リストボタンことば    2004/2

174)何にも目的がなく、いかに思索をしても決して、大いなる思想を持つことはできない。
大いなる思想は、人を助けようとする愛に燃えるとき、自ずからわき上がってくるものである。(「ロマ書の研究」内村鑑三著 第58講より)

・人を助けたい、苦しむ人、闇にある人に何とかして助けになるものを提供したい、との真実な願いのあるところ、何か道は示される。そしてそうした思いが神によって燃やされるところに、深い思想、信仰は生れる。それは論理的な精密さとか体系の大きさといったものとは違って、神からくる深さである。それは、神の愛に基づく心であり、それゆえに神ご自身が深める。

175)彼は、自分の魂を知っていた。それは彼にとって尊い者であった。彼はそれを、ちょうど瞼(まぶた)が、眼を保護するように、護っていた。
そして愛という鍵なしには、何人も自分の魂のなかへは入れなかった。(「アンナ・カレーニナ」河出書房版 トルストイ著 392頁)

・人はだれでも自分の心、あるいは魂といったものにたいてい鍵をしめて他人が入らないようにしていると言えよう。トルストイが書いているように、心のなかに入るためには、愛をもってしなければできないというのは多くの人が感じているだろう。
人間を創造された神ご自身にもいわば鍵がかかっていて、自然のままの人間にはそれを開く鍵を持っていない。
人の心だけでなく、神の心にもそして神が書かせた私たちへの言葉といえる聖書も、また神のこの世に関する大いなる御計画もまた、同様である。さらに私たちの周りにある自然の世界も同様で、それらにははある種の眼にはみえない鍵がかかっていると言えよう。
黙示録では「封印された巻物」(黙示録五・1)と記されている。
私たちはまず信仰によって、さらに神への愛によってのみ、こうしたさまざまの世界へのとびらを開くことができる。
「 門をたたけ、さらば開かれる。」
176)イエスは「求めよ、そうすれば与えられる」と言われ、すべての必要なものを求めよ、と言われた。イエスは繰り返し私たちを祈りへと招き、導き、励まし、勧め、また祈るように命じられる。祈りは救われた人にとって、生命の心臓の鼓動である。(「祈りの世界」38頁 ハレスビー著 「日本キリスト教団出版局」)


返舟だより    2004/2

「今日のみ言葉」一〇四 本当にありがとうございます。
『人はパンだけで生きるものではない。神の口からでる一つ一つの言葉で生きる。』 この短い聖句、なんて壮大で重い言葉なのでしょう。
私の人生もパンの奪い合いの人生であり、今もその延長線上にあります。目に見えない本当に大切なものを忘れがちであり、時には苛立ちや不安の中で生活している毎日です。
イエスが五千人にパンを与えた奇跡、その当時の人達は本当にイエスの言葉を聴き希望と喜びに満たされ、生きる力が湧き、あり余る程の充足感に満ち溢れた事でしょう。当時イエスの言葉を聴いた人達は誰も明日の糧を考えなかった事でしょう。そしてこの人こそキリストであると確信して家路に着いたでしょう。先生の短文を読んでいてそのような事を考え、言葉は神と共にあり、言葉は神であった事が実感として迫ってくるような気がしました。(近畿地方の方)

はこ舟2004年1月号を読んで。
詩篇七十三篇については、悪しき者がなぜ栄えるのか、そのことに関しての我が悩み、そうした矛盾の解決の道はどこにあるかなどとありまして、はこ舟や元日礼拝のテープを参考に紙に写しながら読みました。
自分がふだん思っていることを語ってくれているなぁと思いました。ただ私の場合はまだ心が定まっていないと思います。
時に他人の行いに対して腹を立てている自分に気づき、ああ、こういうとき、相手の人がイエス様のことを知って罪が贖われます様に祈りなさい、と書かれていたなぁと思い出して心の中で静かに祈るようにしています。
どうかもっと聖霊が注がれて、イエス様を絶えず仰ぐことが出来ますように。
綱野さん、宮田さん、アシュレーをありがとうございます。毎月楽しみにしております。
集会の皆様に神様のご祝福がありますように。(関東地方の方)

今月はいつもの、はこ舟、今日のみ言葉、に加えて野の花が届けられまして、御恵み
をたくさんいただきました。まことにありがとうございました。「野の花」の御一人
一人の文章を丁寧に読ませていただきました。どのかたも、みな、人に格好よいとこ
ろを見せた文章ではなくて、あるがままのご自分を神様に捧げていると思いました。
十字架にしかすがるものはない、とはっきりした信仰の原点に立っているのが感じら
れました。心砕かれ、そして心洗われました。(関東地方の方)


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