平和主義はなくならない 2006/1
今、日本の憲法に基づく平和主義は、大きな転機にある。数千年前の旧約聖書に早くもその淵源を見ることができるこの平和主義はその真価を知らない人たちによって大きく揺さぶられている。
すでに世界有数の軍事力を有するに至った現状では、この憲法は空洞化され、その平和主義は風前のともしびのように見える。
昨年の選挙で自民党が大きく数を伸ばしたことが、そのともしびを吹き消す強い風のように吹きつけている。
もう少しその風が強くなれば吹き消されるのではないかという現実の状況がある。
しかし、吹き消されないものがある。いかに世情が変わろうとも、天地異変が起きようとも決して消されることのないものがある。
それが、キリストの平和主義である。キリストの存在そのものが、究極の平和主義である。いかに政治の状況や若者の動きが変化しようとも、吹き消されることはありえない。
逆にキリストの真理を消そうとするようなことをもしも本気で試みようとするものがあれば、そのような者こそ吹き消されていくであろう。
すでにこのことは、主イエスが言われたことである。
…この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」(マタイ福音書二一・44)
キリストによって各人の罪が赦され、清められ、そこから神との平和(深い結びつき)が与えられる。その平和こそ、あらゆる平和の根源である。この神との平和が何より重要であるというのが、聖書の平和主義である。
このような平和主義を壊そうとするなら、そのような者こそ砕かれてしまうであろう。
国会や特定の政党などのかけひきや芝居がかった選挙などでは決して廃棄されない「キリストの平和」は、この世界の目には見えない土台に永遠に書き込まれているのである。