教育基本法の改定のこと 2004/3
最近、憲法と教育基本法の改定がよく議論に上るようになった。これは多くの内容を含んでいるが、ここでは、とくに戦前の教育の基本になっていた教育勅語と現在の教育基本法の精神の違い、なぜ、どのようなところを変えようとしているのか、それがなぜ問題なのかを考えてみたい。
教育によって日本人の考え方を変えようというのは、明治以来つねに政府が力を入れてきたところである。実際、戦前は教育勅語という教育の基本方針を作っていた。その教育勅語の冒頭の部分はつぎのように記されている。
朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克く孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々ソノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体の精華ニシテ教育の淵源亦実ニ此処ニ存ス…
このような文は現在の多くの人にとっては、意味不明になっていると思われる。これは要するに、教育の淵源(根本)は、天照大神ら神々や歴代天皇によってつくられた日本独自の国柄、あるいは国の成り立ち(「国体」)にある。それがあるから日本人は忠孝に励むなどの美点を持っているのだなどと言おうとしている。
教育の源が歴代の天皇にあり、という考え方から当然のことであるが、天皇が現人神として人間以上の存在として崇められた。しかし、現実には天皇といっても、ただの人間であり、歴史のなかを見ても、戦争などで人を殺すなどさまざまの悪をなしたことが記されている。(*)
それゆえ、教育勅語のはじめの部分にある、「皇祖皇宗(こうそ・こうそう)」というのが、天皇の誰を指すのかという議論がいろいろとあって、皇祖というのは、天照大神であるとしても、皇宗とはどの天皇を指しているのかがはっきりしないままに、これが絶対的なもの、永遠的なものとして唱えられてきた。
(*)例えば、有名な大化の改新とは、中大兄皇子(後の天智天皇)が蘇我蝦夷・入鹿の親子を殺して政権を握ったのであるし、十三世紀後半の亀山法皇が伏見天皇の暗殺をはかったりして、大きな混乱が生じて後の持明院統と大覚寺統の皇位争いのもとになったこともあり、またその後の南北朝の天皇をもとにした政権の争いは六十年も続いた。それは北は陸奥から、南は九州にまで及んだ大戦争となり、京都や近畿一帯で戦乱が行われたところでは寺院などだけでなく、何万もの民家も焼かれ、作物も荒廃した。双方の軍による略奪もひどく、白骨や死体が重なるといった状況を呈した。
これに対して、現在の教育基本法は、次のような内容がその冒頭にある。
我等は個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にして、しかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
これが教育基本法の精神となっている。明治の教育勅語の精神と大きく異なるのは、個人の尊厳を重んじること、真理と平和を願いもとめる人間ということが掲げられていることである。
これは、日本が引き起こしてアジアにも数千万の犠牲者を生み出した太平洋戦争への強い反省から生れているのはすぐに理解できる。
戦前の教育勅語では、天皇中心であり、天皇が父親となった国家が第一に重要なのだという考えがあった。そのために、個人の価値の尊いことなどは粉砕されてしまうことも生じた。それが戦争である。
また、教育の根源は天皇中心の国体(国のかたち)にあるということから、学問もその国体のためだとされた。
「わが国のあらゆる学問は、その究極を国体に見いだすと共に、皇運の扶翼をもってその任務とする。…今日の学問においては知らず識らずの間にこの中心を見失うおそれなしとしない。明治天皇の五カ条のご誓文のなかに、
智識ヲ世界ニ求メ 大イニ皇基ヲ振起スヘシ
と仰せられているのであって、如何なる学問に従事するものも、常に思をこの根本の目的に致し…」(「國体の本義」118~119頁)
明治政府は国民を強力に支配する方法としてこのように、天皇を前面に持ち出すことにしたのである。それは現在ですらも一部に残っていて、君が代の強制や公務員などに対してなされている元号(*)の事実上の強制などがそれである。
またさき程引用した文のあとには、教育に関してつぎのような文が続く。
わが国の教育も、また一(いつ)(**)に国体に基づき、国体の顕現を中心とし、肇国(ちょうこく)(***)以来の道にその淵源を有すべきことは、学問の場合と全く同じである。
わが国の教育は明治天皇が「教育ニ関スル勅語」に訓へ給うた如く、一に我が國体に則り、肇國の御精神を奉戴して、皇運を扶翼するをその精神とする。(同121頁)
(*)明治、大正、昭和、平成といった一世一元制の元号は天皇を現人神であることを国民の意識のなかに浸透させる目的で、明治になって考え出されたものであって、個人の名前を時間の単位としたのは、世界に例のないものである。
(**)ひとえに、専ら、全く
(***)国のはじめ
このように、学問も教育も天皇や皇室中心の体制をよくすることが究極的な目的とされ、そのような天皇中心の体制こそが教育の根源なのだとされていたのである。
ここには何かが中心になければ人間を引っ張っていくことができないために、天皇を持ち出したのであった。人間では絶対的な力に乏しいゆえに、生きている神(現人神
あらひとがみ)だという説明を作り上げてしまったのである。
こうした単なる神話、人間が造り出した物語を根拠として国の教育や学問、そして国家の方針までそれに従ってやっていくということは、そもそも無理なことであった。
砂のうえに建てた家のようなものだといえる。
事実そうした人間の作り事を基とした国家計画は挫折したが、単に国家の体制が壊れたというにとどまらず、おびただしい犠牲者が出る戦争を引き起こしていったのであった。
このような挫折から、新しい憲法やそれに基づいて教育の基本になる法律が作られた。それゆえ、平和を願い、個人の大切さを前面にだしたのである。
明治憲法のもとでは個人は大切なものとされず、国家というもののために個人がどのようにでも犠牲として使われるという体制であったからである。
それがはじめにあげたように教育基本法の精神をあらわす前文となっているし、さらに第一条に次のように記されて、重ねて強調されているのがわかる。
(前文より)我等は個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する…
第一条(教育の目的)
教育は、人格の完成を目指し、平和的な国家及び社会の形成者として真理と正義を愛し、個人の尊厳をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神にみちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われねばならない。
日本がたどってきた戦前の道を考えるとき、こうした平和を重んじ、真理と正義を愛することを前面にだすべきことは当然なことであったし、天皇を現人神とする国家宗教が教育をも支配し、国を破滅に追い込むことになったことから、特定の宗教的なものを教えないということにもなったのであった。
このような考えから生れた教育基本法は、憲法の第九条の平和主義と密接な関係にあるのは直ちにわかる。
そして現在の自民党などが憲法とともに教育基本法を変えようとしているのは、太平洋戦争という大きな犠牲をはらって学んだはずのことをかなぐり捨てて再び、間違った道を歩もうとしている表れである。
教育基本法を変えようとする人たちは、日本の伝統や文化を重んじるように仕向けるということを繰り返し言っている。しかし、真理や正義以上に、日本の伝統や文化を重んじることによって何が生じたかは、戦前の状態がよく示している。日本の伝統や文化の代表的なものが天皇制だという主張はしばしばなされる。
日本には教育や人間のあり方の基本的なものがない。それゆえに、戦前は天皇というただの人間を現人神にまで持ち上げ、その天皇を教育の淵源であり、目的であるとして、国民を無理やりそのような偶像に結びつけていくというまちがいを犯してきた。
そして現在、ふたたび教育の場において、「君が代」のような天皇を祝う歌を強制していくということで、戦前と似たような状況を一部に作り出そうとしている。
また、武力を大きくして、敵を憎み、戦争をして弱い国を従えるということは、日本だけでなく、どこの国にもあるもので、いわば伝統である。それは自然のままの人間にきざまれた本性のようなものである。
しかし、こうした人間の罪深い本性であり、伝統ともいうべき傾向にまったく異なるあり方を指し示したのが、キリストであった。それゆえに人間の古い伝統的なあり方とは鋭く対立し、ついにキリストは十字架に付けられたのであったし、それ以後の歴史においても同様で、つねにキリスト教が初めて入っていくときには迫害が行われてきた。そして現代でも、キリスト教に属する発想はつねにこの世から好まれず排斥されようとしている。憲法の平和主義や教育基本法のなかに見られるキリスト教的な平和主義や真理をまず第一に置こうとする考え方を退けようとしているのが、現在の教育基本法の改定のうちにも見られる考えなのである。
日本の伝統や文化を真理以上に重んじていた戦前はどうなったのか、を考えて私たちは主イエスが言われたように、まず伝統とかでなく、まず神の国と神の義を第一とすることこそあらゆる場での目標となるべきなのである。