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休憩室  2001/4

スミレ

 春の代表的な野草として、スミレがあります。わが家は低い山の斜面にあるために、こどもの時からスミレにはなじみがあります。また大学時代には京都北山から福井、滋賀県にかけての山々のかなり広い領域をよく歩いたので、その折にもスミレをあちこちで見かけたものです。

 山を歩いていて、一番多いのは、タチツボスミレです。山道に群生しているのはほとんどこの種です。スミレはこれとは違って多く群生はしないのが普通です。わが家のすぐ裏にもタチツボスミレの自生が見られます。

 また、白いスミレとして比較的多く見られるものには、ツボスミレがあり、山道に時折一つ二つと見られるのは花が赤紫で美しいシハイスミレです。また、稀なものとしては、葉が深く分かれている白いスミレであるエイザンスミレがあります。これは野生のものとしては七百メートルほどの山で一度見ただけです。

 スミレは雑草として繁ることなく、またいたるところにあるわけでなく、思いがけないところの山道や山の斜面に少し見られること、その濃い紫色がことに印象的なこと、その自然に見られる姿がひかえめで、花の咲いたあとも地味なものです。しばしば野草は、夏には背も高くなって、生い茂ったり、種が衣服にくっついたり、あまり見よいものでなくなりますが、スミレはそうした点でも万事ひかえめです。

 こうした点からも、芭蕉が「山路きて なにやらゆかし すみれ草」と歌ったのも共感できます。自然のままの山道でスミレを見つけたときには、たしかに、何となく心ひかれるし、なつかしいような気持ちにさせてくれるものです。

 この芭蕉の句は、多くの人のスミレに対する気持ちをいわば代弁して歌ったもので、日本人の心にスミレが深く刻まれていることの証しとなっています。

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