成長させる力 2004/12
山の樹林のなかを歩く。谷には水が流れている。周りには至るところでさまざまの植物が生えている。光の当たらないところにも小さな苔、シダのなかま、また草木の小さな芽があちこちに生えている。岩のすきま、道端、山肌のどこであってもさまざまの植物が生え、成長している。
そこにはとどまることなく、成長させようとするある力がかんじられる。
枯れた葉もそれが微生物によって腐敗し、大地にその成分が溶けていき、新たな植物のための養分となっていく。
朽ち果てたもの、枯れ葉、昆虫など動物の朽ち果てたものも何もかもがまた新たな生命を養うものと変わっていく。
この世界は、そのようにして新しい命へとうながし、成長させていく力で満ちている。
目に見えない世界においても、同じような命へと導くもので満ちている。私たちの周りの自然のさまざまの風物はたいていどれもが、私たちを成長させようとするうながしであり、命へと導こうとするものである。
小鳥のさえずりも、それは単に小鳥同士の呼び掛けにとどまらず、人間に向かっての神の形をかえた語りかけだと感じられる。
樹木のさまざまの形もそれ自体が、人間への無言の語りかけである。そして力をも与えようとしている。
表面的にみると、人間もつぎつぎと死んでいくし、環境もしだいに悪くなっていくので、この世のものは死へと向かっていると思われがちである。 しかし、神はその死を越えて、命へと向かわせようとされているのである。
聖書に記されているように、肉体の死の後に復活のいのちが与えられるという約束、さらに神のいのちにあふれた新しい天と地が与えられるという約束はそのような目に見えない成長、永遠へと向かう限りのない成長を指し示している。