休憩室 「真白き富士の根」と讃美歌 2002/8
○「真白き富士の根」といえば、今から九〇年ほど昔、鎌倉の七里ヶ浜で逗子開成中学生の乗ったボートが遭難し、十二人の生徒の命が失われたことを記念して歌われたものだと知られています。
真白き冨士の根 緑の江ノ島 仰ぎ見るも今は涙
帰らぬ十二の 雄々しき御霊に 捧げまつる 胸と心
この事件は、一九三五年に映画化もされ、この曲はその主題歌として広く知られるようになったとのことです。私も子供のときに七里ヶ浜のことを母から聞いたり読んだことを覚えています。
そういうわけで、私はずっとこれは日本の歌だと思っていたら、そうでなく、原曲は今から百六十年ほど昔にアメリカ南部讃美歌集に讃美歌として掲載されたものです。作曲者は、インガルス(JEREMIAH
INGALLS) です。その讃美歌の歌詞は、つぎのようなものです。
「主が、その庭(garden)に入って来られる。そうすると、ユリは成長し、茂ってくる」
The Lord into His garden comes …The lilies grew and thrive …
そのために、この曲名は、GARDEN と名付けられたのですが、これが間違って、作曲者の名だとされて、ずっとこの曲の作曲者は、「ガードン」ということになってしまいました。(讃美歌には作詞者、作曲者名と別に、讃美歌の楽譜の右上の作曲者名の上に、その曲名が記されています。)なお、作曲者は、インガルス(Jeremiah
Ingalls)です。インガルスは、もとは、讃美歌とは関係のないふつうの曲であったものの一部をとって、それを編曲して現在の曲にしたということです。
現在発行されている、一般向けの歌集にもこの曲は含まれていることが多いのですが、それらも作曲者は「ガーデン」となっています。最初の頃にこの曲を紹介した人が間違って書いたことが、ずっと受け継がれてしまった例です。
このように、もともとアメリカで、讃美歌として用いられていたのが、日本では全く違った内容の歌として用いられ、しかもそれが広く日本全国にまで広がっていきました。現在五十歳以上の人は、この「真白き冨士の根」という曲は誰でも知っているはずです。
これが日本で讃美歌として収録されたのは聖歌(一九五八年発行)で、キリストが再び来られるのを待ち望む再臨の歌となっています。(聖歌六二三番)
そして去年新発売された、新聖歌にもこの讃美はおさめられています。(新聖歌四六五番)しかし、ここに書いたような事情を知らなかったようで、作曲者は、不明(Anonymous)となっています。
歌詞は次の通りです。
(一)いつかは知らねど 主イエスの再び この世に来たもう日ぞ待たるる
その時聖徒は 死よりよみがえり 我らも栄えの姿とならん
(二)悩みは終わりて 千歳の世となり あまねく世界は君に仕えん
荒野に水湧き、砂漠に花咲き み神の栄えを仰ぎ得べし
(三)されば萎えし手を強くし もとめよ 弱りし膝をも 伸ばして歩め
約束のごとく 主は世に来たりて 迎えたもうべし そのみ民を
(四)その日を望みて 互いに励まし 十字架を喜び負いて進まん
嘆きも悩みも しばしの忍びぞ たのしき讃えの歌と変わらん
このように、もとは、讃美歌としてアメリカで用いられたのが、日本にきて遭難事故の悲劇を歌う歌として広く知られ、それが再び、讃美歌として今回の新聖歌にも掲載されています。
「真白き冨士の根」としてはもう過去のものとなって歌われなくなっていますが、この讃美は今後も再臨の歌として長く歌い継がれていくと思われます。こうしたところにも人間の考えや思いを越えた不思議な神の導きを感じさせられます。(以上の内容は、「讃美歌・聖歌と日本の近代」九三〜九八P
音楽之友社 一九九九年から得たものです。)
返舟だより
○京都・桂坂での集会
八月三日(土)〜四日(日)の二日間、京都西部の桂坂のふれあい会館において、第二回目の近畿地区無教会 キリスト集会が行われました。もともと、この合同集会の母胎となったのは、毎年行われている四国での合同集会に参加していた近畿の人たちが、大分以前から、神戸、大阪狭山市、京都大山崎などの地で交代しながら、集会を初めていたものです。しかし、京都大山崎の集会の責任者が召されたことがあり、一時休止状態となっていました。その後、私(吉村)が、教職を退いて、京阪神のそれらのいくつかの集会に偶数月に出向いてみ言葉を語るようになりました。また、それとは別に、徳島で長くおられたS.S、H.夫妻が京都桂坂に転居されることになりました。ちょうどその桂坂に宿泊できる施設があるので、それらの各地の集会が合同して集会を持ったらどうかと、大阪狭山市のMS姉が提案され、京阪神の有志の信徒の方々のご協力によって、去年からその地で合同集会が開催されることになりました。
今回のプログラムはつぎのようでした。テーマは、「苦しみの時にも」とされ、とくに苦しむ人たちへの関わり(入佐さんの講話)、苦しみの意味とそこからの救い(聖書講話)について語られました。
三日(土) 13時〜14時20分 開会礼拝 「いと小さき者の一人に」A.I
14時30分〜17時30分 自己紹介、証し、発題など。
19時30分〜21時 夕拝 聖書講話 吉村 孝雄
四日日 6時30分〜7時30分 朝の祈り グループ別 近くの公園にて
10時〜12時 主日礼拝 特別讃美 聖書講話 吉村 孝雄
午後は、読書会。テキストはジャン・バニエ著「心貧しき者の幸い」の中から「苦しみの神秘」、内村鑑三とヒルティの短文集。
開会礼拝の講話で、I(いりさ)Aさんは、若い時から大阪の大阪市西成区の釜ヶ崎(愛隣地区)にて、ボランティアとして日雇い労務者と共に歩んで来られたご自身の経験を、キリスト信仰をもとにしつつ、語られました。主の前に低くされ、上から何かをしてあげるという姿勢でなく、共に歩もうとされているのが感じられ、主がIさんを動かしてきたのだとわかりました。キリストはそのような働き人を古代からつぎつぎと起こされてきたのを思います。今後とも一層、主の祝福と導きを受けて歩まれますようにと祈りました。
今回も、徳島からは十二名ほどが参加して(聴覚障害者も一名参加)、京阪神のキリスト者の方々と共に学び、讃美し、祈り合って主にある交わりを深めることができました。参加者は、大阪、京都、兵庫、徳島のいつもの府県からの参加者のほかに、遠く鳥取や、滋賀、高知からの参加者もあり、約四十名ほどが集まりました。また、中高校生や二十歳代の若い人たちも五名ほど参加できたことも感謝でした。
京阪神のそれぞれの集会の方々の祈りと準備、当日のお世話をありがとうございました。
○特別集会の恵み
京都桂坂の集会もそうですが、毎年の四国集会や全国集会、あるいは、私たちの集会だけで行う特別集会など、ふだんの日曜日ごとの礼拝集会とはちがった形で行われる特別集会はまた別な恵みがあるのがわかります。いつもの日曜日の集会には決して来ないような人が参加されたり、長い間参加していなかった方がそのような特別集会には思いがけず参加する、また、信仰が弱っていて長く集会に参加していなかったような人が参加して新しい力を受けたり、またいつもと違った聖書講話が心にとくに深く入ってきたりします。
それから意外な出会いがそうした特別集会で与えられることもあります。そしてその出会いがまた新たな人や集会との交わりとなり、さらに相互の集会にとっても祝福となる場合もあります。
それは一つには、そうした特別集会には日頃からの準備として、祈りを続けていくこと、多くの労力を注ぐことなどから、主がとくに目を注いでくださり、祝福を与えて下さるのだと思われます。
いつもの日曜日ごとの集会を大切にしつつ、こうした特別集会もまた主がさらに祝福して下さって御国の栄光のために用いられますように。
○関東地方の方からの来信より。
…イエス様に目を向け、歴史を支配して下さる神様を信じるとき、希望を持って世界の平和のために祈り続けることができます。日本の若者に、また政治家に神を畏れる信仰を与え給えと祈る毎日です。
平和憲法の存在が危うくなりかけた今、高齢の夫とともに何度か東京まで出かけ、有事法案反対の集まりに参加し、デモにも加わっています。今黙って見過ごしていると、流されてしまっては一生後悔するだろうと思うのです。
○九州の読者よりの来信です。
今日は「はこ舟」により一人で聖日を守らせて頂き感謝でございました。
「神ともにいます」ということ、旧約聖書の冒頭より、新約聖書のヨハネ黙示録に至るまで、神は信じる者と共にいて下さり、現在も共にいて下さいますことを詳しく、わかりやすく説いてくださり、聖言に取り囲まれているような、心の熱くなるのを覚えました。
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