リストボタン休憩室  2002/2

真冬の星座
 二月ももうじき終わりです。この頃は夕方から深夜にかけて一年中で最も美しい星空が見えるころです。それは、きびしい真冬の大気のなか、凍り付くような夜空のただなかに、一年中で最も多くの明るい星たちが南から頭上の空に輝いているからです。夜八時頃以降に、外に出るなら、南の方から頭上にかけての夜空には、たくさんの明るい星たちが競うようにまばたいています。現在は、本来の冬の星座のほかに、土星と木星が加わっているので、とりわけ心をひくものがあります。
 土星、アルデバラン(牡牛座の一等星)、すばる、オリオン座(一等星は、青白い輝きのリゲルと赤い輝きのベテルギウスのふたつ)、大犬座、子犬座、双子座、そして御者座、そして頭上に近いところには、最も澄んだ明るい星である、木星のつよい輝きが見えます。もし、まだ見ていない人がいましたら、ぜひ天気のよい、冬空に向かってこれらの星座を探してみるとよいと思います。
 冬の星空のようなものは、絵画で表現するのは困難です。神が大空いっぱいに書き上げた絵だと言えます。
 また、星は単なる物理的なものでなく、一種の音楽のようなもので、無言のうちに見つめる人に語りかけるものがあり、天の国の音楽がそこから流れ出しているように感じるものです。

讃美歌21について
 最近は、讃美歌21を使う教会や集会が徐々に増えています。私たちの集会でも次第に多く用いられるように成っています。先日に大阪府南部の家庭集会で、讃美歌21の五〇八番の讃美を用いましたが、もう八〇歳にもなるような老齢の方が、この讃美は歌いやすくていいと言われたことがあります。また県外での別の集会でも、何度か讃美歌21のよさを知った方もいます。新しい心で新しい讃美を歌うためにも、讃美歌21がさらにキリスト集会で用いられるとよいと思われます。
 ここには、それまでの讃美歌などには見られなかった、グローバルな讃美歌集となっています。例えば、二十一番は、インドの讃美歌で、歌詞もよく、独特の明るくてよいメロディーです。五百八番もインド北西部地方(パンジャブ地方)で歌われていたメロディーだということで、これも歌詞の内容もよく、曲ともに歌いやすく、明るいメロディーです。従来の讃美歌は圧倒的な部分が、ヨーロッパ、アメリカで歌われている讃美歌で、インドなどのものはなかったのですが、今回はこのようにいろいろの地方の歌が取り入れられています。
 また、三五四番「天の神、祈ります」という曲も、作曲者がフィリピン生まれのエレナ・マキーゾという女性で、後にアメリカのハートフォード神学校やユニオン神学校で学んだということです。この讃美歌の曲はフィリピンで人々に歌われてきた曲(民謡)のスタイルが用いられていて、とくに三節は短いながらも現代社会や私たちの身近な人々への祈りをこめて歌うことができる、メロディーと歌詞がよく調和した讃美です。

(1)天の神、祈ります、憐れみと祝福を。
その民をひとつとし、愛される み神よ。

(2)救い主、み子イエスよ、十字架と復活の
み恵みに感謝して、歌います、わが主よ。

(3)来て下さい、聖霊よ、悩むもの力づけ、
傷ついた人々を いやすため、今すぐ。
「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心から讃美せよ。」(エペソ書五・19

キリスト者とパソコン
 最近のパソコンの普及は、十五年ほど前からパソコンに関わっている者としては、その性能の飛躍的にたかまったこと、それと老若男女の各年齢層に広がっていることは、驚くばかりです。しかし、多くはメールだけに使ったり、ゲームとかの遊び、またはワープロとか、年賀状造りに使う人が多いようです。キリスト者としては、第一に聖書の学びに書物とは断然ちがった効果的な使い方があること、キリスト者同士の通信や祈り、定期的に行われる集会のまとめや記録、さらに、キリスト者の信仰に不可欠な讃美が自由に歌えるというようなことです。聖書の学びに用いるとき、キリスト者は生涯聖書を手放すことはないはずなので、生涯にわたってパソコンが座右の必需品となるのです。
 通信については、とくに県外の人、海外の人とも、すぐ近くにいるような感覚で通信ができることは、かつては考えられなかったことです。こうした重宝なものが神の言葉の学びやキリストのからだとしてのキリスト者同士のより緊密な交わりに用いられるとき、さらに祝福が与えられると思われます。


返舟だより

ある中部地方の方からの来信です。

 痴呆になった夫は、年前に亡くなりました。○○先生のお励ましを頂いて、先生がおっしゃったように、イエス様は共にいて下さいました。現実は厳しいものでした。けれども、夫は私にとってますますいとおしい人となって、私は愛し抜きました。いつ、私も倒れるかと思いましたが、皆に助けられ主人を見送ることができました。イエス様がともに担ってくださったのです。感謝でございました。心のいと深いところにおいて主イエスの愛の息吹きに触れて生かされたあのときを一生忘れないでしょう。
 罪のなかに落ち込んで苦しみ、体調もくずしてしまったりする私ですが、イエス様を見上げて一日一日を生かされたいと祈っております。

・このように、正常な反応を示さなくなった痴呆の夫に対してますます愛を注いで最後まで面倒を見ることができたとのこと、そのような愛を注ぐように導くのが、主イエスであり、神からの愛をゆたかに受けているのでなければ到底このような心で介助することはできません。こうした人知れぬところで、キリストはいまもその力をあらわし、弱く、孤立する者をも励まされるのだとわかります。

また、九州のある読者の方からは次のような来信がありました。

 高価な香油の箇所は、私も好きなところです。学生時代に、ギリシャ語のテストを控えてこの箇所を勉強していたら、夢の中でこの部分が現れ、香油の芳香までが知覚され、驚いて目をさましたことがありました。主の言葉にじっと聞き入ることの祝福が、マリアの捧げの行為につながったとのご説明感謝です。テニソンの詩も味わい深いですね。

・夢にまで現れるということは、聖書の箇所がふかく心に入っていたのを感じさせます。
 私が学生時代に読んだ本に、「みつばさの蔭に」という印象に残っている本があります。
 川西瑞夫(みずお)という、東京帝国大学で物理学を学んでいた若い学生が、当時、経済学部の教授であった矢内原忠雄の聖書講義を受けてキリスト者として真実な歩みをしていた。しかし高熱を出す病気となって意識不明の状態となり、死のときが近いと思われる状況になった。しかしその時に口から時々出てきたのが、「安し(やすし)、安し」だったという。それは、讃美歌五二〇番の「静けき川の岸辺を」の部分であった。

静けき川の岸辺を
過ぎゆくときにも
憂き悩みの荒海を
わたり行くおりにも
こころ安し、神によりてやすし

 このことを、読んだのは学生時代の終わりで、深い印象に残っています。意識不明になって高熱の状態であるのに、うわごとのように讃美歌の歌詞が出てきた、それはそのような状況でも讃美歌を無意識的に歌っていたのをうかがわせます。そして彼の口から出た最後の言葉は、両親を呼ぶ言葉でなく、キリスト教信仰を学んでいた師である、「矢内原先生!」であったということです。真実な若い魂がいかにキリストを真剣に求めて生きたか、その本全体に流れていたのを思い出します。

メール版「今日のみ言葉」 
毎月数回希望の方に、インターネットメールで送付している「今日のみ言葉」についての応答が時々あります。その中からいくつかをあげておきます。

・・二月一八日の「今日の御言葉」ありがとう。良い言葉ですね。み言葉の中へ、スウーッと溶けていく感じがします。
まだ聖書が手許にないままなので こうしてときどき聖書を解説付きで読ませてていただけるのが本当にうれしい。
 聖書は日本語だけで読んでいたら意味がわかりにくい。英語で読むかギリシャ語で読むかした方が良いとは聞いていますが、自分で両者見比べながら読むのは かなり大変です。だから英語も一緒にあって 有り難い気持ちです。
Be still (
静かに。心のなかを問いかける)  この言葉は特に 好きです。
(関東地方の方)
今日のみ言葉をありがとうございます。
主の前に 静まり、耐え忍びて主を待ち望め。
毎日出勤前に、覚えて出かけたいみ言葉です。
いろんな人の前に騒ぎ立つ心で向かう自分なので、このみ言葉は私に必要なみ言葉です。
耐え忍ぶということも今の私には特に必要です。(四国の方から)

○…
メールマガジン(「今日のみ言葉」のこと)を読みました。実は「はっ」っとさせられました。とても、不思議です。先生の書く文章はいつも心癒され、時に「はっ」とひらめかされるのです。
今回は「神の国」と言う言葉、その言葉一つで「はっ」と何か納得してしまいました。自分の今までの悩みが吹き飛ばされたようです。これは上手くは表現しがたい感情です。僕がしなければいけないことは分かっているのです。しかし自分の弱さや怠け心ゆえにそれが出来なかったのです。もっと自分の甘い気持ちに厳しく、自分の心に響く声に忠実に生きていきたいと思いました。(アメリカ在住の方)

短い一言であっても、神の言葉のゆえに、長く聖書を学んでいる方、また若い人などいろいろの人に何かを働きかけることができるのだと感じています。


お知らせ

 今年の四国集会は、六月十五日(土)午前十時~十六日(日)午後四時までです。場所は、徳島市の眉山会館です。

訂正
一月号 テニソンの詩の原文のうち、次のあげる最後の行が落ちていました。When I have crost the bar.


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