ことば 2005/1
(203)
老いゆく母を楽します
言葉知らぬにあらねど
明日知らぬ露の命
ただ、天の国の喜びのみを語るを
母は喜ぶか、喜ばぬか。…
さわれ主イエスよ、
君のみ言葉つゆ違わねば
まことの仕合わせ つきぬ喜びをこそ
母に賜うは君なるを知る
たとえわが家絶え果つるとも
君が御国は永遠に栄えん
(「祈の友」信仰詩集 48Pより 三一書店 一九五四年刊)
・この詩をつくった、内田 正規は、夫のいない二五年の生活を続ける母の一人子であった。母は唯一の望みとして内田が元気で働くことを望んでいたが、それもかなわず、息子は結核に伏せる身となった。母は病院の板の間に座って夜遅くまで、息子の入院治療のための金の工面する手紙を書きつつ、「お前が元気になったら自分はころりと逝くだろう」というのであった。
いかに苦しみが大きく、またこの世の安楽や楽しみは得られなくとも、主イエスがともにあるとき、この作者は、不思議な力を与えられ、その苦しみに耐えて希望を持ち続けることができたのがうかがえる。
右の引用は詩の一部である。この詩全体として悲しみが流れているが、その悲しみに打ち倒されない力をも与えられているのが感じ取れる。
内田は結核であった上に、耳も難聴であったため、当時の性能の著しくわるい補聴器を使っていたことが彼の書いたものにみえる。若くして病に倒れたが、二二歳のころから全国の結核患者の魂とからだの救いのために祈り始め、午後三時に祈り合う「祈の友」を形成した。通信誌を発行し、十年あまり主幹として祈りを深めたのち三三歳で召された。当時最も恐れられていた結核の病という闇のなかにキリストの光を見出した「祈の友」の祈りは七〇年を経て今日も続けられている。
(204)神に向かって旅を続ける人は、だれでも、一つの始まりから新しい始まりへと歩みます。
そしてあなたは、勇気を出して、自分にこう言い続けるのです。
「もう一度始めよ。失望は置き去るのだ。おまえの魂を生かすのだ!」(「信頼への旅」ブラザー・ロジェ著 一月一日の項より。)(*)
私たちは日毎の生活のなかで、しばしば信頼や期待が破られ、心ならずも間違ったことを言ったり行なったりしてしまう。そうした罪や、また不信の人たちからの攻撃、周囲のさまざまの暗い出来事などを思うと、意気消沈してしまう。しかし、そこからつねに私たちの前には、新しい道が続いている。
こうした自らを励まし、新しい始まりへと立ち上がろうとする心は詩編にも見られる。
…なぜうなだれるのか、わが魂よ
なぜうめくのか。
神を待ち望め。
私はなお、告白しよう
「御顔こそ、わが救い」と。(詩編四二・11より)
(*)ロジェは、テゼ共同体(修道会)の創始者。彼はスイスの改革派(プロテスタント)の牧師であったが、教派を超えた和解を生きる共同体への願いを持っていた。彼は一九四〇年にフランスの村テゼに住み始め、一日三回の祈りと労働の生活を始めた。その後プロテスタント教会の出身者が加わり、一九四九年にテゼ共同体
が始まった。まず迫害され苦難のただなかにあったユダヤ人難民をかくまい、孤児たちを迎え入れた。しだいに彼のまわりにはさまざまの人たちが集まってきた。ヨーロッパでは毎年一〇万人規模の大会が開かれるようになっている。讃美歌21には、テゼ共同体で生み出された讃美が十五曲も取り入れられている。そのうち、「グローリア」(38番)「共にいてください」(89番)などは私たちの集会でもよく用いてきた。
編集だより
今月もクリスマス集会で今年の参加者に贈呈された本についての感想などをあげておきます。
○樫葉 史美子著の「十字架のメドを通って」の本は、私の心に深く浸透しました。とくに、112Pの「私は幸福者」という短文のところです。
「 頭が鳴るように痛い、目まいがする。…呼吸困難、何も考えることができない。でもこれも恩寵です。イエス様だけ、単純に信じ、従うことしかできない幸いを感謝します。言葉を選び、文を練る余地もなく、ただ、イエス様とたたえてゆけるのみの喜び。起きて動けばへとへとになります。倒れてしまいます。じっと寝てイエス様をあがめるだけ。… 」
こうした文面を読んでいて、とても感動しました。身体的苦しみをすべて主の恵みと受け止めて讃美されている姿勢。何という信仰だろうと思わされました。肉眼では何も見えない信仰の世界ですが、信仰が本当に心や魂の支えになっていると価値観がこのように変るのかなと思いました。
苦痛のときには、いやして下さいと祈るのみの私に、この本は信仰者としてのあり方を示唆して下さった神様からのプレゼントだと思いました。…(四国の方)
○前号でも紹介した、北田 康広さんのCDを聴いた人から今月もその感想の一端をここに引用しておきます。
・…深い響きの歌声に奥様のピアノ伴奏もすばらしく、はじめての歌に、何度きいても美しいメロディーのなじみ深い歌といろいろ入っていて興味ふかく、またピアノ専攻だけあってピアノがすばらしく、北田さんの心が感じられました。
ピアノの曲の選曲がまたすばらしいと思いました。私もピアノをやっていたので、全盲の方がどうやってあんなにすばらしい域までになれたのだろうどうやって練習されたのだろうと思いました。…
暗い状況の中から北田さんを導き、証し人としてまた慰めや励ましを届ける人として尊く用いておられる神様を心から賛美します。これからも北田さんご夫妻が尊く用いられ良い活動が続けられますよう、お祈りします。(関東地方の方)
・…CDの曲はいずれもとてもよい曲ばかりで、CDのパンフレットの笑顔がとても明るく、イエス・キリストを見上げ、希望に歩んでおられるのを感じました。…バッハやヘンデル、ルターなど音楽を通して福音が静かに人々の心の中にしみ通っていくような気がいたします。よい音楽は神への祈りのように感じます。(四国の方)
○前月号の返舟だよりに引用した、読者の方からの来信を読んで、感想を寄せられた方がいます。
…『 改めて歌詞を見ながら聞くと、心の奥深くまでしみ込んでくるような、イエス様が手を握って「大丈夫だよ」と言って微笑んでくれているような気持にもなりました。…」(関東地方の男性)』
12月号の「返舟だより」でこの言葉を読んで、涙が止まりませんでした。
イエス様の「大丈夫だよ」との声が、私にも届きました。
キリスト者でありながら、不安も多くあって、私の将来を誰が見ても、明るいとは言えない状況のまっただ中にいますが、イエス様にすがろうという気持ちが改めて湧いてきました。
野村伊都子さんの詞にも感動しました。さわやかな詩です。
病者や障害者にしか出来ない役割があることを感じました。
生きて行けそうです。(四国地方の方)