによってその出現を預言されていた。
闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
あなたは深い喜びと
大きな楽しみをお与えになり
人々は御前に喜び祝った。
(旧約聖書・イザヤ書九・1~2)
この預言は何も戦争のない平和なときに語られたのではなかった。この預言者がこうした啓示を受けたその時代は、北方から大国が攻撃してきて、国の北部地方がその支配下に置かれ、危機的状況にあったのである。時代がどのように混乱し、人々が戦乱で死に、また戦いのために食物もまともにないような暗い状況にあっても、神はそうしたあらゆる状況にもかかわらず神の遠大な御計画が着々と進んでいることを告げられたのである。
このイザヤが受けた預言そのものも、闇に輝く大いなる光であった。そしてイザヤが預言したこの光は、それから七〇〇年も後になって現実に目に見える人間の姿、イエス・キリストとして世界に表れたのである。
今年の冬の季節、今しばらくはこの主イエスを象徴的にあらわす明けの明星を見ることができる。寒さに心が引き締まるような明け方にあって、ただ、一点の光で輝くだけ、という単純さでありながら、このような深いメッセージをたたえつつ、しかも広大な夜明け前の空を舞台に輝いている美しさは他に例がない。
これは、真理が単純率直であり、幼な子のような心がなくてはその真理が分からないと主イエスが言われたことを思い起こさせるものがある。
朝ごとに神はその明けの明星によって私たちに語りかけている。どんな闇にあっても、そこに光がある、神の光はいかなる闇にも打ち勝つのだと。
クリスマスはいつも
クリスマスは十二月二十五日というのは、今日では広く知られていて、十二月になる前から大きなクリスマスツリーやサンタクロースの飾りものが見られるようになる。
そしてキリストの降誕を祝う日であるのに、サンタクロースやケーキの日になっている。しかし、キリストの降誕を祝うといっても、キリストご自身に「誕生おめでとう」などといっても何の意味もない。
そうでなくて、これは記念の日なのである。キリスト教にかかわることは常にこの「記念」ということが中心にある。それは覚えておくことであり、思いだすことである。(*)
(*)英語では、remember という語は、「思いだす」、「覚えておく(忘れない)」という二つの意味があるが、これは、他の外国語もほぼ同様である。ギリシャ語の mimnhskw(ミムネースコー)、ヘブル語の ザーカル(zakar)、ドイツ語の ゲデンケン gedenken、 フランス語の souvenir(スヴニール) なども同様である。
旧約聖書においても、まずこの「覚えておく、忘れない」ということできわめて重要な箇所がある。それは、安息日のことである。あらゆる人間にとって根本的に重要な神のご意志を十カ条にまとめたものとして、十戒がある。そのなかに、次のように記されている。
…安息日を心に留め(覚え)、これを聖別せよ。
(出エジプト記二〇・8)
原文では、「覚えよ、安息日を」という表現になっている。神が安息し、その日を祝福されて聖別された、ということをいつまでも覚え、忘れないで実行していく、ということが神のご意志なのである。
一日一日はまったく同じように過ぎていく。しかし、大切なことは押し流そうとする流れに抗して私たちが絶えず立ち止まり、安息日を神に聖別された日として思い起こし、私たちもそれによって神に立ち返る日として覚えていくのである。
また、イスラエルの民がエジプトから解放されたときに、神が数々の奇跡をもって人々を解放させ、救い出された。そのことを永遠に覚えておくようにと命じられた。
…この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。
あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。
(出エジプト記十二・14)
これは過越の祭として現代でもユダヤ教では行っている。キリスト教では、この過越とは、キリストが十字架で死んで血を流されたことによって、私たちは罪を赦される(裁きが過ぎ越す)こととして受け取ることができるようにして下さった。そしてそのゆえにに、十字架が記念のしるしとなって、世界で知られるようになっている。
また、ユダヤ教の安息日は土曜日であるが、キリスト教では、キリストが復活したのが日曜日であったから、復活を記念することと、週に一度の安息日を記念することを重ねて、日曜日をその二つのことを記念する日として守って今日に至っている。
以上のように、聖書、キリスト教においては、神がなされた愛のわざを記念する(覚えて、忘れない)こと、それは神の祝福を持続的に受けることと密接につながっているのである。
クリスマスもその延長上にあるのであって、馬小屋に生れたイエスに向かって、「誕生日おめでとう」などということでは全くない。そうではなく、キリストが私たちのために生れて下さったことを、感謝をもって記念し、その愛を思い起こす日なのである。
そしてそのキリストが誕生のときからすでに悪の力が襲いかかり、生れたばかりのイエスを殺そうとした、ということも覚えておかねばならない。それはこの世が真理そのものにつねに敵対してそれを排除しようとするはたらきを持っているからである。そのことをはじめから私たちも覚えてそのような状況が起こってもそれは必然なのだと受けいれて、そこに神の国が来ますようにとの祈りをもってしなければいけないということも覚えておかねばならないことなのである。
けれども、イエスが私たちのために生れて下さったことを記念するだけにとどまらない。それは一年に一度だけそのようなことを思いだしたら終りというのではない。
…ああ、わたしの幼な子たちよ。あなたがたの内にキリスト・イエスの形ができるまでは、わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする。(ガラテヤ書四・19)
使徒パウロは、このように言って、せっかくキリストを信じる信仰が与えられたのに別の偽りの信仰へと引き込まれていくのを見て、キリストが人々の心に生れて下さるようにとの切実な願いを持っていたのがうかがえる。それはキリストの真の形が人々の心のなかに生れるようにという願いである。
パウロの願いはそのまま私たちの願いでもある。私たち自身も日々キリストのかたちが新たに生れるようにと願い続けなければならないし、そのような願いがなかったらいつのまにかキリストとは異質なものが心の中に、また信徒たちの集まりの中に入り込んでくるであろう。
…また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、…
人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。
(エペソ書三・17~19より)
このように、パウロは、キリストが単にベツレヘムの家畜小屋で生れたということで終わるのでなく、常に私たちの心のうちに生れ、そこで住んで下さることを切実な願いとし、祈りとしていたのがうかがえる。
主イエスが地上で目に見える赤子として生れたのは、一度きりであったが、それは人間の心に生れ、その心に住むことの象徴的な出来事でもあったのである。
同様に、キリストの復活も実際に処刑されたイエスが復活したというのは、その一度きりの出来事であるが、死んでしまった人間が神の力によってよみがえって神の国で永遠に生きるというのは、信じるすべての人に与えられている祝福なのである。
安息日というのも、もともとは、歩く距離も短く制限され、台所仕事もしてはならないというように、一切の仕事をしてはならない、ということであった。
しかし、それはキリストの復活以後は復活の記念の日と重ねて覚えられるようになり、主が共にいて下さり、私たちの内に住んで下さることによって日々が安息日であり、復活の記念となすことができるようになった。
このように、キリストは、日や場所、儀式などに限定されていたものを次々と解き放つ役割を果たしてきた。クリスマスということも、十二月二五日という特定の日を記念することによって、キリストは、主を求める私たちの魂の内に、日々来て下さっている、心の中に生れて下さっているということを新たに覚え、キリストをまだ知らない方々の心のうちに、キリストが新しく来て下さる(生れて下さる)ようにと願い求める日なのである。
まず受けること
私たちの日常生活では、積極的に生きねばならない、自分で考えて自分から行動しなければならないということは当然のことである。他人が言うままになっているのはロボットのようなものだ、自主性がない、主体性がないと非難されるだろう。
このことは、私も聖書の世界を知るまではごく当然のことだと思っていた。
しかし、聖書の世界は万事を新しくする。自分で考えて自分で行動するというが、その自分というのがいかに頼りないかを思い知らされる。自分の考え、判断が実にもろく確固としたものを持っていないし、周囲の人間や学校などの組織、会社、役所、政府などを見ても同様である。
国家が教育や社会のしくみ全体を支配して間違ったことを強制していくこともあり、それはその政府が倒れるとたちまち反対のことを言い出すのである。 太平洋戦争前と戦後ではまるで反対のことを言い始めたたくさんの教育者、政治関係者、マスコミがあったことは広く知られている。
また、自分の考えが大事というが、その自分というものが実に変わりやすい。学生のとき、卒業して職業についたときとでは全く違った考えになることもよくある。四十年ほど前の学生運動に関わっていた多くの者たちがそうであった。またそれから老年になったらまた大きく変るし、病気や大きな困難に直面したらまた変る。
それゆえに、だれでも動かないものと強固に結びつかない限り絶えず海の波のように動揺を止めることがない。
このような事実があるから、聖書はまず自分で考えてせよ、などとは言わない。自分とか他人とかのような吹いたら飛ぶような軽い存在でなく、千年万年経っても不動の存在に固く足場を置いてそこから祈り、不変の真理そのものから示されたことを受けて考え、行動せよという。
その不動の足場、岩のごとき土台こそ、神であり、キリストであり、その土台が文字で書かれたものが聖書という本である。
その土台に立つとき、私たちは自分がじつにもろく弱い存在であっても、その自分に与えられる神の愛があることに目覚めさせられる。主イエスと結びつくだけでそのように全く知らなかった神の愛が太陽の光のように注がれているのに気付く。
そのときから私たちはまず神によって愛されていること、罪が赦されたこと、そして主イエスがその愛のゆえに私たちのことを覚えて下さっていること、言い換えれば私たちのために祈っていて下さることを感じ始める。
私たちがまず神を愛したのでなく、まず神から愛され、赦され、主イエスとイエスに導かれている人たちから祈られていること、そして神によって長い年月を導かれてきたことを知るのである。
その実感があってはじめて、私たちは他者を少しずつでも愛し、祈り、赦し、そして神の国へと指し示すことができるようになる。
そして、まず愛するとか正義を実行するというのでなく、まず神の愛を私たちが心のとびらを開いて受けること、神の正義が私たちの罪の赦しのためになされたのだと信じること、それならば本来だれにでも開かれたことである。そのためには特別な能力も、健康も金も地位や学歴など何も関係ないからである。どんな弱い人、罪を犯した人でも、この世から認めてもらえない人でも、孤独に悩む人でも、だれでもができることなのである。
私たちが愛するのは、神がまず私たちを愛して下さったからである。(ヨハネ第一の手紙四・19)
聖書における神の愛
聖書とは一言で言えば、神の愛について書いてある書である。
それはその冒頭からはっきりと示されている。
…地は混沌であって、闇が深淵の面にあり…(創世記一・2)
すべてが闇と混沌であるということ、これは人間世界のあらゆる苦しみや悲しみ、そして混乱を象徴的に示すものである。その現実をこのようにただひと言で言っている。戦争やテロ、飢餓、病気、貧困、あるいは環境汚染からくる健康破壊の苦しみ、エイズや性の道具にするための人身売買、自然災害等々昔から現代に至るまで、さまざまの苦しみや悲しみは絶えることがない。
そしてなぜそのようなことが生じるのか、それは究極的な理由、原因は分からない。しかし、そのような重苦しいことだけが、現実ではない。
もう一つの現実、それはそのような闇に光が与えられているということである。そしてその光はあらゆる闇や混乱に勝利しているということである。
このように苦しめる人間の現実に、光を与え、その苦しみや悲しみに勝利する道を与えようとする神の本質がこの聖書の最初に明確に記されている。これこそ神の愛にほかならない。
そして、神の愛は無限に深いものをもっているが、人間の愛のように苦しみが少しでも少ないように配慮する、というようなものでないこともはっきりと分かる。
次に神の愛は一方的にまず与えられること、それははるか後のキリストの時代になって明確にされたが、すでに聖書の最初からそのような本質が記されている。
それは、エデンの園の記事である。
… 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。
主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。(創世記二・8~9)
最初に創造された人間が置かれた場所には、見てよく食べて良いあらゆる木々をすでに生えさせてあったという。ここにも、神はまずよきものを一方的に与えようとしておられるお方であるのが分かる。創造された人間がよく働いてその結果よい実のなる木が成長してそれを食べるようになった、というのでない。人間が働く前から良きものが十二分に備えられていた、というのである。
この一方的に良きものが与えられるということは、はるか後になってキリストによる罪の赦しということになって、人間の最も深い問題にまで適用されていった。
このように人間の側よりも先に、神からの愛が注がれるということは、信仰の父と言われ、聖書全体において大きな影響を与えたアブラハムにおいても見られる。
神がアブラハムを特別に祝福したのは、彼がほかの人間にまさって特別によいことをしたからではない。ただ一方的に呼びだされ、そして導かれたのであった。
…そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。
また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになる」。
アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。(創世記十五・5~6)
ここでは、後にきわめて重要になるテーマがすでに現れている。それはただ信じるだけで一方的に義と認められるということである。神の方からまず、呼び出し、夜空の星を見させ、そのように子孫が無数に増える、ということを言われた。特別に何かをしたからそのようになるというのではない。まず神の約束がそのように言われたのである。そしてただそのことを素直に信じるだけで、神はアブラハムの人間そのものを正しいものとみなされたという。
ここに記されている神の愛がはるか後になって、主イエスの十字架での死を私たちのあがないのための死であったと信じるだけで、義とされるという、福音の中心につながっていく。このように、神の愛の基本的な内容は三千七〇〇年ほども昔から始まっている。
次にイスラエルの十二部族のもとになったヤコブにはどのように神の愛が注がれたであろうか。ヤコブは母親に言われて父を欺いて長男の権利を奪い取った。そのために兄から憎まれ、殺されそうになって一人荒れ野を親族のいる遠いところへと逃げて行った。
そのようなヤコブに対しては、何らかの罰が下されるのではないかと予想するところであるが、実際には神はその逆をヤコブに対してなされ、天からの驚くべき階段が夢の中で示され、大いなる恵みを啓示されたのである。
それは、ヤコブの生涯に生じることを象徴的に示す出来事であったが、それだけであったら、ヤコブにだけあてはまることであって、他の人間あるいは現代の私たちには何の関係もないことになる。
しかし、ヤコブが見た天にかかる階段の夢は、はるか後に主イエスが述べられたように(*)、単なる夢では決してなく、現実のこの世において神が人に与える祝福、愛のわざを象徴的に示すものであった。
(*)更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」(ヨハネ福音書一・51) これは、人の子すなわち主イエスに天の国の霊的なものが注がれ、またイエスからの祈りが天に届くという深い交流を示すものである。。そして主イエスに生じることは、主を信じる者たちにも与えられることであり、キリスト者が受ける大いなる恵みを暗示している。
聖書で慈しみと訳されているヘブル語ヘセド(*)は、「真実」とか「変わらない」という意味を本来持っている。日本語で、愛とか慈しみというと、やさしさ、というイメージがまず浮かぶが、聖書では、「変わらないもの」、「どこまでも続くもの」という内容が基本にある。
(*)ヘセドという原語の基本的意味は、Verbundenheit (結びついていること solidarity) である。(L.KOEHLER & W.BAUMGARTNER のヘブル語辞書 「LEXICON IN VETERIS TESTAMENTI LIBROS」 による。 )聖書における神の愛は、心が惹かれるとかいった感情でなく、どこまでも変ることのない強固な結びつきという内容を持っている。
ヘセドから派生した、ハーシィードは、「忠実な、真実な faithful 」という意味を持っている。この語は、詩編一四九:5 に次ぎのように用いられている。
The faithful exult in glory, shout for joy as they worship him,(NJB) 真実な者は栄光のなかで喜び、主を拝するとき、喜びの声をあげる…。
そこから、白髪になるまで負いつづける、という言葉があるし、生れる前から、さらに天地創造の前から愛していたという驚くべき表現もある。
…同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで
白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。(イザヤ書四六・4)
…天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
(エペソ書一・4)
これは時間と空間を超えている愛の性質を著者がそのように実感したということである。天地のさまざまのもの、時間に縛られないのが神の愛だというのである。
しかし、真実と慈しみに満ちた神の本質は変ることはなくとも、人間の愛にはまったく見られない厳しさがある。神に背き続ける者たちにはきびしい裁きがなされることは、旧約聖書にはしばしばはっきりと示されているし、そのような神への背きがなくとも、大きな苦しみに直面することはよくある。
こうした神の愛の厳しさは、現代でも至るところで見られる。私たちが苦しい病気や困難な問題に直面して非常な苦しみに置かれ、どうしてもそこから脱することができないこともたいていの人の生涯に起こることである。いかに祈っても何も状況が変わらない、どこに神がいるのか、神の愛があるのかと思われるようなことがある。災害や突然の事故などによる苦しみも神の愛を疑わせるようなことである。
しかし、それにもかかわらず、そこから神を信じ、神の愛のもとに入れられた人は、そうした苦しみをも人間の思いをはるかに超えた神の愛のわざであったと実感されるようになる。
旧約聖書のヨブ記はそのような長い病気や事故、財産の喪失といった苦しみの意味が長い間わからず、苦しみうめく一人の人間が、その後長い苦しみを経て、ようやく神の愛に目覚めるということを示している。いかなる苦しみや悲しみにもかかわらずそれらを超えて神の深い愛があるのだと知らせるために、そのような長い苦しみの経験があったのである。
他方、兄弟を殺すという重い罪を犯したカインに対しては、厳しく罰せられ滅ぼされるのではないかと読む者は予想するであろうが、意外なことにそのようにはなされなかった。たしかにカインは罰せられ、「耕しても土地は作物を生み出さず、それゆえに地上をさまよい、さすらうものとなる」と言われた。そのため、カインは「自分はもう生きていけない、だれかが私に出会ったら自分は殺されてしまうだろう」と恐れて生きる希望を失った。そのときに神は次のような意外な言葉を言われた。
…「カインを殺す者は、だれであれ、七倍の復讐を受ける。」
主はカインに出会う者がだれも彼を撃ち殺すことのないようにと、カインにしるしを付けられた。(創世記四・13~15より)
これは、正義の神、さばきの神というようなとらえ方ではとても理解できないところである。聖書はこのように旧約聖書の非常に古い段階からすでに、罪を犯すものを単に罰するのでなく、その者にしるしを付け、罪にもかかわらず愛し、見守り続けるという神の本質が示されているのである。
私たちも罪深いものであるが、たしかに神がしるしを付けて、悔い改めを見守っていて下さったゆえに神を知り、キリストの十字架の赦しを与えられたと言えるであろう。
旧約聖書における詩集である「詩編」は、神の愛がいかなるものであるかをじつに克明に記した書物である。普通の詩は、人間の感情を表現したものであるが、詩編の詩は、人間の感情をあらわしたものでありながら、その背後にそのような苦しみや嘆き、叫ばざるを得ないような状況のときにあっても働いておられる神の愛が主題となっている。旧約聖書独特の表現や現代の私たちには受けいれがたいような表現があって、そのために何となく身近なものとして感じにくいということもある。しかし、そうした表面的なものを超えて見るときには、聖書の中のたくさんの文書のなかで詩編ほど神の愛を直接的に人間の生き生きした言葉で表現しているものはない。
例えば、詩編第一編からして神の愛がはっきりと記されている。
…主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び
葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。(詩編一・2~3)
主の「教え」と訳されている原語(ヘブル語)は、トーラーで、旧約聖書全体では二百数十回も使われている。それらの多数は「律法」と訳されているが、現代の私たちにもわかりやすく言えば「神の言葉」であり、ここに引用したように「主の教え」というようにも訳される。
私たちが神を信じ、神を愛するとき、自然にその言葉をも愛するようになる。愛するものをいつも心に思うゆえに、その言葉をいつも心にあたため、口ずさみ(*)、考え、瞑想する。
(*) 口ずさむと訳されている原語は、「瞑想する、考える、口に出す」等々と訳される言葉。英語訳では meditate、 utter などと訳されている。
ただそのように神の言葉を愛するだけで、豊かないのちの水を受けると約束されている。葉もしおれず、実を結んでいくという。それは言い換えると、人生のさまざまの苦しみや困難にもかかわらずそれらに打ち倒されないで、新たな力を与えられることを意味している。新たな力やうるおいを与えられるからこそ枯れていかないで、実を結ぶ、すなわちその人の内部によきものが生れ、周囲にもそのよき影響が及んでいくというのである。
人間はだれでも年とともに枯れていく存在であり、次第にいろいろなことができなくなっていくのが普通であるが、霊的な実を結び続けることはできる。動けなくなっても、なおそのような状況に不満や絶望、悲しみでなく、主の平安を持ち続けることができるなら、そのことがすなわち、実を結んでいるということである。
どのような状況にある人でも、心を枯らすような問題を抱えている。今、そのような問題を持っていないという人であっても、長い人生の歩みのなかでは必ずそのようなことが生じる。そうしたときにも枯れていかないで、生き生きとしたもので魂がうるおされるということは、何にもかえがたい恵みである。それこそ神の愛にほかならない。
天つ真清水 受けずして
罪に枯れたる 一草の
栄えの花は いかで咲くべき
注げ 命の真清水を
(讃美歌二一七番)
天からの真清水とは、神から与えられる霊的な水、聖なる霊のことであり、そうした目に見えない神の命また力が与えられない限り、人間は一つの枯草にすぎない。
花を咲かせ、実を結ぶことができない。それゆえに、主よ、清い命の水を注いで下さい! という強い願いと祈りがこの讃美の内容になっている。
そしてそのような祈り(願い)を神に向かって捧げることができるということは、この作者が、そうした願いに応えて下さる神の愛を信じていたからである。
次に、この世はいつの時代にあっても、病気や老年の苦しみ、戦争、飢饉など暗いことが満ちているにもかかわらず、天地に満ち満ちている神の愛を実感した人の言葉である。
…主よ、あなたの慈しみは天に
あなたの真実は大空に満ちている。(詩編三六・6)
このように、目には見えない神の真実や慈しみが、天に大空に満ちている、というようなことを実感した人がいたということだけでも、驚くべきことである。現代に生きる私たちもいつも天、大空を見上げている。そして真っ青な大空に白い雲が浮かび、夕方には燃えるような色の夕日や夕焼けの空、それらに接して心惹かれる思いになったり、清い空気を感じることは多くの人たちが実感してきただろう。
しかし、天を見て、大空を仰いで神の慈しみや真実が満ちていると感じた人は、ほかにいたであろうか。このように実感できる心は、天、大空だけでなく、周囲の草木、山川、海の水、波、風等々といったものにも、神の真実や慈しみを感じ取ることができるであろう。
神の愛は、どこにもない、ただ悲惨やうめきがあるだけだ、と思わずにいられない状況はこの世には至る所にある。しかし、それにもかかわらず、そのようなただ中にあって、なお神の慈しみや真実
が天に、大空に満ちていると実感できるほどに魂の霊性を深め、閉じられた扉を開いてそのようなこの世とは全く違ったような霊的世界へと導かれるのである。
魂の目が開かれたときには、自然は神の愛と真実の表現なのだと分かるのである。
旧約聖書にある「慈しみ」という言葉は、忠実とか真実という言葉とつながっている。それに対して人間の愛はまず可愛がるというニュアンスが強い。
旧約聖書で愛という言葉は、まだ人間の愛を多く表している。ヤコブのラケルへの愛や息子のヨセフ、ベニヤミンなど老年になってから生れた子どもへの愛、ダビデのバテセバへの愛等々である。
そうした人間同士の愛と対照的に神の愛が、慈しみという言葉で現れる。ヘブル語ではヘセドという。
それは英語訳では、steadfast love と訳しているのもあるように、変ることのないというニュアンスをもっている。それに対して人間の愛は実に変わりやすく変質するし、ときには正反対の憎しみにすら転じてしまう。
主イエスは十字架上での最期のときに、「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」(詩編二二・1)という叫びをあげられた。
それと同じ叫びは詩編の中にある。詩編こそは、神の愛を最も直接的に表している書物であるが、このような絶望的な声をあげずにはいられないほどの苦しみがふりかかることがあるというのが分かる。
神の愛はそのような恐ろしい苦しみに遭わせることもあるのがわかるが、このようなことは人間の愛なら決してしないことである。
他方、そのような苦しみに遭わせつつも、その同じ詩編において、その後半の部分で、前半で記されている恐ろしい苦しみとは全く異なる解放へと導かれているのが記されている。
そこには、いかなる苦しみがあろうとも、神に向かって叫び続けるところには最終的には必ず大いなる救いがあるという真理が示されている。
神の愛がいかに人間の愛と異なるか、それは、どんな愛の人であっても、自分が愛する人を、恐るべき病気にして仕事も結婚や家族の交わりも何もかも失われてしまうようにして苦しめるというようなことは考えられないことである。
しかし、そのような病気、例えばハンセン病のような、まわりの人たちから忌み嫌われて隔離されて生涯を終えなければならなかったような人ですら、キリスト信仰を与えられて後には、そのような病気すらも神の愛のゆえであった、と実感する人すらいる。
… わたしはパンに代えて灰を食べ
飲み物には涙を混ぜた。
あなたは怒り、憤り
わたしを持ち上げて投げ出された。
わたしの生涯は移ろう影
草のように枯れて行く。
(詩編一〇二・10~12)
これは、恐ろしい病気に死ぬほどの苦しみを長く経験した人の詩である。食べ物もなくなり、病の苦しみのゆえに仕事もできず、どうすることもできない絶望的な状況に置かれているのが感じられる。そのような状況は、この詩の作者にとって、あたかも神が自分を持ち上げて放り出したと実感したのである。
神は愛であり、真実ならばこのようなこと、意図的に持ち上げて放り出すといったことがどうしてできようか。
神ご自身が私を投げ捨てたのだ、それではもう私は消えていくしかない、滅びだ、と感じて、この詩の作者は、自分の生涯も影だ、枯れていく草にすぎないのだ、という思いに引き込まれた。
しかし、こうした激しい苦しみの後に、神はこの詩の作者を実際に御手をのべて助け出された。それゆえに次のように歌っている。
…主はすべてを喪失した者の祈りを顧み
その祈りを侮られなかった。…
かつてあなたは大地の基を据え
御手をもって天を造られた。
それらが滅び去ることはあるだろう。
しかし、あなたは存続する。
すべては衣のように朽ち果てる。…
しかし、あなたは変ることがない。(詩編一〇二・18~28より)
神が持ち上げて放り出したとしか思えないような状況にあって、どうすることもできなかったが、ただこの詩の作者は、それでもなお、神に向かって祈り続け、叫び続けた。それゆえに、時至ってこの作者は神の大いなる愛を実感したのであった。
新約聖書において、神の愛は至る所で記されている。聖書とは、全体として見れば、はじめに書いたように、要するに神の愛を徹底的に書いた唯一の書であるが、新約聖書は旧約聖書からずっと続いてきた神の愛を十分に啓示された人たちが記した神の愛についての完全な書物である。
例えば、新約聖書の最初は、マタイ福音書の「系図」と訳された内容から始まる。
アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟を…
このように延々と続く名前の羅列は何も愛とは関係のない無味乾燥な記事と思われるだろう。しかし、これは実は私たちが思い浮かべる系図というものが目的とすることとは全く異なる目的をもって書かれたものなのである。
日本の歴史の教科書などで系図というのは、例えば源頼朝や平清盛がどんな先祖がいたのかといった有名人の履歴のようなものであって、庶民とは何の関係もない。系図を持ち出すような人は自慢のためでしかない場合が多い。
しかし、聖書の系図はそうした人間的なものとは本質的に異なるのであって、この系図と訳された名前は神がいかにイスラエルの人々を愛をもって導いたかを示す目的で記されている。日本語としては、このマタイ福音書の最初の名前を書きつらねた部分に対しては、「系図」というのは、適切なイメージを抱きにくい訳語と言えよう。(*)
(*)「系図」と訳された原語(ギリシャ語)は、genesis であり、これはそのまま英語 Genesis となって、「創世記」という名称に使われている語である。それゆえ、有名なドイツの神学者・聖書注解者であるシュラッターは、この部分を、Buch vom Ursprung Jesu(「イエスの起源(源流)の書」の意)…と訳している。
この系図には三名の女性の名があるが、その一人ラハブ(マタイ一・5)は遊女であった。神の愛は、すでにはるかな古代から、遊女であったような女性をもキリストの先祖とした。これは、神の愛ゆえにどんな汚れたとされる人間も救いに入れていただけるということを象徴的に示すことである。
また、ダビデは神に特別に愛された人であったが甚だしい罪を犯した。それは厳しい罰を受けることになり、国民の背信行為も次々と生じ、そのために神の裁きを受けることになり、王国の崩壊へとつながっていった。そして遠い異国のバビロンに民が捕囚となって連行されていくことになった。しかし、そうした苦難にあっても、ふつうならそれで滅びてしまうはずの異国の土地においても、神の支えがあり、神の言葉が与えられ、滅びることなくふたたび遠いイスラエルの土地に帰ることができ、そのときから数百年後に、神はイエスを遣わされて救いの道を確定されたのであった。
人間がいかに罪深いか、にもかかわらず大いなる神の御手によって長い時間をかけて導かれていくか、この系図は、名前の羅列でなく、人間全体にわたる神の愛を示す記述なのである。
このように、神の愛とは最も関係がないと思われる、新約聖書の冒頭の「系図」のようなものにすら、長い年月を超えて働いている神の愛を記したものであるほどであり、新約聖書ではその内容はすべて何らかの意味で神の愛を記している。
そのなかでも、とくにわかりやすい言葉で、しかも神の愛の本質を記しているのは、放蕩息子のたとえと、ぶどう園の労働者のたとえであろう。
放蕩息子のたとえは、元来罪深く神の愛に背を向けて生きていく人間の姿が記されている。しかしそのような者をも見捨てず、かつて創世記において、罪深いカインにあえてしるしを付けて見守ったように、神はずっと愛をもって見守り続けて下さること、そしてそこから何もよいことをしていなくとも、ただ、悔い改めて神に向かって罪を赦してください、と心から願うだけでよい、それだけで大いなる神の賜物が与えられることが記されている。
この記述は、悔い改めがいかに重要であるか、そして、人が悔い改めることを神はどんなに喜んでおられるかを示すものである。
これは、別の箇所で、たった一人の悔い改めがあれば、天においては大きな喜びがあると言われたことに通じる。 その悔い改めのために主イエスは十字架で血を流されたのである。
ぶどう園のたとえは、この世で無視されている弱い人間、働くこともできない者にこそ神は目を留められ、もう働くことはできないようなときになっても招いて働き人とする。老人であれ、障害者、また病人であっても招かれる。黒人であれ差別を受けている人たちであっても同様である。
そしてこの二つのたとえには、神は豊かに与えて下さるお方であることが示されている。悔い改めた魂には、そうでないふつうの勤勉な者にはるかにまさるものが与えられる。
この世は外見的に見ればきわめて不公平である。強い者、才知にたけた者が巧みに立ち回り利益を得ることが多い。しかし、神の国においては、どんなに不器用でもまた特別な能力がなくとも、ただ悔い改めによって神の国の大いなる豊かさが与えられる。それが、放蕩息子のたとえで、最大級のふるまいがなされたということで示されている。
またぶどう園のたとえにおいても、わずかの働きで、長時間働いた人と同じような報酬が与えられるということで示されている。十字架でイエスとともに処刑された重罪人は、最期のときに悔い改めただけで、最初にパラダイスに入るという大いなる恵みを与えられたことはこうしたことの実例である。このようなキリストの愛、神の愛であるからこそ、その愛は深さ、広さ、長さ、が計り知れないと言われたのである。
使徒パウロは、死を覚悟せざるを得ないほどの苦しみに追い込まれたが、そこから復活のキリストにすがり、ついにその苦境から救い出された経験を語っている。私たちも聖書全体に記されている神の愛にどこまでも信頼して歩んでいきたいと思う。
「真理に導かれて」
堤道雄追悼文集より
二〇〇七年一〇月三〇日に表記の書物が刊行された。これは「堤 道雄先生追悼文集」という副題から分かるように、キリスト教横浜集会の代表者として長年キリストの福音を伝えてこられた、堤道雄の記念文集である。
堤 道雄のことは、私の前の徳島聖書キリスト集会の責任者であった杣友豊市さんから折々に「堤さん」という言葉を耳にしていたので、その名前だけはかなり以前から知っていた。しかし、関東地方の方々とはあまり関わりがなかったので横浜に行くこともなくほとんど知らないままの状態が続いた。
それが、一九八七年から始まった、無教会キリスト教全国集会でお会いする機会ができ、キリスト教横浜集会の方々とも関わりが与えられることになった。
徳島県には四国各地からの結核療養の人たちが集まっていた大きな療養所があり、何百人という結核の患者がいたが、その中で無教会のキリスト者たちも一〇人近くになったようであるが、その最後まで生きて去年八六歳の高齢で召された板東
テル子姉が、初めて若き日に療養所でキリスト教に触れたのは、堤先生が来て下さったときであったと話されていた。
堤 道雄は、一九一八年アメリカのバークレー生れ。学生時代からキリスト者であった。二〇歳のころ、父の蔵書の「内村鑑三全集」に感銘して教会を去って、非戦の立場を採っていた矢内原忠雄の月刊の伝道誌「嘉信」や、政池
仁の「聖書の日本」などを愛読するようになった。一九四二年に召集されて二年間アンダマン諸島に駐留。そのときの戦争の体験が後の生涯で一貫して平和への強い願いとなった。復員後は、静岡で学校の教員をしたが一年ほどで辞めて浜松の浮浪児収容所で働いた。当時は敗戦後のことで駅や町に多くの浮浪児がいて援助を待っていたのを見ていたからであろうと考えられる。
そしてその後、四国・徳島まで出向き、徳島学院という救護院で家庭的に恵まれない少年たちの教育にあたったが、堤道雄のキリスト教信仰を基とした方針が県の方の担当者と合わずに数年で徳島を去ることになった。その間にそれ以後四七年続けられた「真理」誌が創刊された。
堤は、その後横浜市で「横浜聖書研究会」を始めた。これは現在のキリスト教横浜集会となって続けられている。
堤は、その「真理」誌の創刊号でつぎのように述べている。
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…この世において、最も根本的なる事業は福音の伝道であるということができます。私が内村先生の影響を受けて強い回心を経験し、そのとき深く福音の伝道者たらんと決意したことが、決して誤りでなかったことを確信しました。私は社会事業は伝道なりと思って働いています。けれども何とかして直接福音の伝道の方法が現在の私にないものかと考えていました。さいわい去年六月、徳島無教会主義聖書研究会をつくることができました。…この小冊子の使命は、聖書の真理をいかに純粋に、大胆に明白に伝えるかであります。世はまさに神の言のききんであります。
ただ神の導きをいのります。
一九五〇年一月
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このように、堤は三〇歳になったばかりであったが、徳島に赴任して、すでに少数が集まっていた徳島の無教会キリスト者たちの集まり(*)をしっかり束ねる最初のはたらきに関わっていたのである。
(*) なお、徳島における無教会の信徒の集まりと定期的な印刷物(伝道誌)は、太田米穂が責任者となり、次いで杣友豊市が受け継ぎ、さらに現在は吉村 孝雄が受け継いで今日に至っている。
そして、徳島においてキリストの福音を伝えるための印刷物については、一九五六年四月八日に「はこ舟」誌が創刊された。その後「いのちの水」と改題されて続けられている。
そして、堤は、北海道の南西部の日本海側にある瀬棚町(奥尻島のほぼ対岸にある)にて、聖書集会の講師として、一九七四年から二七年間の長期にわたって、講師としてみ言葉を取り次いだ。それによって瀬棚地区の人たちが福音に接し、平和の重要性を学ぶことになって次ぎの世代へと受け継がれていくことになった。これは堤のはたらきと、それを支える瀬棚の人たち、さらに送り出す側のキリスト教横浜集会の方々の祈りを主が祝福されたゆえであった。
そして、二〇〇三年の七月から私(吉村)が、瀬棚聖書集会に出向いて聖書講話を担当させていただくことになった。それまでは私は瀬棚という地名も知らなかった。
そのような未知のところであったからどのようないきさつで北海道の瀬棚地区で三〇年ほども夏の聖書講習会が続けられているのかも知らなかった。
瀬棚に行って初めてそこで長年、堤道雄が聖書講話をされていたのだと知らされた。
そのような全く知らないところに私が導かれたことの背後に、私たちの思いをはるかに超えて働いて下さる神の導きを思い、感謝にたえない。
その上、私が一九九四年三月で教職を退職して、祈りとみ言葉を伝える仕事のために日々を用いることに決断した後、キリスト教横浜集会の有志の方々が、「福音の種まき会」というのをはじめて下さって現在に至っても祈りと協力費を捧げて下さっている。福音伝道へのこうした関わりの熱心は堤道雄から流れていること、そしてその思いを常にあらたにされた聖なる霊のはたらきであることを知らされたことであった。
これからも、この闇と混乱の世に、キリストの福音が伝わるように、私たち後に続く者たちの日々を主が導き祝福をして下さるようにと祈り願うものである。
(なお、ここに書いた堤道雄に関することは、「真理に導かれて」という文集から引用、あるいは参考にさせていただいた。
この文集は、二〇〇七年一〇月三〇日発行 編集 堤道雄先生追悼文集刊行会刊、なお購入されたい方は、荒木義雄氏まで。〒電話〇四四-八二二-九二二三)
クリスマスと関連の言葉について
十二月に入ると、クリスマスのことがいろいろなところで現れる。クリスマスツリーとかサンタクロースといった形である。クリスマスの中心はそのようなものとは何の関係もなく、「キリスト」であるが、ツリーにもそうしたクリスマス関係の行事にも、肝心のキリストは現れない。
キリストが現れるクリスマスはほとんど教会関係だけであろう。
しかし、クリスマスという言葉は、「クリスト(キリスト)のマス」であり、自体にすでにキリストが入っている。日本語では、ほとんどの人がクリスマスという言葉とキリストという言葉の関連を知らないが、英語で見ればすぐに分かるとおりこの語は、Christmas であり、Christ と mas の合成語である。
mas とは、英語の mass(*)の略した形で、これはミサのことである。それゆえ、クリスマス(Christmas)とは、「キリストのミサ」という意味となり、プロテスタントではミサにあたるのが「礼拝」という言葉であるから、クリスマスとは、キリストを霊的に私たちの内に受けいれ、キリストを礼拝することなのである。(**)
(*)ミサという語は、ラテン語のミッサ missa に由来し、英語では、マス(mass) ドイツ語では、メッセ(Messe)、フランス語では、メッス(messe)、スペイン語では ミサ(Misa)、イタリア語で メッサ(messa)などといった発音になる。
(**)クリスマス (Christmas)という語は、十二世紀ころから英語で使われるが、その時には Christes maesse (クリステス メッセ)という形で、二つの語であったという。「クリスマス小事典」(社会思想社二〇一頁)
なお、クリスマスというのは、何となく世界で共通して使われている言葉だと思う人もあるが、そうでない。例えば、ドイツ語では、ヴァインナハト Weihnachat といい、これは、ヴァイエン weihen 「聖なるものとする、清める」という語と、ナハト Nacht「夜」という語の合成語で、「聖なる夜」という意味である。
また、フランス語では、ノエル Noel というが、これは、語形がかなり変わっているので関連が分かりにくいが、ラテン語の ナーターリス natalis 「誕生」という語に由来する。スペイン語では、ナタヴィダッド Natavidad または、ナヴィダッド Navidad という。これらは、ラテン語の ナースコル nascor(生れる)という語から生れた言葉である。なお、英語の nature,nation, native, national などのよく知られた言葉も、このラテン語に由来する言葉である。
クリスマスという用語は今日では日本のようなキリスト信仰を持つ人が一パーセント程度しかいない国であっても幼少のときからすでに知っている言葉となった。知らず知らずのうちに、クリストのマス、キリストへの礼拝ということを繰り返して使っていることになる。
それは時間の数え方においても、今年は二〇〇七年というのも、キリストの誕生をもとにして数えているのであって、全世界が、たえずキリストが誕生してから(ほぼ)二〇〇七年目ということを言い続けていることになる。
こうしたところにも、キリストの驚くべき力を感じさせられる。
日本は、こうした習慣とは全く別に、元号というのを使っている。(*)
天皇が時間をも支配することを民衆の意識に深く根付かせるために、六四五年に大化という元号を中国のやり方を真似て取り入れたのが最初であった。もとは中国で二千年ほど前の漢の武帝が領土だけでなく、時間をも支配するために始めたものである。しかし、日本の明治政府は、それをさらに押し進めて天皇の名前を時間を言うときに絶えず使わせるという方策をとって一層、天皇の名前を浸透させる制度、すなわち一世一元制度を作りだした。このように特定の人間の名前を国民すべてが時間を数えるたびに用いるなどという制度は全世界でどこにも行われていない不合理なものである。なぜ、どこにも行われていないか、それは、天皇が死んだら膨大な印刷物、機器、カード、書類などのすべて年号を変えねばならなくなり、莫大な手間と費用がかかる。そのようなことは全く無意味なことだからである。そして天皇もふつうの人間なのでいつ死ぬかはだれも分からない。短命であったらわずかの期間でまた、膨大な書類その他の変更をしなければならなくなる。
元号制度とは天皇のあらゆる面における支配ということの象徴的な制度であるから、天皇の支配が終わった敗戦後には当然これは廃止されるべきであった。実際、敗戦後まもなく日本学術会議が創立された一九四九年の翌年五月の総会で、「元号廃止、西暦採用について」という決議を採択しているのである。
(*)元号の問題についてより詳しくは、「いのちの水」誌二〇〇五年五月号 第五三二号を参照。この内容は徳島聖書キリスト集会のホームページから見ることができる。
元号の問題性について へのリンク
宇宙の創造主であり、今もこの世界を支えている真に頼るべき神との結びつきを受けいれようとせず、天皇というただの人間と結びつけようとするような元号制度は、世界に通用しないものであり、本来当然撤廃すべきものなのである。
しかし、こうしたさまざまの真理に反する動きにもかかわらず、時間を数えるときにも、また世界的に共通な行事のクリスマスということにも、たえず「キリスト」が意識しようとしまいと現れるということのなかに、世界の背後のキリストの御支配を感じさせるものがある。
閉ざされた目に受けた光
綱野 悦子
私は徳島に生まれ、大阪で働いていましたが、失明の不安がありました。それが次第に現実となっていったとき、私は目が見えなくなったらどうしよう、とても生きていけないと毎日が不安と絶望のなかにありました。
そんな時、友人の部屋のカレンダーに「明日のことを思い煩うな」というみ言葉がありました。
「まず神の国と神の義を求めなさい」という聖書の言葉の後にあるのです。
私は、この「明日のことを思い煩うな」と神様が言ってくださるのだから、このみ言葉にすがり、神様を信じて生きようと思いました。キリスト教との出会いです。
そして、友人に誘われ、大阪にある無教会のテープ集会に参加するようになりました。
まだ何もわからない私の始めての祈りは、「神様、私の目を見えるようにしてください。もし、それがだめなら私の命をとってください」という祈りでした。けれど、神様はこの祈りを聞いて下さいませんでした。
二五才頃に失明し、盲学校で鍼灸の資格をとり、徳島に帰り自宅で鍼の治療院を開業しました。
大阪の友人が徳島の無教会の集会を教えてくださり、その集会のYさんが訪問してくださいました。
家に訪問してくださったり、集会への送り迎えしてくださる方々の主にある御愛労によって徳島聖書キリスト集会に参加し始めました。聖書を学び、少しずつ導かれていきました。
肉体の目は闇に閉ざされましたが、神様は霊の目を開いていってくださいました。
そして、自分の罪深さを気付かされて、死ぬほかないものでしたが、イエス様は十字架の愛によって命に生かしてくださいました。今思います。私の最初の祈りは聞かれていました。
神様は失明を通して、霊的に闇から光へとこころの目を見えるようにし、そして罪を滅ぼして 私の命をとるかわりに、身代わりに死んでくださり、永遠の命につないでくださったのです。
私が目が見えなくなったのは神様の愛の選びでした。私が救われたのは神様の一方的な恵みによってです。
私は歌を歌うことが好きでしたが、キリスト教に出会い讃美歌を聞いて、とても心が清められました。讃美は祈りであり、祈りは讃美であるとある時教えられました。
祈れない、讃美できないときがありました。妹がガンであと三ヶ月と宣告されたときでした。
自分中心の信仰という罪を知らされました。私の信仰が崩れていきそうでした。
そんな時、主にある姉妹がどれほど背後で祈ってくださったことでしょう。イエス様は「私の愛にとどまりなさい」と十字架から呼びかけてくださいました。そのイエス様にすがるほかありません。主のあわれみによって生かされていることを知らされました。
讃美は祈り、祈りは讃美。このことを思い出して一人で讃美をしました。
イエス様がそば近くにいてくださるのを感じました。
それからは、病室にお見舞いにいったり、友人を訪問して一緒に讃美することがよろこびです。
信仰の道は多くの波が押し寄せ、罪におぼれそうなときもありますが、主に叫び求めるだけで 安らかな主の御手のなかに入れてくださいます。
今日ここで主をほめ称えることができることを心から感謝します。
(二〇〇七年十月八日 東京 青山学院大学礼拝堂での全国集会にて二日目朝の讃美のプログラムの時に語った内容。)
ことば
(274)主と共にあれば
神とキリストとともに生きることは、この世では最も容易な生き方である。それは一種の気軽さをも生み出す。そしてそのような気軽さは、この世のどんな楽しみにもまして人間の生活を喜ばしいものとする。
しかも、そのためには金はほとんど、いや、むしろ全然いらない。そのような生活に必要なものは、ただ神とのゆるぎない交わりだけである。
これは、苦しむ人たちにとっての本当の救いである。実際、もしそのような人たちがこのことを知ってそれを求めるならば、必ずそれは与えられるからである。
(ヒルティ 眠られぬ夜のために上 十二月五日より)
(275)光に向かう扉
…アクテの頭には、今大きな混乱が生じた。光に向かう扉が開いたり、閉じたりし始めた。しかし、それが開いたとき、その光が彼女の目をくらますので、何一つはっきり見えなかった。
ただ、その明るさの中に、何か限りのない幸いがひそんでいることだけは推測がつき、その幸いに比べればほかのことは全く無に等しくて、例えば皇帝がその妃を追いだしてふたたび自分を愛するようになったとしても、つまらないことだと思ったであろう。
(「クォ・ヴァディス」 上巻 一二九頁 岩波文庫)
アクテとはローマ皇帝ネロに愛されて仕えた女の解放奴隷である。キリストのことは全く知らなかったが、神に仕えるリギアという若い女性によって初めて知らされる。
そのとき、この世俗の汚れに染まった女の心にも光の扉が見えてきた。しかし、まだそれは開いたり閉じたり…という状況であった。それでもその扉が開かれて向こうにある光を受けるときには、この世で最高の幸福と思っていたこれまでのことも全く無に等しいように感じさせるものがあった。
私たちにとっても、つねにこうした扉が前方にあるのを感じる。すでにキリストを信じてその光を受けている者であっても、油断していてこの世の考えや欲望に引っ張られるとき、その扉も閉じられてしまう。この世のさまざまの情報は絶えずそうした光の世界に向かう扉を閉じようとする力をもって働きかけているからである。
私たちの周りの自然も、聖書もそして日々の出来事も、私たちの見る目があり、聞く耳があるならそれらはすべて光に向かう扉であると感じ取ることができるだろう。
(276)いわゆる悲惨なことというのは、決して悲惨でないし、いわゆる富もまた本当の富ではない。
神を忘れることこそ、本当の悲惨であり、神を覚えていることこそ、真の富なのである。
(「目には見えない力」ガンジー著)
Misery so-called is no misery, nor riches so called riches.
Forgetting (or denying )God is true misery,remembering(or faith in)God is true riches.
(「The Unseen Power」M.K.Gandhi 31p INDIAN PRINTING WORKS )
この確信に満ちたガンジーの短い言葉は、現代の私たちにおいてもそのままあてはまる。
神を魂のうちに絶えず覚えていること、そこから永遠の富 が与えられること、それは聖書で一貫して述べられている。
私たちは、表面的な悲惨のかげで本当の悲惨なことをあまりにも知らないし、知ろうとしない。
また本当の豊かさ、富というのが、経済問題にかかわらずに存在しうるということも考えない習慣がついてしまっている。
休憩室
○最近の夜明け前の夜空
早朝五時半頃から六時ころにかけて、東の空を見ると、すばらしい輝きを見せ続けている金星が見えます。夜明けが遅いので、六時三〇分ころになっても十分見えています。しかし、やはりまだ暗いうちにみるときにその強い光が私たちの心のうちにまで射し込んできます。
そしてその金星のすぐ右に、小さいけれども輝いている星は、乙女座の一等星スピカです。金星があまりにも光が強いので、小さな光に見えますが、すぐとなりなので見付けやすいので、乙女座のスピカを見たことがない人はすぐに見付けられます。
また、南の空の高いところには、二つの明るい星が見えます。右側がしし座の一等星レグルスで、左側の星が土星です。 なお、西の空には、強い輝きの星が沈もうとしていますが、それが恒星では最も明るいシリウスです。
火星は、夜十一時ころには、東の高い空に赤い輝きが強い星としてすぐに見付けられます。この時間には、一年中で最も多くの明るい星々を散りばめた夜空がやや東よりの南方には広がっています。南の空にはほとんど誰でもがすぐに見出すオリオン座がその端整なすがたを見せています。
このように、最近の夜空は、夜寝る前にも火星を含めて強い輝きの星たちが東から南、そして北東の空を飾っており、夜明け前には土星や金星などとともに春の星座が見られて心を引き上げてくれます。
○神の絵筆
秋が終り冬の到来となると、野山にはほとんど花も咲かなくなり、多くの木々もその葉をさまざまの色に染めて枯れ落ちていきます。
多くのカエデの仲間や、ハゼ、ヤマハゼ、ヤマウルシ等々では、その葉は赤くなり、カツラやイチョウ、イヌビワなどの葉は黄色、クヌギやコナラなどは、茶褐色などになり、山々に色彩の変化をもたらしてくれます。
あたかも神が目には見えない大きな筆で樹木の葉を塗り替えていくようです。
神は、私たち人間をも、またこの世界全体をもそのご意志に従ってさまざまの色に塗りかえていくのだと思われます。
どんなに人間が目立つ色で塗り上げようとしても、神は一筆で、そうしたものを抹消してしまうこともできるし、何の目立つはたらきもできない弱い一人の人間が、心から悔い改めるときには、美しい彩りをもったものと変えていかれるのだと思われます。
九州、中国地方のいくつかの集会を訪ねて。
十一月十六日(金)から二十一日(水)まで、四国、九州、中国地方の各地の人たち、また集会を訪れて、共にみ言葉を学び、讃美、祈りのときを与えられて感謝でした。
十六日(金)は、愛媛県の冨永 尚兄宅を訪問、交流の時が与えられました。肱川という長さ百kmほどの河の下流、海辺でもあるところで、肱川からの強い風が吹き下ろすところだとのこと、天の国からもそのようにいつも清き霊の風が吹いてくるようにと願ったことでした。
その後は、佐田岬を経て九州・大分に渡りましたが、途中佐田岬半島の手前の長浜の付近から海岸に接する山々の斜面に白い野菊があちこちで見られ、それは五十㎞ほどもある
長い佐田岬の高いところを走る道路沿いにもしばしば見られました。それはリュウノウギクという白い色の花で、野菊としては花も大きく目立ちます。
このリュウノウギクは、徳島県ではなかなか見当たらずときたま見付けてもごく少ないものですが、この佐田岬付近にだけはたくさん群生しているものです。これは、葉には独特の芳香があり、花の美しい白色とともに秋の野菊として印象的なものです。(*)
(*)リュウノウギクという名前は、その葉の香りが竜脳という薬用植物の香りに似ているから付けられた。竜脳という植物は、日本にはなく、常緑大高木でボルネオ・スマトラの原産。高さ五○メートル以上になるという。
大分市の梅木宅にての夜の集会。その後、MP3対応の機器について説明しました。新共同訳聖書の録音版CDは以前のものは、新旧約聖書全巻では、一〇八巻にも及ぶもので価格も五万円ほどもしていたのが、MP3版になって、わずか六枚、九八〇〇円になって、いろいろな意味で扱いやすくなっています。
また、私どもの徳島聖書キリスト集会では、毎月の一か月分の主日礼拝と夕拝の全内容の録音をMP3形式で録音したものを、希望者に配布していますし、ヨハネ福音書の聖書講話もMP3版にして、希望者に配布しています。(価格送料共で二千円)これは二年半ほどの期間にわたる主日礼拝での聖書講話の録音です。
しかし、これらを聞くにはMP3対応のプレーヤが必要なのでその説明をしたわけです。実際にその機器を数種類持参していたので、実物をもって説明できたので初めての方もわかりやすかったようで、参加していた方は購入を検討されるようでした。
十七日(土) 大分から熊本に向かう途中で、時間の余裕がないので、高速道路のICから近いところとして「祈の友」の二人の方が在住であるのが分かったので、Nさん宅とTさんを訪ね、その後熊本の集会。河津宅(ハリ治療院)での集会でした。国内最大のハンセン病療養所におられて信仰を守ってこられた二人の信徒の方々も毎年参加されていますが、主がその方々の重荷を負ってきて下さったことを感じました。
十八日(日)は、福岡市のアクロス福岡にて、福岡聖書研究会、天神聖書集会合同の主日礼拝。聖書講話は、「聖書における神の愛」と題して語らせていただきました。(その内容に加筆して今月号に掲載しました)
その後、食事と懇談会で、ここでもそのMP3機器の説明をしましたが、八名ほどの方々が購入を希望されました。 これからの録音はカセットテープでなく、このようなデジタル録音となっていくと思われますが、デジタル録音にすると、ダビング、発送、再生や頭出しなどの操作性、テープのようにカビが生えたり切れたり、磨耗したりしないといった保存性などすべての点においてカセットテープよりはるかに扱いが便利なので、次第にそのように移行しつつあります。
その後、会場に比較的近い「祈の友」会員のUさんを訪ねました。今度新たに「祈の友」の九州地区の世話人となられたというOさんに案内されて、福岡の集会に参加されていたKさんたちと共に訪問し、短い時間でしたが、み言葉と祈り、讃美のときを与えられました。Uさんは八十歳ほどになる高齢でお一人の生活ですが、主イエスが共におられての日々であるのが感じられ、若き日に主が負って下さったゆえに、白髪に至っても主が支えられるということを目の当たりにした思いでした。こうしたお名前だけ知って祈りに覚えていた方々とも主にある出会いが与えられ、そこでも「祈の友」としての祈りを共にすることができました。
十九日(月)午前にやはり九州北部の玄海地方に在住の古くからの「祈の友」会員であるHさんを訪ねました。そこで「祈の友」の昔からのことも聞くことができてより福岡の「祈の友」のことが分かってきた思いです。また、花田さんがかつての病気のときに服用した薬の副作用のため、片方の耳が聞こえなくなり、残った耳も聞こえが悪く、教会の説教も聞き取れない状態というのが分かったので、持参していた集音器を紹介して、聞こえを実験したところ、使えるのが分かりそれを使うことになりました。さらに九州地区の「祈の友」の写真集がじつによく整理されているのを見せていただきましたが時間の予定がかなり過ぎてしまっていたので、お借りして帰りました。
九州に出発する直前に届いた手紙で「いのちの水」誌に関心を持たれてその送付を希望されたN・Kさん宅が、玄海地方から高速道路のICに行く途中にあるのが分かり、初めてそのお宅を訪問し、また仕事から帰ってこられた息子さんともいろいろなお話しをすることができました。かつて全国集会のときにご夫君が突然に天に召された東京のE・Uさんの友人Kさんの友人にあたる方でした。
このように「いのちの水」誌という印刷物が仲立ちをしてくれて、新たな主にある交流が与えられることも主の導きと感謝でした。
その後、広島の施設におられる以前からの教友であるTさんを訪ね、短い交わりの時間を持つことができました。高齢となり生活も難しくなって介護の方にずっと来てもらっていますが、主によって魂は支えられているのが分かりました。
さらに夜は、広島東北部の東城町にての沖野兄宅での家庭集会が与えられ、小学生、中学生、高校生の三人の子供さんたちも加わりました。そうした幼い魂に主が働いて下さいますように。
二〇日(火)初めて鳥取市の長谷川さん宅での家庭集会を訪れました。長谷川さんはキリスト教情報誌で無教会のことを初めて知って、今井館に問い合わせて岡山の無教会集会の香西さんを紹介され、その香西さんから私にさらに連絡があったことから主にある交流が与えられるようになったのでした。
二一日(水)午前はかつて「祈の友」四国グループ集会の世話人をして下さっていたことのあるHさん宅を訪問し、「祈の友」のことなどしばしの時をすごし、岡山を経て四国に渡り、時間の関係で高速道路に近い愛媛県の二人の「祈の友」の方々(Tさん、Nさん)を訪ねました。Tさんは、からだの具合もよくない状況で一人で生活するのはたいへんと思われました。Nさんは施設にてご夫妻ですごしておられます。からだの痛みがいろいろとあるようでしたが、お二人とも、信仰によって主に支えられているのを思いました。
訪問というわずかな関わりしか持てないのですが、そのような少しの時間であっても、主が働いて下さって主にある結びつきを強められ、その結びつきのなかに主がとどまってくださいますようにと祈ります。二人、三人が主の名によって集まるところには主がいて下さるという約束があります。これは、実際に目の前に二人三人がいなければならない、ということでなく、たとえ距離が離れていても、主にあって祈り合う関係があるとき、その中に主イエスがいて下さるということでもあります。
たとえ遠く離れていても、祈りによって主がその当事者それぞれのうちに来て下さるということは、感謝すべきこと、喜ばしいことです。
お知らせと報告
○来年二〇〇八年の、無教会・キリスト教全国集会は、五月一〇日(土)~十一日(日)、徳島市で開催の予定です。
○十二月二十三日(日)はクリスマス特別集会です。場所は徳島聖書キリスト集会場、開会は午前十時からです。
○十二月の移動夕拝は、いつもの第四火曜日でなく、1十二月十八日(火)中川 啓・春美宅です。
○今年のキャロリングは十二月二十四日の夜です。
○来年の元旦礼拝は、一月一日(火)午前六時三十分から集会場で行われます。いつもは夕拝のある火曜日ですが、その日の夕拝はありません。
○MP3版 ヨハネ福音書CDはその後申込があります。この再生には、パソコン、またはポータブル MP3対応CDプレーヤ、もしくはMP3対応のMP3対応
CDラジカセなどが必要です。
近くに大型電器店がないとか、インターネットでの購入ができない方で希望の方は申込してください。ポータブルタイプは五千円、後者のCDラジカセは八千円です。ただし、最近は同じ製品は数量限定で生産しているので今紹介している機器はそのうちになくなり、また別の製品となり、価格も変ると考えられます。
MP3対応でしかも五千円程度で購入できるポータブルタイプのCDプレーヤというのは私の調べた限りでは他にないようです。家で使うのなら、CDラジカセタイプがずっと使いやすくお勧めできます。しかし、通院とか病院の待ち時間、あるいは車中など家以外の場所で使うには、MP3対応のCDポータブルタイプでなければ使えません。しかもここで紹介しているCDラジカセはUSBフラッシュメモリも使えるのが大きな利点です。私のところにはまだ何台か余分を置いていますので、MP3対応のこのポータブルCDプレーヤを希望の方は吉村まで。
○無教会(キリスト教)全国集会2007 の録音CD。
これは、会場で徳島からの参加者、熊井勇兄がデジタル録音したものを用いて作成されたCDです。マイクによっていないので、やや音声に明瞭さを欠きますが、十分聞くことができます。これは徳島から参加できなかった方々に紹介のため作成されたものですが「いのちの水」読者の希望者にもお届けすることができます。
次の二種類があります。(なお、価格はいずれも一枚二百円、送料は何枚でも百円とします。)
希望者は郵便振替または、切手などで代金を吉村宛てに同封して申込してください。
①全国集会のほぼ全部の内容をMP3で録音したもの。(聞くためにはMP3プレーヤが必要)
②徳島からの参加者による二日目の讃美(綱野 悦子、中川 陽子)、手話讃美(音声のみ)と証し(中川 春美)を普通のCDラジカセでも聞けるようにしたもの。
編集だより
○活字
今月号から、読みやすくするため、活字を少し大きくしてあります。この「いのちの水」誌の紙面は、すべて私のパソコンで入力、編集、レイアウトしているので、活字を自由に変えることも簡単にでき、今までも、頁にきちんと収まらないときには、特定の部分だけ行間や、字間を変えたり、活字の大きさを変えたりしてきました。
このように自由にできるのは、パソコンによって机上で編集できるようになったからです。
○パーソナル編集長
この「いのちの水」誌は、「パーソナル編集長」という印刷ソフトを用いています。
こうした文章の入力というと、ワードとか一太郎というソフトをほとんどの方々が用いているようですが、そうした一般のワープロソフトより、編集、レイアウト専門のこのソフトがはるかに操作性が高いので、こうした印刷物を定期的に作っておられる方は、このパーソナル編集長というソフトを試して見られることをお勧めします。
○集音器について
いつもは県外への聖書講話に関する旅のことは編集だよりで書いていますが、今回は長くなっているので別稿としました。
今回、福岡のHさんが、若いときの薬の副作用によって難聴であるのが分かり、持参していた集音器を試みたところ効果的なのが判明してHさんは、その場でそれを購入されて、日曜日の教会の説教も聞くことができたとの連絡がありました。
また、やはり今回立ち寄った兵庫県のM・Hさんも難聴で祈祷会のときには離れたところにいる人の祈りが聞きづらいとのこと、それで私の持っていた予備のその集音器を試すと使えるのが分かり、それの商品名を告げてインターネットで購入できる旨を伝えておきましたが、私が帰ってすぐに息子さんが注文されて購入され、その後に開催された市民クリスマスでその集音器を用いたところよく聞くことができたとの連絡がありました。
一〇万、二〇万円といった高価な補聴器が一般的には知られていますが、私が紹介した集音器は通信販売では、一万円(送料、税込)程度で入手できます。(インターネットではもう少し安価で購入できる場合があります。)
耳に近づけて会話が何とかできる程度の難聴ならこの集音器が安価で効果的です。これは耳に入れる小型のものでなく、イヤホンと本体が分離しているタイプのものです。最近の高価な補聴器は小さくして耳の中にはいるほどですが、そのように小さくすると見た目には難聴ということが分からないようになって(特に女性は髪で耳が隠れるので)よく売れているようです。しかしこのような小さいタイプのものは、マイクとイヤホン部分が接近するので音を効果的に拡大するのは本来的に困難になるのです。
ですから、効果的に音を拡大し、入ってくる音量を自分で自由に調整できるためには、本体とイヤホン部分が分離した大きめの箱型のものが効果的なのです。難聴だと思われるのがいやだという場合には、高価な小型の耳に入るタイプの機種になりますが、難聴と見られても構わない、そのほうが相手も注意して話してくれるといった場合には、この集音器がよいのです。
私はかつて多くの聴覚障害者の聴力障害のレベルを機器で測定し、補聴器の調整をしていたことがあるので、少し対話したり聞き取りを調べるとこの集音器が使える人かどうかが大体分かるのでいつも県外に出向くときもこの集音器を持っています。
これは直接信仰のことと関係ないことですが、集会の聖書講話あるいは説教が聞きにくくて困っている方々は多いと思います。高価な補聴器を購入することも難しい場合もあります。またそれを購入してもそれほどよく聞こえないという方々にも何度か会ったことがあります。集会(教会)に行っても、肝心の聖書講話や説教が聞き取れないのなら、聞き取ろうとして疲れるだけです。
また病人とかの訪問でも、相手に大きい声で言ってもらわねば分からない状況では、相手の病人も疲れてしまいますし、その人も大きい声で話すと、部屋中の他の患者さんにも会話内容が聞こえてしまい、プライバシーの点でも不都合なことになります。
その他、耳が聞こえにくいことはいろいろな点で健聴者には分かってもらえない不便がありますので、こうした集音器を使って試みることができます。一般の補聴器店では置いていないと思われますので、もし希望される方があったら、左記に書いてある吉村まで連絡ください。 なお、インターネットを使える状況にある方は、 NH-880(スーパーサウンドハンター)という型番で検索すればその形も写真で見ることができ、購入もできます。