休憩室 2006/3
○明けの明星
早朝五時前の、東の空を見れば、だれでもはっとするような強い光の星があります。それは、思わず心が引き寄せられるような輝きで、まばたきもしないで見る者をじっと見つめるような光です。
これが、明けの明星といわれて、古来有名な金星です。しかし、この明けの明星を一度も見たことのない人が相当いるようです。まだ当分は見られるので、見たことのない人は、ぜひ見ておいてほしいと思います。今ごろの金星はとても明るく、-四.四等の明るさです。恒星で最も明るいシリウスは、マイナス一・五等ですから、金星はシリウスの十五倍余りの明るさです。(等級が一違うと、二・五倍明るくなる)
明けの明星としての金星は、聖書の最後にある黙示録の終りに近い部分で次のように言われています。
…わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。(黙示録二二・16)
このように、主イエスご自身が、自分のことを明けの明星と言われたほどに、この輝きは人の心を強く惹きつけるものがあったのです。人々がまだ寝静まっている早朝、まだ暗い空にまばたくこともなく強い光で輝く星、その後に夜明けが訪れるために、この金星は夜明けを呼び覚ますメッセージをたたえているとも感じられます。
また、その頃、南の西よりの空には、これもまた透明な明るさといえる強い輝きの星がすぐに見つかります。これが木星ですが、この星は、現在では、夜中に東から登ってくるので、深夜に外に出て東方を見るならこれもだれでも直ちにわかる強い美しい星が見えます。(木星は、マイナス二・三等で、これもシリウスよりずっと明るい)
それから、朝は早く起きられないという方は、三月三十日頃であれば、夜八時頃には、真南のやや高い空に土星が見えますから、これもぜひ見ておくと惑星に対して、また夜空に対して
一層関心が深まります。(土星は〇・一等)
そして星への関心は、信仰生活の上でも、プラスになります。
聖書に、「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。」(詩編十九・2)と言われている通り、夜空の星は生きた神の言葉でもあり、神のお心を感じさせてくれるものだからです。
○春の植物
春、それはあらゆる植物や昆虫、小動物などが一斉にそのはたらきを始める季節です。空き地には、ほとんど注目されない野草たちが次々と小さな芽を出して伸びていきます。わが家は低い山にあるため、平地には見られない植物たちもあちこちに見られます。タチツボスミレが、いつのまにか、裏の山の斜面で広がって美しい花を見せています。
またセントウソウの、セリ科独特の小さい花火のような白い花、それは大きさは一ミリ程度のものですが、静かに春を告げています。
ミツバアケビは、つぼみを膨らませ、近いうちにその心惹く花を咲かせようと準備しています。
寒い間に誰からも注目されず、静かにその地味な花を咲かせていたビワは小さい実を膨らませています。ビワは日本ではその食用の実だけに関心が持たれていて、その花の香りはとてもよいものであることは不思議なほど、ほとんど知られていません。
冬の間ほとんど変化も見せずに過ぎてきた樹木たち、また野草たちも、時が来たら、このように何かに動かされるように、奥深いいのちのエネルギーから生れるものが見られるのです。
こうした自然の姿を注意深く見るとき、それらすべての背後にある巨大な神のいのちのエネルギーから、その一部を分かたれたものだと気付くのです。
お知らせ
○主日礼拝、夕拝などを録音したCD
MP3というファイル形式にしたCDを聞くために
私たちの徳島聖書キリスト集会では、主日礼拝と、夕拝などの内容をCDにして配布をしています。これは、カセットテープという形では、非常にかさばること、頭出しがとても面倒なこと、カビが生えて使えなくなったり、テープが巻きついたりする不具合が生じること、カセットテープそのものが次第に作られなくなりつつあること、カセットテープをダビングする器械そのものが、日本では製造中止となってしまったことなどから、CDに切り替えつつあります。
このCDは、最近の「DVDプレーヤー」、または「MP3プレーヤー」で聞くことができます。DVDといっても、まだ使ったことがない、という方もおられると思うので、簡単な説明をしておきます。
従来のCDよりはるかに多くの内容が入ります。ビデオテープも次第に少なくなり、DVDになりつつあります。
DVDプレーヤーは、いろいろな種類が市販されていますが、価格は、再生だけなら八千円~1万数千円程度で購入できます。自宅のテレビにケーブルでつなぐだけで、DVDが使えるようになります。主日礼拝のような、聖書講話などは、もちろん映像はなく、音声だけです。市販のDVD映画なら、画面に映画が現れます。
去年に市販した、ヨハネ福音書CDは、家庭用のCDラジカセでもつかえるようにと考えて制作しましたが、ヨハネ福音書だけで60枚近くになってしまいます。
しかし、MP3というかたちにすると、4枚程度に収まります。
このような理由のために、今後の聖書のCD、またはDVDのかたちでの配布は、MP3という形になります。
○復活祭(イースター)特別集会
今年の復活祭は、四月十六日(日)です。私たちの徳島聖書キリスト集会では毎年、復活祭特別集会を持っています。いつもの主日礼拝より三十分早く、午前十時開始です。
キリスト教の原点である、キリストの復活を覚えて共に復活を感謝し、復活のいのちを頂くために、二千年間も全世界で続けられてきた祝日であり、別項で書いたように、毎週の日曜日がミニ復活祭と言えるのであり、その意味では世界でおびただしい人々がその祝日の幸いを受けており、その日曜日の起源となったのですから、復活祭は世界最大の影響を及ぼしてきた祝日と言えます。
これは復活祭に特別な祝福が注がれている証しですから、復活祭を重んじることはそのような歴史的な祝福を受け継ぐことにもなります。確かに毎週のミニ復活祭である日曜日の礼拝を他のことよりも重んじ、霊と真実をもって参加する人は必ず祝福を受けてきたと言えるでしょう。
その祝福によって確かにキリスト教は全世界で続いてきたとも言えます。そうして毎週のミニ復活祭を支えてきたのが、キリストの復活で、その復活の季節に重ねて行なわれる復活祭を共に守り、復活の命の祝福を受けたいと願っています。
○映画「ナルニア国物語」が全国で上映中です。この物語の原作者である、C.S.ルイス(Clive Staples Lewis クライブ・ステープルズ・ルイス)について書いておきます。
彼は、一八九八年アイルランドの弁護士の次男として生まれ、オックスフォード大学に進学、後に母校ケンブリッジ大学英文科の中世・ルネサンスの教授(1954‐63)となりました。ここで友人の影響を受けてルイスは全7冊の児童文学シリーズ『ナルニア国物語』(1950~1956)の第1巻『ライオンと魔女』を書き始めたと言われています。1963年に大学を定年退職後、その年にイギリス中から惜しまれつつ召されました。
ルイスは、大学教授、文学研究家、批評家、詩人、作家、キリスト教神学者といった、本来一人の人が兼ね備えることは困難なさまざまの分野で、業績をあげた人。その著作は、詩集、文学研究書、キリスト教神学書、児童文学書、文学、哲学、倫理学、さらに、「沈黙の惑星より」、「金星への旅」などのSF小説まで、実に多方面にわたっています。
彼は、青年時代からいろいろ精神的に悩み、最初は無神論、そして、世界の根源として神の存在を認めはするが、これを人格的な存在とは考えずない理神論となり、最後にキリストを信じる信仰へと導かれました。
その晩年に書き始めたのが、今回映画化された、「ナルニア国物語」の7作品のシリーズです。
今回の映画は、その第一部にあたる「ライオンと魔女」の部分です。 児童文学の形をとっていますが、若者が好物の食物によって誘惑され堕落すること、そのことからさまざまの困難が生じること、人間の罪をライオンのかたちをした王自身が負うての死、復活、「希望」の力など)キリスト教の真理がちりばめられています。それをふつうのキリスト教の子ども向けの物語とは大きく異なる独特な手法で、想像力ゆたかに描いたものです。
なお、新教出版社からは、C.S.ルイス宗教著作集八巻などが出版されています。
キリスト教に関わりある映画というのは、ごく少なく、それゆえに、この映画によってキリスト教に関心が生れ、キリストの真理に少しでも目が開かれることにつながればと願われます。