返舟だより 2004/8
○八月七日(土)~八日(日)の二日間、京都桂坂のふれあい会館にて、近畿地区無教会 キリスト教集会が開催され、京阪神のほかに、奈良、愛媛県、徳島県、広島県などからも参加者があり、五〇名ほどが集いました。
年齢的にも高校生から、九五歳の方までいろいろの方が参加して、「希望」をテーマに聖書を学び、講演もあり、特別讃美や証し、早朝祈祷、読書会もありました。今回も土曜日と日曜日の二回の聖書講話は吉村
孝雄、講演は、山形謙二氏(神戸アドベンチスト病院長)が担当。
なるべく多くの人に司会など何かの役割が与えられるように配慮されていて、全体として今回の集まりもキリストのからだであるとの感じを与えられたことです。
聖書やキリスト教に全く初めての若者も、大阪狭山集会に属している人の紹介で参加したのですが、そのような人にこそ、主が天の国の何かをその魂に刻んで下さったことを思います。
日曜日ごとの集会が基本ですが、その上にこうした合同の特別集会が与えられることは、大きな幸いです。日頃出会うことのない、キリスト者たちとの出会いからまた新たなつながりが与えられ、学びがあり、ふだんの集会では与えられない霊的な飛躍が行なわれてそれから新しい成長が始まることも実際にあります。
来年の桂坂の集会もさらに祝福され、闇に打ち勝つ光としての役割がなされますように。
○八月十三日(金)~十六日(月)
北海道の南西部にある日本海側の町、瀬棚町(小樽から百七十キロほど南)にて第三十一回の、瀬棚聖書集会が行なわれ、去年に引き続いて、吉村(孝)が聖書講話を担当することになり、私たちの徳島聖書キリスト集会からも四名が同行し、また兵庫県の方も一人参加して部分参加を含めて三十名ほどの参加で行なわれました。
三泊四日という聖書集会としては長い日程で、地元の参加者は酪農家の方々で、参加できる日とか時間帯に聖書集会に参加するといったかたちで、また、その家の家族で参加するといったかたちになっている人たちもあり、ほかの地域の聖書講習会とはかなり異なる集会です。
聖書講話は新約聖書と旧約聖書の双方を用い、聖書全体のメッセージを見つめることができるようにと考えました。また、日本キリスト教団利別教会での礼拝説教は、詩編のなかから選びました。それは、詩編の特別な重要性にもかかわらず、教会、無教会を問わず、概して詩編がわずかしか取り上げられていないと感じていたからです。
瀬棚聖書集会が終わってから、札幌に行きましたが、そこで私たち徳島からの参加者との交流会が準備されていました。そこでは、旭川や苫小牧からも参加者がありました。旭川から札幌まで百四十キロ、苫小牧市からでも九十キロほどもあるのに、幾人もの方々が参加して下さって感謝でした。そして地元の札幌市内の方々も十六名ほど、さらに神奈川県から札幌にちょうど来ていた方も参加され二十一名の方々が私たち徳島聖書キリスト集会との交流会に参加して下さいました。
はじめは、中途失明された大塚さんご夫妻とお会いするということから始まったのですが、札幌の方々にも紹介していただき、さらにそのことが旭川や苫小牧のキリスト者にも広がって今回の交流会となりました。
その後、私は青森県、岩手県、山形県と立ち寄り、それぞれ数年~十年ぶりの再会を与えられました。弘前では以前徳島にも来ていただいた斉藤さんを訪ね、いままでの歩みなど、またキリスト者が町立の病院長として歩む際に直面する困難も知らされました。岩手県盛岡市では、キリスト教を学校の基本においている高校の教員をしている田口さんが、学校を案内して下さり、その後自宅にてご夫妻と主にある交わりが与えられました。最近は「農夫」という四ページほどの印刷物によってその考えておられることや信仰が伝わっていました。
奥さんは、静岡県清水市での集会のときにいつもお目にかかっている、石原 正一さんの娘さんということで、私が北海道瀬棚町で、一日を宿泊させていただいた野中
正孝さんとキリスト教独立学園時代に同級であったとのことで、いろいろとつながりがあることがわかり、主の見えざる御手を思いました。
ついで、山形県の寒河江市(さがえし)の、黄木 定(さだむ)兄を訪ね、いろいろ山形の地における無教会関係の人たちのことをうかがいました。そして翌日は、黄木さんの車で、長い年月、山形無教会を支えてこられたキリスト者の方々を訪ねることができました。いずれの方々もご夫妻で迎えて下さり、短い時間でしたが主にある交流が与えられ、それまではお名前だけ、あるいは全国集会で挨拶だけしたことがあった程度のことでしたが、今回は親しくお話をうかがうことができました。
そのうち、小関さんは以前からこの「はこ舟」と、「今日のみ言葉」というインタ-ネットで送付している伝道用のメールを通じての交わりがありました。小関さんは、ホームセンターを経営され、多くの支店をもつ大きな会社となっていますが、つねにキリスト中心に歩んでこられたことを以前からも知らされていました。今回は親しくご自宅にうかがって主にある交流のひとときを与えられました。
その際、奥さんから、意外なことを聞きました。それは、私は大学四年のときに初めてキリスト教を知って、無教会の京都北白川集会に短い期間参加しましたが、そのとき、富田
和久、塩谷饒(ゆたか)の 二人の方が聖書講義を担当されていましたが(現在はお二人とも、召されています)、そのうちの塩谷氏の奥さんが、小関さんの奥さんの姉だと知って、三十五年以上も前のことが目の前に鮮やかに浮かんでくるような気がして、その長い歳月も主が見えざる御手をもって導いて下さったことを感じました。
ときどき主はこのように、この広い世界で無数の人たちが無秩序に生きているように見えるにもかかわらず、主が生きて働いて私たちを必要なときに、その導きを知らせるために意外な出会いを与えて下さることを思いました。
徳島では考えられない東北地方の涼しい大気のなかに、青い空、白い雲が浮かび、主への感謝をあらたにしたことです。