武力では解決しない
アメリカのブッシュ大統領は、北朝鮮、イラク、イランなどを悪の枢軸といって、それらの国々への軍事攻撃をも辞さない構えを見せている。困難な問題を武力を持って解決しようとすることは、必ずいろいろのところに新たな困難を生み出す。アフガニスタンへの武力攻撃をしたことで、世界の多くの国々がそのアメリカの武力攻撃を認めるような風潮を作り出した。日本にもその風潮が伝わって、自衛隊をインド洋まで派遣するというような憲法の精神からでは考えられないことをいとも簡単にやってしまった。
こうした武力攻撃を認める考え方は、武力の重要性を宣伝することであり、そのための武器、兵器の重要性を宣伝することであり、現在紛争が生じているさまざまの国において、そうした武器や兵器の販売や購入が広く行われる風潮をさらに作り出していく。
こうした武力を肯定する考え方によって、これらの武器、弾薬が広く世界的に広がってしまったのである。
第二次世界大戦後のソ連とアメリカとのきびしい対立状態(冷戦)が終わった後、社会的な平和が世界に訪れたかというと決してそうではなかった。この十数年の期間においても、世界のさまざまの地域での戦争、紛争によって死んだ人々はおびただしい数に上る。
小銃、携帯型ミサイル、迫撃砲などの小型の武器によって発展途上国を中心に年間五十万人以上が死亡しアナン国連事務総長の言うように、「事実上の大量破壊兵器」なのである。これは毎月四万人以上がこうした武器のために殺されていることになる。しかもこうした犠牲者の九割が一般市民で、その八割は女性と子供だという。
毎月四万人以上とは、一日平均では、毎日千三百人以上の人が、冷戦終了後十数年にもわたって死に続けているという計算になる。
アメリカの去年九月の世界貿易センタービルで亡くなった人は、三千人余りという。このことが全世界に大々的に報道されて、日本もそのために平和憲法も踏みにじって自衛隊をインド洋まで派遣し、さらに巨額の費用を、その問題の関連で、アフガニスタンにも拠出することになっている。
あたかも重大な問題はあの事件だけであるかのようにである。
しかし、このように、武器による、いわば小規模のテロによって、世界で平均すれば、毎日毎日千数百人が命を落とし続けているのである。そしてこうした武力によって問題を解決しようとする姿勢が、さらに世界に武器をはんらんさせ、その犠牲者が生まれるということになっている。
また、一日に一ドル(百二十円ほど)以下で生活している人々は世界で、十五億人を越えている。それは全世界の人々の四分の一という大きい割合なのである。すなわち、全世界の四人に一人がそのような極度の貧困な状況にある。
また、このような武器による被害の別の例は、地雷によるものである。
現在、世界では地雷が一億二千万発以上も、地中に埋まっているという。しかもその大部分は、アフリカやアジアの貧しい国々である。とくにアフリカのアンゴラには、千五百万発、カンボジアやアフガニスタンにはそれぞれ、一千万発もが地中にある。
これらによって毎月八百人が死んでいき、千二百人が手足を吹き飛ばされたりして、生涯にわたって大変な苦痛を受けるような被害にあっている。
これは、毎日、二十分に一人が、地雷の被害にあって、死んだり、手足の切断などに出会っている計算になる。 しかも、この危険な地雷を一個取り除くには、十万円以上の費用がかかるといわれ、現在のペースでは全部取り除くためには、千年以上も要するという。
こんな非人道的な地雷を、埋めてあるものも取り出して全部廃棄しようという、数年前に議論された条約(対人地雷全面禁止条約)に、アメリカ、ロシア、中国などが反対したのである。
このように、小型武器とか地雷によって今も、おびただしい人々が、殺されたり、重い障害を受けて悲惨な生涯を送らねばならなくなったりしている。
これは、要するに武力を肯定する考えから生まれたものである。日本のように戦争を否定する憲法を持って、武器を外国に輸出することもしないなら、こんな悲惨な状況は生じないのである。このようなよい結果を伴ってきた平和憲法も、人の心の弱さと無知から投げ捨てようという人が多くなりつつあるのは、まことに悲しむべきことである。
自分の国のことだけを考えて、武力を肯定してはいけないのである。武力肯定の考えは必ず武器の生産や輸出入を肯定することになり、そうした武器の生産が増やされ、その武器が世界の多くの国々に用いられ、そして弱い人々、貧しい人々がそこで犠牲になっていく。
武力の肯定がこのように、結局は弱い人々、貧しい人々の生活を破壊していくことにつながっているのを知らない人が実に多い。
武力を用いるかどうかという問題は、表面のことだけで考えてはいけない。そこから派生してくる数々の悲惨をも深く心に留めなければならないのである。
ことば
(122)真に善いことや偉大なことで、最初は小さなところから出発しないものはまれである。そればかりか、たいていは、その前に蔑み(さげすみ)と屈辱とが加えられる。
そこで、春先の嵐から春の近づくのを予感できるように、屈辱からその後に来る良き結果を確実に推測しうる場合が多い。もしあなたが屈辱のなかに、あとでそれだけ多くの恵みを授けようと願っていられる神の御手をみとめて、その屈辱をよろこんで受けいれることができるならば、あなたはすでに大きな進歩をとげたのである。(「眠れぬ夜のために 第一部 九月十五日の項より」)
○この最大の例は、いうまでもなくキリストであった。キリストは、生まれたときも、家畜小屋で生まれるという最もみすぼらしい所であったし、死ぬときも、最も重い犯罪人と同じ辱めと筆舌に尽くしがたい苦しみを受けられた。キリストの生涯は、そのような蔑み(さげすみ)と屈辱の淵から出発したのであった。
そしてキリスト教自体も、はじめは、キリストを裏切った弱い人たち、しかも漁師とか取税人といった社会的には当時は下層とされていた人々の小さい集まりから出発した。さらに、ローマに広がっていったときも、そこで重罪人として捕らわれ、磔(はりつけ)にされたり、飢えたライオンに食べられるとか、さらしものにされて最大の辱めを受けたのであった。そのような屈辱とさげすみのただ中からキリスト教徒の集まりは出発したのである。
また、日本において最も影響力を持ち続けてきたキリスト者は、内村鑑三であるが、彼もまた若いとき、最初の結婚にて大いなる苦しみを味わい、二番目の妻はわずか二年足らずで病死してしまった。そして一高にて教職にあったとき、教育勅語への敬礼が足りなかったということで、各地の新聞にも掲載され、自宅も石を投げられるなど侮辱も受けた。それは日本中の問題となったほどで、一高をも免職となった。その他いろいろの苦難、悲しみに直面していったが、それが後のキリスト者、伝道者としての生き方に大きな力を与えることになった。
私たちも何か真によきことを少しでも手がけるときには、そうした辱めやさげすみを受けることすらも覚悟しておくべきなのだと知らされる。
(123)感謝の回想
私はかつてエレミヤとともに嘆いて言ったことがある。「ああ、私はなんと不幸なことか、誰もかれもがみな私と争い、われを攻めて、皆が私をねらっているのだ」と。
しかし、今になって私は感謝していう、「ああ、私はなんと幸いなことか、人がみな私と争い、私を攻め、私をのろったので、私は神に結ばれてその救いを受けることができたのだと。
人に捨てられることは、神に拾われるであったのだ。人に憎まれるとは、神に愛せられることなのである。人に関わりを絶たれるは、神に結ばれることなのだ。
今に至って思う、わが生涯にあったことのうちで、最も幸いであったことは、世に侮られ、嫌われ、辱められ、斥けられたことであったことを。エレミヤ記十五章十節。(「聖書之研究」内村鑑三著 一九〇八年)
・この内村鑑三の言葉は、右のヒルティの言葉と通じるものがある。そしてこの言葉は、主イエスが言われた言葉にその源を感じさせる。信仰を持っていても、世の人や職場の人たち、さらには家族にすら退けられ、憎まれることすらある。しかし、そのようなこともすでにキリストは預言的に言われている。
私は、(人間的な、妥協的な)平和でなく、剣を投げ込むために来た。
人はその父に、
娘はその母に、
嫁はそのしゅうとめに、敵対することになろう。
こうして、自分の家族の者が敵となる。(マタイ福音書十・34~36より)
しかし、このような事態になったときの悲しみはいかばかりであろうか。その深い悲しみに対しても主イエスは、必ず慰めと励ましがあることを約束しておられる。
ああ、幸いだ、悲しむ者。なぜなら、その人は(神によって)慰められるからである。(マタイ福音書五・4)