○明けの明星
七月頃から明け方の東の空に強い輝きの星がみえてます。現在でも、まだ夜が明ける前、午前三時半ころから東の空には輝き始めて、それは思わず心を引きつけられるような強い輝きです。
しかし、夜明け前であるために仕事とかで早起きする人以外には気付かれることが少ないと思います。
この星が金星で、明けの明星といわれるものです。
このような強い輝きのために、昔からどの民族でも注目をしてきた星で、聖書にも何度か現れます。
こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。(Ⅱペテロ一・19 )
同じように、わたしも父からその権威を受けたのである。勝利を得る者に、わたしも明けの明星を与える。(黙示録二・28 )
わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」(黙示録二二・16)
このように、明けの明星として現れる金星は、キリストを象徴するものであって、それを見るたびに古代のキリスト者は、心を引き上げられ、キリストが再び来られることを待ち望む心を強められ、喜びを新たにしていたのがうかがえます。
星は人間には決して届かないもの、人間によって汚されたり、破壊されたりしないもの、そして永遠に光り続けているその有り様は神の光を連想させ、神の清さや美、そして永遠を目にみえるものとしては最も神に近いと感じさせられるものです。
明けの明星は朝早いときであり、また東の空が妨げのあるところや、都会では明るすぎてよく分からないこともあり、またちょうど晴れていなければみえません。それで実際はなかなか見たことがないという人が多いのです。それゆえにまだ見たことがないという人にはぜひ天候のよいことを確認して早起きして見ておいてほしいものです。
しかし、私たちの心の内に主イエスがおられるとき、いかにこの世が闇であってもその闇のなかで輝く光をみることができます。それは夜明けを告げようとしている神の心の現れでもあります。
○ヒガンバナ
九月に咲く秋の野草というと、まず思い出されるのはヒガンバナです。現在ではその特別な美しさのゆえに、あちこちで植えられたりすることが増えていますし、品種改良で違った花色の美しいものも作られています。しかし、私が子どもの時などは、触れてもいけないなどと言われて棒でヒガンバナの花をなで切りのようにしたものでした。確かにヒガンバナには、リコリンやガランタミンという有毒物質を含んでいます。
しかし、ヒガンバナと同じ仲間(ヒガンバナ科)の花は、スイセン、アマリリス、ハマユウ、スノードロップなど昔から愛好されてきた花がいろいろとあり、それらも同じ有毒物質を含んでいるのです。しかし、スイセンやアマリリスがヒガンバナ科だから有毒だなとど思って毛嫌いするなどということは聞いたことがありません。
またツツジ科の植物にもジテルペン系の有毒物質が含まれているので、葉や花を食べると中毒症状を起こします。(私が子どものとき、飼っていた山羊がツツジの葉を多く食べて中毒症状を起こし倒れたことが何度かあり、ツツジは毒だから注意せよと言われていました。)しかし、それもほとんど話題にされずそのことを知らない人が多数を占めています。
また根拠もなく、植えたらいけない木だといったりするのもありますが、人間の植物に対する言い伝えには、迷信や気まぐれなものがたくさんあります。
ヒガンバナはその美しさのゆえに、手元にあるアメリカの図鑑では園芸植物として扱われており、「花壇の縁取りや切り花として用いる」と記されています。この花は、球根にデンプンを多く含むので、飢饉のときには水でさらして食用にしたとか、むくみを取ったりする薬用にも遣われてきました。
わが家の庭でも、ずっと以前に近くの小川の縁から採取したヒガンバナが毎年美しく咲かせています。都市部に近いところではだんだんこのヒガンバナも少なくなっています。
野生の花としては特別にはなやかな美しさを持つこの花は、緑一色の九月の野をひときわ変化あるものにしてくれるものです。
神の創造されたこの世界には、植物の花にもいろいろあり、わずか一ミリにも満たないような小さな目立たない花から、イネ科の花のようなに花びらを持たない花、そしてサクラのように大きい木全体が花で覆われるようなもの、さらにボタンのような大きいどっしりとした花などもあり、ヒガンバナも特定の時期に一斉に赤い花を開き、葉が後から出てくるなど、その花の姿だけでなく特異なところがあっていっそうこの創造された世界に変化を与えています。