休憩室 2004/6
○六月の花といえば、私には野草ではウツボグサ、樹木の花ではクチナシがまず思い浮かびます。両方とも野生のものはあまりみられないのですがいずれも自然の中で咲いている姿は心惹くものがあります。インターネットで希望者に送付している「今日のみ言葉」にも、私の撮ったこの二つの写真を入れましたが、クチナシの野生などあるのですか、とか、もう何十年も見たことがないとか、全然野生のものは知らないといった人たちが多かったのです。
私は子供時代からわが家のある山に自然に生えたクチナシはその純白の花が目立っていたし、香りの優れていることと、花をとってカザグルマのようにしたりして親しんできたのです。
また、やはり家の周辺の山でときおり見かけたのは朱色のツツジです。これはふつうのツツジがすべて咲き終わった六月ころに咲くので何というツツジなのかと名前が知りたかったのですが、ずっとのちになってヤマツツジだとわかりました。このような幼少の頃に刻まれたものはいつまでも心に残っていて、それが心の土壌となっているのを感じます。
○蛍
わが家に帰る少しの山道に六月の短い間、蛍が見られます。年間を通して水が流れているごく小さな谷はだいぶ離れたところにあるのでそこで育ったと考えられますが、そのような小さな流れでよく絶滅せずにいるものだと思います。闇夜に光る蛍、そのゆったりした点滅は心に柔らかい光をも投げかけてくれるものです。
こうした植物や虫たちの、しかも清い美しさを伴う姿と、子供たちのゲームなどに見られる騒々しく闘争的な内容といかにかけ離れていることかと思います。
自然が失われた都会において、人間がこうした自然の単純な美しさや清い姿に触れる道は失われてしまいましたが、私たちが生ける神と深く結びつくときには、そのような自然そのものを創造した神に結ばれることになるので、おのずから自然のもつ静けさや清い美にも触れることになると思います。