休憩室 2003/2
○現在(2月下旬)では、だいたい夜九時頃以降、頭上を見上げると、木星の強い輝き、そして澄んだ輝きがいつも見られます。金星、火星、木星、土星など惑星の名前は小学校のときからすでに、ほとんどの人は知っています。しかし、意外なことに、ほとんどの人がそうした星を見たことがないのです。これら惑星は、その強い輝きのゆえに見つけることも容易だし、宇宙への関心を呼び覚ますものです。夜の大空に輝くこうした星たちを見つめることは、その背後にそれらを創造された、神への思いへと結びつきます。地上の自然とちがって、いかなる人間の科学技術によっても破壊も汚しもできない宇宙の星たちは、数千年前と変わらぬ深い味わいのある輝きを放ち続け、心を開いて見つめるものに、言葉ならぬ言葉で語りかけています。
神が光を送ると、光は進み、
一声命ずると、光はおそれつつ従う。
星はそれぞれの場にて、喜びにあふれて輝き
神が呼ぶと、「ここにいます」と答え、
喜びつつ、自分を創造した神のために輝いている。(旧約聖書続編バルク書三・33~35)(*)
今から二千年以上も昔に書かれたこの文書にも、星の光も神がそのご意志に従って送っているのであり、その星は神の愛に満ちたご意志を受けているゆえに、喜びにあふれて輝いていると記されています。星を見てもただその無言の輝きを見るだけ、あるいはほとんど星を見たこともない人も今日の都会の人には多いと思われます。しかし、このはるかな昔の詩人は、星の光のなかに、神に結ばれている喜びを感じ取っていたのです。そのような喜びを感じる魂には、自ずからその喜びが自分にも伝わってくるでありましょう。共鳴するのです。
○先日、かなり遠距離の聖書集会に参加しての帰途、夕方に車のフロントガラスをう通して、前方に光を心を引きつけるような色合い、雲の形と動きに出会ったのです。そこからこの地上に沈黙のうちに、神の国からの光が放射されているかのようでした。神からの聖言も同様、目には見えないけれども、あの光のように私たちの世界につねに放射されているのだと感じました。
(*)バルク書とは、旧約聖書の続編に含まれる書物で、バビロン捕囚とされた人たちの中で、バルクという人物が、バビロンにいる同胞たちに宛てた励ましや祈り、真理への讃美の書。