(191)病気や高齢の人のなかには、「私は人の役に立つようなことは何もしていない」と言って心を痛める人がいる。しかし、彼らは忘れてしまったのであろうか、その祈りはいつも神に迎え入れられているということ、その祈りは彼らの思いをはるかに超えて何らかの事を満たしているということを。(「信頼への旅」ブラザー・ロジェ著 149P)
・私自身、このような嘆きの言葉をよく耳にしてきた。しかし、弱き者を慈しまれる神、キリストに従う者だからといって差し出す水一杯にも豊かな祝福を約束された主は、病の人、老齢の人の小さき祈りをも決して無にされることなく、それを必ず何らかのことを満たすために用いられる。それはだれかの心の平安を満たすことであったり、社会のどこかにいのちの水を、平和をもたらすことであったり、病の人の苦しみを軽くすること、家族のなかに恐れを神への信頼に変えることであったりするであろう。
(192)あなたが神の導きに身を委ねるならば、いろいろと「計画」を立てることを差し控えなさい。あなたを前進させるすべてのものが、はっきりとした必要が生じたり、適切な機会が与えられたりして次々にしかも正しい順序で、あなたを訪れてくる。(「眠れぬ夜のために上 五月五日の項より」)
・これは生きた神の働きを実感した人の言葉である。私自身、必要なときに思いがけない人から必要なものが与えられたこと、重要な岐路にあるとき、予想もしなかった人が現れて助けてくれたこと、また予期していない助けが与えられたことも、みな自分の計画や予想してなかったことであった。偶然ばかりがあるようなこの世界において、私たちが委ねていく心があるとき、神はそれに応えて不思議を現して下さる。