ことば 2001/4
(109)霊は言葉がなくとも祈ることができます。主を見上げるまなざしは、言葉がなくとも祈りを運んでいきます。言葉で言い表されない、人知れぬ思いは、主を仰ぐまなざしを伴っているときには祈りと、他者のための祈りを含むことができるのです。(ブルームハルト著「悩める魂への慰め」より)
ブルームハルトは、一八〇五年生まれ。ドイツの宗教家、牧師。病気をいやす賜物を与えられていた。
・ 私たちは具体的に名をあげて祈ることができるのはある程度限られた人です。もし、一人一人名をあげていくと限りなく時間を要することになります。しかし、ここでブルームハルトが述べているように、神への真実な心をこめた眼差しと祈りの心があればそうした多くの人たちのための祈りを同時に含むことができるというのです。そのような祈りは霊的なものとなり、神がその祈りを霊でもって広げていくからだと思われます。
返舟だより
○集会場を少し広げるための工事が集会員のH.N兄によってすすめられています。クリスマスとかイースター、外部から講師が来られての特別集会のときなど、部屋が狭くて入りきらなかったのですが、これが完成すれば、そのようなことがなくなります。
今年の四月十五日に行われたイースター特別集会は、大人、子供併せて六十名余りの人が参加しましたが、初めて部分的に使えるようになった拡張された集会室を使うことができました。
○「はこ舟」は伝道のため、み言葉の学びや、キリスト教に関する知識を提供するために作っていますので、用いようとされる方には複数をお届けします。(費用は自由献金です。)
○最近聖書を読むようになった方からの来信です。
これまで、生や死の問題をはじめ、いろんなことが憂鬱の霧に包まれていたようだったのに、不思議です。何かが次第にクリアになっていくのは快いし、喜びです。
こういったことに付随して、まだはっきりとわからない様々なことが同時進行しながら、深くこころが満たされていくように思えます。自分にとっては奇跡かも。奇跡です。
・この来信にあるように、私たちの心の奥深いところで、私たちを造り変える働きをして下さるのは、復活されていまも生きて働いておられるキリストです。キリストの復活は、単に信じるということで終わるのでなく、自分の内で実感できるものだといえます。
徳島聖書キリスト集会集会案内
・場所は、徳島市バス中吉野町4丁目下車徒歩四分。
(一)主日(日曜日)礼拝 毎日曜午前十時三十分から。
(二)夕拝 毎火曜夜七時三十分から(旧約聖書を学んでいます)
・なお、毎月最後の火曜日の夕拝は移動夕拝で毎月場所が変わります。(現在の移動夕拝は、板野郡藍住町、徳島市国府町の二箇所で行っています。)
☆その他、土曜日の午後二時からの手話と聖書の会、日曜学校(日曜日の午前九時半から)が集会場にて。また家庭集会は、海部郡海南町、板野郡北島町、徳島市国府町(「いのちの
さと」作業所)、板野郡藍住町、徳島市住吉、徳島市応神町などで行われています。また祈祷会が月二回あります。
それらの集会についての問い合わせは下記へ。
・代表者(吉村)宅電話(FAX) 08853-2-3017