ことば 2004/6
(186)…フランシスコは常に進歩しなければ、退歩するだろうと恐れ、すべての時間を心を高め、英知を得るために与えられた聖なる時として用いた。
(「アシジの聖フランシスコの第二伝記」第61章94 チェラノのトマス著 )
・私たちは前に進むのでなければ、後退する。日々の生活のあらゆる時がそのまま前進の時となるようでありたい。
(187)神を求め、神を見出し、神をあなたの力にしてほしい。
もし神がおられなければ私たちの努力はことごとく空しくなり、私たちが夜明けだと思っていても闇夜となってしまう。神がおられないなら、人生は決定的な場面のない無意味なドラマとなってしまう。
しかし、神がおられるなら、私たちは絶望的に疲れた状態であっても、希望の力を取り戻すことができる。
神がおられるから、私たちは真夜中のような暗い状態から喜びの夜明けへと起き上がることができるのである。(「キング牧師の言葉」72頁 日本キリスト教団出版局)
・キング牧師は黒人への差別との戦いに生涯をかけた人であった。恐ろしい憎しみを受けて命の危険を感じさせるような状況にあって、彼はこの言葉にあるように、つねに神への信仰によって新たな力を得てきた。私たちも真剣に求めさえすればどんな状況にあってもそこから光を見出し、立ち上がる力を与えられるであろう。
(188)神への愛だけが、われわれを徹底的にエゴイズムから解放することができ、またすべての本当の自己改善の始まりである。
この神への愛がとりわけ強くならないかぎり、人間愛、人道、倫理などといっても、そのうしろになんらの力も持たない空語にすぎない。(ヒルティ・「眠れぬ夜のために上六月13日」)
・私たちが神を愛するとき、初めて私たちは他者を愛する力を与えられる。そのことは、愛は聖霊の実であると聖書に記されている。単なる人間的な愛は真の愛の影にすぎないゆえに、何の力もないと言われている。