詩 2005/8
その神こそは、永遠に生き、愛し続ける神、
唯一の神であり、唯一の法、唯一の源である神、
そして唯一のはるかな、聖なる結末。
その神に向かって、すべての被造物が動いていく。
(テニソン著 「イン・メモリアム」の最後の節)
The God,which ever lives and loves,
One God,one law,one element,
And one far-off dvine event,
To which the whole creation moves.
・この詩の作者、テニソン(一八〇九年生れ)は妹の婚約者でもあり、無二の親友であった友人が若くして急死し、それが強い動機となってこの長編詩を作った。テニソンはブラウニング、ワーズワースらと共にイギリスを代表する詩人の一人。
この詩では、得難い親友を失って深い悲しみや絶望的な感情にとらわれていた詩人が、次第に信仰に基づく希望を与えられ、愛の神への信仰に導かれていく過程が歌われている。
なお、この詩の序文は、「つよき神の子、朽ちぬ愛よ」ではじまる讃美歌として取り入れられている。(讃美歌二七五番)
この詩は、一五〇ページほどにもなる、長編詩の最後に置かれた一節である。この最後の部分は、この詩のよく知られた序文(*)とともにイギリスの代表的詩人の一人とされ、桂冠詩人となったテニソンが何をこの詩において歌おうとしたかがはっきりと示されている。
(*)この詩は、Strong Son of God,immortal Love,(強き神の子、不滅の愛よ)… という言葉から始まっている。
神とは永遠に生きておられる存在であり、しかも単に生きているのでなく、それは愛し続けて生きている存在だということ。そしてその神こそは、宇宙における唯一の神であり、人間の歩むべき真理(法)そのものであり、あらゆるものを生み出す源である。
さらに、この世界はどうなるのか分からない偶然的なものでもなく、自然に消滅するのでもなく、輪廻のような繰り返しでもない、明確な結末がある。それは聖なる結末を持っている。
万物は神に向かって動いているのである。
深い悲しみと絶望感が色濃くにじんでいるこの詩が最後にはこのような確信で終わっていることに驚かされる。
ここに引用したこの長編詩の最後の部分は、聖書のつぎのような箇所を詩的に表現したものである。
・すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられる。(エペソ書四・5)
・こうして、時が満ちるに及んで、…あらゆるものが、…天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられる。(エペソ書一・10より)
・すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている。(ローマの信徒への手紙十一・36)
このような詩に接するとき、日本の詩(和歌、俳句など)に全く見られない雄大さと深さがたたえられているのに気づかされる。永遠の神によって触発された魂はまた、永遠的な真理の歌を歌おうとするのがわかるのである。
アサギマダラ
アサギマダラという蝶は
その小さな羽根で
こんなにはるはる空をとぶという
神様に言われたとおりに
疑わないで飛んでいく
花に羽根を休めても
立ち止まらずに飛んでいく
大雨の日も風の日も
荒れ地の上も、山中も
神様は、必ず守ってくださるのだと
疑わないで飛んでいるのだ(貝出 久美子 詩集「天使からの風」より)
・二〇〇四年一〇月一七日に小松島市の日峰山からマーキング(しるし付け)をした上で放たれたアサギマダラが、直線距離にして約七百七十キロ離れた鹿児島県喜界町の喜界島まで飛んでいたことが同年一〇月三〇日に確認された。こうした実験は各地で最近は行なわれている。この蝶は平地では私は見たことはない。四国なら夏に剣山の標高一七〇〇メートル前後の花にいるのをよく目にする。わが家は低い山にあるが、一年に一~二回程度見かける。ひらひら、ゆらゆらとその美しい羽根をゆっくりはばたかせながら飛ぶので、このようなマーキングの証拠がなかったらそんなに遠いところまで飛んでいくなどとは到底信じられないだろう。この蝶はアメリカ大陸でも数千㎞を渡るので知られている。
すぐ近くの山々でいくらでも花はあるにもかかわらず、なぜこのような長距離を飛んでいくのか、驚かされる。 強い風が吹いたらどこを飛んでいるのか分からなくなるだろう。海の上では海に風や雨でたたきつけられるかも知れない。数多いチョウの中でもとりわけゆったりと飛ぶチョウが何故このような遠距離を飛んでいくのだろうか。
神から与えられた不思議な力によって、支えられまた導かれて飛んでいくようだ。
人間が神の国に達するというのもどこか似ているところがある。この弱くて歩みの遅いもの、しばしば罪のゆえに逆戻りしたり、泥沼に落ち込んだりするもの、そのようなものがどうしてはるかな神の国、清い世界に到達することができるのだろうか。
ただ、神からの力とつばさを与えられ、不思議な力によって導かれるとしか言いようがない。