夕べの祈りから (C.ブルームハルトによる)-2000/9-3

○愛する天にいます私たちの父よ、
この世においては、不安がありますが、あなたの内に私たちは平安を得ています。
聖なる霊によってあなたの天の国の喜びを与えて下さい。
あなたに仕えることによって、自分の日々の生活を生きる力を与えて下さい。
苦痛を忍び、悲しみ、不安、苦難の道を今もなお歩んでいるすべての人たちを覚え、神の賜物を与え、助けを与えて、それによって彼らが神に感謝するようになりますように。
あなたの大いなる憐れみと、誠実さによって待ち望み、望むことを許されているものによって、私たちをすべて結び合わせて下さい。

○主よ、私たちの神よ、天にいます私たちの父よ、私たちはあなたの子として、みもとに行き、祈り願います。
 私たちを祝福して下さい!
 私たちはしばしば不安になります。しかし、そのような時にこそ、私たちを祝福し、約束通りにあなたの助けをあらわして下さい。
 キリストは全世界の救いのために来たお方なのです。
 私たちに、み言葉を祝福して働かせ、私たちが繰り返しいのちある者となるようにして下さい。

(私たちの祈りが自分勝手なものにならないよう、祈祷書によって祈ることも必要なことです。これは、ブルームハルトの祈りの本からの引用ですが、筆者の祈りも主イエスも弟子たちに対してそのような祈りを教えられました。主の祈りには真に必要な祈りが記されています。なお、ブルームハルトは一八四二年生まれの牧者、神学者でバルトや、ブルンナーなどにも大きな影響を与えました。)

休憩室

真珠
 マーガレットという名は、よく知られています。少女雑誌の名前に付けられたり、西洋の女性の人名でも出てきます。さらに少し花に関心がある人ならだれでもが知っているマーガレットという花の名前としてもなじみがあります。
 しかし、そのマーガレットとはどんな意味なのかになると、あまり知られていないようです。それはギリシャ語のマルガリテースから造られた言葉で「真珠」という意味なのです。

また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。
高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。(マタイ福音書十三・46)
 福音の真理、キリストの真理は、高価な真珠だというのです。
 歳月を経ても変質することなく、その輝きを失わない本質が真珠にたとえられています。
 生きるとは、この世のすべてにまさる「高価な真珠」である真理を見いだすか、それともすぐに壊れる土器のようなものだけがすべてと思って人生を終わるかのいずれかになると言えます。

夕顔(ヨルガオ)
 八月の終わり頃から、わが家では妻が種から育てた夕顔が咲き続けています。
 夕顔というと、本来は、かんぴょうを作るウリ科のものが昔からあった夕顔です。それとはちがってかんぴょうなど取れないし、実も固くて小さい鑑賞用のもので、アサガオの仲間(ヒルガオ科)を、ヨルガオと言って区別していますが、この名称はあまり一般的ではないようです。
 夕暮れが近づくとき、真っ白い直径十五センチにもなるような大輪の花を咲かせ、香りもよい花です。夕闇に白い花が浮かび上がるように咲くその姿は、昼の太陽のつよい日差しのもとで咲く花とはちがってどこか、静けさが漂っていて、見るものに語りかけるような味わいがあります。
 キリストがつねに共にいるとき、私たちは人生の夕暮れになっても、なお純白の花を咲かせることができるのであろうと、ふと思ったことです。

返舟だより

○去る八月二十日(日)の主日礼拝には、奈良県在住で、しばらく徳島県の西部に滞在中の方が私たちの集会に、堺市のMさんと共に参加されました。次はそのNさんからの来信です。Nさんはもうじき九十二歳になるというのに、とてもお元気で主の守りと祝福を感じました。

 先日は思いがけない主のお計らいにより、M姉とともに徳島の地での礼拝に参加させていただきありがとうございました。
 御集会への姉妹たちの親切により、疲れることなく、二回も出席できました。(*)
 また帰りには先生のお世話になり、吉野川の水辺に立ったとき、主に満たされ、聖霊に満たされて久しぶりの心境でした。主に選んで頂いたことに感謝します。
 集会の皆様の、身にある障害など気にせず、手話あるいは点字での理解により、明るい雰囲気に感激。
 今まで生かされてきた九十一歳六カ月の私は、集会の姉妹たちに教わることいっぱいでした。・・

○四国地方のTさんからの来信です。

「はこ舟」にて杣友様の転居のいきさつを知りました。本当に驚きましたが、主のお導きと本人も決断されて、○○様のご協力で事が運びました由、ありがとうございます。
「はこ舟」では、聖書のみ言葉についてはもちろんのこと、自然に関する感想をも興味深く読ませて頂いています。・・

○関西のある教会にて、み言葉を伝える働きをされている方(牧師)からの来信です。

 いろいろのことがあり、なかなかうまく教会員の訓練が思うようにできず、心に痛みがあります。
昔、杣友老人の記事を朝日新聞で拝見、たいへん感動しました。こちらは長い間、福音伝道のはたらきをしておりながら、思うようにならず、自分の非力を恥じている次第。・・

・私たちは、地上の生活である限りいろいろの悩みや苦しみがつきまとうのだと思います。使徒パウロも、同胞のユダヤ人のことを思って、「・・すなわち、わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる痛みがある。」と言っていますし(ロマ九・2)、さらに別の箇所でもつぎのように記されているのを思い出しました。

このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。・・(Uコリント十一・28)

○次は県南のある病院に入院中の方からの来信です。

月一回の集会で教えて頂きありがとうございます。「はこ舟」もありがとうございます。たくさん教わります。毎日聖霊を感じて動けたり、生活できれば有り難いのですが・・。 集会の時間は唯一貴重な時間です。何事にも主の導きがございますように。

・いろいろの事情のために月に一度の集会にしか参加できない方ですが、その集会で何人かの人たちと共に、み言葉を学び、ともに祈り讃美することが貴重なひとときとなっているとのこと、そこに主がいて下さっているからだと感じます。
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