リストボタン委ねる    2004/8

この世は偶然が支配している、神などないと思っている人が大多数を占める日本においても、一五四九年にキリスト教が初めて日本に伝えられてから、神とキリストを信じる人はこの四五〇年あまり途絶えたことがない。
それは確かに神がおられるという実感を与えられる人がいかなる時代になっても変ることなく生れてきたからである。どんなに悪がはびこり、また迫害が厳しく、背教する人も次々と生じてもなおキリストを信じる人がたえることなく続いてきたのは、神がおられるという実感を与えられるからである。
そのためには、祈り、学び、礼拝集会などいろいろがそのような実感を与えるのに役立ってきた。それとともに委ねるということの重要性がある。私たちがいるかいないかわからないように感じても、思い切って真実なる神に委ねて決断したとき、予想していなかった神からの助けや道が開かれることを私は経験してきた。
そのたびに神が生きて働いておられるという確信が深められてきた。
委ねるとは、目をつぶって飛び下りるような気持ちでもある。その決断をすればどうなるか分からないが神のみを見つめて決断をする、そこにだれもが予想していなかった道が開けていった。
これは書物では学べないところがある。その決断をせねばならないような状況は、各人によって異なる。それぞれが置かれた状況での決断はただその人だけがその困難さを知っているし、あとに続く苦しみなども自分が背負っていかねばならない。
そうした決断をする心を神はじっと見ておられる。私たちが真実な心でなせばなすほど、神の国をまず見つめて自分のことを第一にしない心であるほどに、神は私たちを未知のところ、神のわざを実感できるところへと導いて下さるのである。
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