リストボタン神の言の学び    2004/6

神のことば
を学ぶ集まり、日曜日ごとの礼拝集会や家庭集会がある。そこでの目的は単に聖書の内容に関する知識の習得ではない。
その学びのとき、集まりにともにいて下さるキリストから目には見えないものを受けるためである。それは聖霊といわれる。聖霊は魂の平安を与え、また静かな神の国の喜びや力をも伴う。
それゆえ同じ讃美を歌い、同じようなことを学んでいるとしても、新しさを感じさせてくれる。
神の霊が働くとき、わずか一枚の葉であっても、一輪の野草の花であってもまたいつも目にする夕日の輝きや雲の流れであっても、そこに私たちは新鮮な何かを感じる。そして御国へと引き寄せられる。それらの自然もまた神の言葉によって創造されたものであり、聖霊が働くことによって神の言葉の持つ力の源へと招かれるのである。
神の言葉の学びについても、ギリシャ語などの聖書の原語あるいは歴史や地理などいかに多くの聖書知識を学んでも聖霊が働かないなら、かえって負担になることもある。神の見えない力が注がれ、
聖霊の祝福があるとき、わずかの知識であってもみ言葉が力となり、光となる。区切り線
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