ことば 2003/8
(161)向こうのくぐり門が見えますか。あの光から目を離さないで、まっすぐにそこへ登っていきなさい。(「天路歴程」新教出版社版 42頁 バニヤン著)
・聖書以外では最もよく読まれた本の一つとされるのがこの書物で、それは数々の苦しみを経て、目的地なる神の国に導かれていく歩みを記したもの。その出発点に書かれているのがこの言葉である。信仰を持つとは、ここで言われているように、彼方へ続く道とその方向に輝く一点の光を見つめて生きていこうとすることである。
(162)信仰は冒険である。富や名誉を得るための冒険ではない。理想を行うための冒険である。良心に響く神の声に従おうとする冒険である。(「聖書之研究一九二七年七月」内村鑑三著)
・冒険とは、未知のところ、何らかの確実でないところに向かって踏み出すことである。そこにおのずから信仰が必要となってくる。周囲の人の歩むままに流されていく歩みには冒険はなく、信仰は力なきものとなるであろう。
(162)私の生涯で、最も助けとなったことは、朝目覚めるごとに、まず最初に、魂で神を仰ぎ見なさい、と訓練学校で教え込まれたことです。(これは、ナイチンゲールが、直接ある訓練学校で学ぶ人から聞いたとして引用している言葉。「ナイチンゲール書簡集」現代社 8頁)
返舟だより
○近畿地区無教会集会
八月九日(土)~十日(日)の二日間、京都桂坂にて、大阪狭山聖書集会が中心となってお世話くださり、近畿地区無教会・キリスト教集会がありました。ちょうど台風の四国地方への上陸と重なり、愛媛県の南部や松山、徳島などの参加者は、フェリーがとまって、JRに変更して長い時間をかけての参加となったり、高速バスが出ないので、三時間ほどもバスを待つことになったり、いろいろの妨げがありましが、全員参加できました。ほかに、近畿外では東京や鳥取からの参加者もあり、五十五名ほどの集まりでした。講師としては東京から日永康氏が、内村鑑三についての講演、私(吉村(孝))は、旧約聖書の信仰、新約聖書の信仰について聖書講話を担当しました。若い人も参加がだいぶあったので、若者の集まりも設けられ、初めての方、日頃参加したことのない方も参加があり、み言葉の学びや主にある交わりが与えられて、新しいいのちを与えられた思いでした。主はいろいろの主にある集まりを祝して導いて下さることを実感したことです。