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混乱の中で-2000/8

 最近とくに異常なほど少年の特異な犯罪が続出している。仲間や自分の親の命を奪ったり、生涯にわたって苦しむような重い傷を与えるような行動は、それは他人をも自分をも生きている限り、償いようのない苦しみに巻き込むことになるのが見えないのだろう。
 しかし、そのような混乱のなかにも、光は依然としてある。 キリスト教の不滅の価値は、いかなる事態が生じようとも、決して自分が捨てないかぎり希望を失わないでおられるということだ。
 いかなる出来事が生じようも、それでも神はいる、神の愛はあると信じ続けるものには、たしかに神の存在や、神の愛を実感できるような人と出会ったり、出来事が生じたりする。
 闇はだれも見たくない、しかし闇は周囲にある。闇深くなれば、いよいよ絶望するほかはない。しかし、キリスト者はその闇の深まるならますますはっきりと光を実感することができる。
 「闇のなかに光は輝き続けている」ゆえに、キリストと結びついているかぎり、私たちは闇が深まるように見えても、そのなかで真理の光をますます明瞭に見るようになるだろう。
緑・青・白
 緑一色の山々をおおうように、青く澄んだ空が広がっている。
そしてそこには、真っ白い積乱雲がその力に満ちた姿を見せている。
ただこの三つの色、緑、青、白が目に入ってくる。
自然のただなかにおいてこの三つの色はなんと目と心に心地よく、そして意味深いことか。
それぞれに神の本質の一端を見せていただく思いがする。
緑は命を感じさせ、青は深さ、そして白は清さを感じる。
真っ白い積乱雲は、清さとともに神の力を思わせる。
神のいのち、それは永遠の命と言われ、生きてはたらくキリストを思う。
青は、神のはかりしれない清い深みを語りかけてくるし、神によって清められ、現れた姿を思わせる。
この三つがあったら私たちは他になにもいらないだろう。
これらは、どこまでも深い神のご計画にゆだねて歩み、生まれついて持っている罪の汚れを洗われ、その代わりに力に満ちた、朽ちることのない神の命を受けることを指し示している。
                                     (県南部の集会に行く途中に感じたこと)
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