リストボタン教育基本法について   2006/5

憲法の改定、さらに教育の根本方針を定めた教育基本法をも変えようという動きが強まっている。ここでは教育基本法について考えてみるが、その改訂の主たる目的は、「愛国心」という言葉を入れることと「歴史・伝統の重視」である。自民党などには、従来から、この教育基本法が「愛国心教育の足かせ」になってきたなどと不満を持ってきたという。
現在の教育基本法の根本的な精神が現れている前文をあげる。

「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性的ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」
 
この目標を箇条書きにすると、、
一、個人の尊厳を重んじる。
二、真理と平和を願い求める人間の育成。
三、普遍的かつ個性的な文化の創造をめざす教育。

 この前文の精神は、十五年ちかくにわたる中国との戦争と太平洋戦争がこの三つを否定し、または著しく軽んじたことの反省から生まれたものである。この戦争においては、個人の尊厳が驚くべき仕方で、無惨に蹂躙された。戦争とは、なんの危害も加えたことのない、一般の住民に対しても、無差別に爆弾を落として、殺害し、住居を破壊し、生活を根本からくつがえすものであって、最も個人の尊厳を否定していくものだと言えよう。
 一人の人間は無限の価値があるという考え方からは、到底戦争という発想は生じないはずである。国家の利益と称して、一人一人の人間の自由や権利、尊厳を平然と奪い、侵していく全体主義が戦前は堂々とまかり通っていたのである。
 つぎに、戦前は、天皇というただの人間にすぎない人物を現人神とし、その天皇がアジアを支配するのを目標とするまでに到った。人間を生きている神だなどという偽りを日本の国全体に強制的に教え、信じ込ませ、その現人神の命令ということでアジアへの侵略を行っていったのである。
 このような考え方は、真理とするどく対立するものであり、その偽りの本質は中国やアジア諸国への侵略行為によって、明らかになったし、敗戦によって世界中にそのことを示すことになった。
 戦前の日本は、戦争を正しいこととし、自国を守り、平和のためと称して、近隣諸国への侵略戦争を繰り返していった。
一九三一年九月の柳条湖事件に始まる、中国満州への侵略戦争である満州事変、また、一九三七年七月の蘆溝橋事件から引き起こした北支事変(のちに支那事変)、さらに、上海への大規模な攻撃である上海事変などがそれである。
このように、日本は中国に対して、つぎつぎと戦争をしかけていき、それらを○○事変と称して、○○戦争という呼称を用いず、戦争であったのに、たんなる衝突であるかのように見せかけようとし、次第に国民が大規模な戦争へと飼い慣らされていくようになっていった。
 こうした戦争に明け暮れた戦前の状況は、戦争が大量殺人という意味で、最悪のことであるという感覚を失わせていくものとなった。教育において戦争が悪であるということを教えることなく、逆に戦争をする職業(軍人)が最も重要な職業であるというように教える状況であった。
 以上のような戦前の教育を根底から変えるために、教育においても平和を愛し願い求める教育を根本においているのである。
 そして「普遍的にしてしかも個性的ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」とある。
 これは、戦前の文化は天皇を中心とした日本の伝統ということを極度に重視するようになり、(とくに日中十五年戦争以降)世界のどこにも通用しないような、著しく普遍性を欠いたものであった。
 そして同時に、自由な言論は禁じられ、みんなが天皇に向かって生きるような画一的な人間を養成しようとする状況となり、個性的人間の育成とは逆の方向であった。このようなまちがった教育方針を根本的にあらためる観点から、この「普遍性」、「個性的」ということが言われている。
 そして、さらに「個性的な文化の創造を目指す」という表現は、日本固有のよき文化をも育てるという意図も含まれているのである。
 戦前は、教育においても、天皇からの言葉だと称する教育勅語が国民道徳の絶対的基準とされ、それが教育の最高原理ともされて、それに向かって最敬礼を強要するほどに、神聖化されていった。
 このように、万事において天皇が中心とされ、天皇に仕える人間を育成することが目標とされた。
 英語すら敵の言葉だといって排斥するような、著しく狭い考え方が支配するようになっていた。
 こうした戦前のまちがった教育方針を根底から除いて正しい方向を指し示している基本的精神から、それをさらに詳しく述べたのが、つぎの第一条である。

第一条 (教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的な精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期しておこなわれなければならない。

 このように教育基本法の前文と第一条を見れば、なにを目的としているかがはっきりとわかる。この新しい教育の方向を決めることになった、この基本法はどのような人たちが作ったのであろうか。
これを少し詳しくみると、この基本法の背後にどのような精神があったのかが浮かび上がってくるのである。
 敗戦後にあらゆる社会のしくみが再検討され、変えられていく過程で、当然教育についても根本的に見直すことが考えられた。日本の教育の民主化を積極的にすすめるために、アメリカの教育施設団が来日し、その人々に協力して日本の教育の方針を決める重要な委員会が作られた。それが一九四六年二月に発足した日本教育家委員会である。
 その委員長は南原繁(東大総長)で、その下に、山崎匡輔(成城大学長、東大教授、文部次官)、天野貞祐(第一高等学校長)、田中耕太郎(学校教育局長、後に文部大臣、最高裁判所長官)、長谷川如是閑(芸術院会員、文化功労者)、柳宗悦(日本民芸館長)などのメンバーであった。
 このうち、南原繁は内村鑑三門下の無教会キリスト者であったことは広く知られている。
山崎匡輔も、「内村の著書によって救われた一人であった」と言っている。そして「私は、内村先生の弟子としては、あるいは正統派に属しないかも知れないが、ひそかに内村鑑三先生の本当の弟子の一人である言っても、今は天にある先生は、おそらくそれをきっと許して下さるものと信じるものである。」と書いているような人物であった。(「回想の内村鑑三」岩波書店刊254頁)
そして天野も、またキリスト者にはならなかったが、若いとき、内村の門をくぐったことがあり、長谷川も、内村の創刊した「東京独立雑誌」の読者の一人であった。
 また、田中耕太郎も最初は熱心な内村の弟子の一人であって、彼のキリスト教信仰の元は、内村から学んだと言えよう。
 この少しあと、一九四六年八月に、教育刷新委員会ができ、その委員長は、安倍能茂、副委員長に南原繁(後に委員長)がなり、その委員会の審議を経て今日の教育基本法の制定へとつながっていった。
 また、戦後の三人の文部大臣は前田多聞、安倍能成、田中耕太郎たちであった。田中はすでに触れたが、前田多聞はやはり内村鑑三の日曜集会で学んだキリスト者であり、安倍はキリスト者にはならなかったが、岩波茂雄(岩波書店の創設者)のすすめで、毎日曜日の内村鑑三の聖書講義に一年ほど出席していた人である。
 このように見てくれば、戦後の新しい教育がいかにキリスト教、とくに内村鑑三の深い影響のもとにあったかがよくわかる。
 そして、これは、内村鑑三がキリスト教の本質、真理そのものを最も鋭く見抜き、それを体得していたからであったと言えるし、彼らの弟子たちもそのキリスト教の真理を深く受け継いでいたことがうかがえる。
 南原繁は戦後教育の方向の決定に最も大きい役割をはたしたが、彼は、こうした戦後教育の基本を決める全過程で、そうした委員会や審議会に占領軍の介入があったりしたことは一度もなかったと再三にわたって言明している。(小学館版・日本の歴史・第31巻による)
 こうした事実を知らない人たちが、アメリカの押しつけであるなどと言ったりしているのである。
 キリスト教こそ最も普遍的な真理をうちに持っているものであり、そのゆえにこそ全世界に広がり、老若男女のあらゆる年齢層に、また職業や身分的なもの、貧富の差や、健康と病弱などあらゆるものを越えて広がっていった。
 教育基本法の前文において、「真理と平和を希求する人間」、「普遍的にしてしかも個性的な文化の創造をめざす」と言われているのは、以上のような背景を考えると、キリスト教の精神がそこに深く流れているのが感じられる。
 これは、人間を天皇と教え、侵略戦争をも正義の戦争などと教える偽りの教育を根本から変える方針を明確に持っているのである。
 このように考えると、そのような過程を経て作られた基本法をなぜ変えようとするのか、変えてどのようにしようとするのだろうか。
 改訂しようという人たちは、「日本の歴史・伝統」を重視する方向へと大きく曲げようというのである。しかし、その日本の歴史・伝統を徹底的に重視した教育とはすでに実験済みである。それは戦前の教育である。
 その戦前の教育の根本方針は教育勅語に表されている。ここではくわしくは触れないが、教育勅語では、教育の根本は日本の国体にあるとされていた。それは天皇を現人神として絶対的な位置におく国家体制を指している。
 そのような天皇というただの人間を絶対的な存在として位置づけることは、世界に通用しないものである。
 現在の日本の動向は、教育という次の世代の人々を形作る重要な領域においても、真理に反する動きがしだいに目につくようになった。
人間に本当に必要なのは、一国だけにしか通用しない伝統や歴史でなく、万国にわたって、しかも永遠に通用する真理である。そうした真理とは、二千年の歴史を見ても証しされているように、聖書に記されているのであって、教育の基本も当然そのような永遠の真理に基づかねばならない。
現在、憲法と教育基本法の二つを改定しようと考える人たちが増えている。憲法の改定の中心となっているのが、第九条の平和主義であり、教育基本法においては、その普遍性である。
憲法の平和主義は、この「いのちの水」誌でも何度か述べてきたが、その根源は、聖書にあり、すでに旧約聖書の古い時代からそれはみられる。そして、新約聖書に現された武力を否定して、神の愛と力に頼る平和への明確な真理こそは、平和主義憲法の背後にある真理なのである。
また、教育基本法の前文に、「真理と平和を希求する人間の育成」を掲げ、その第一条に「真理と正義を愛する」人間を目指すことが明記されている。真理を愛するというのは、その背後に究極的な真理である、神への愛、ということにつながる内容を含んでいる。これは、すでに述べたように、教育基本法を作成するにあたった人たちが、内村鑑三を通して、聖書の真理の影響を深く受けてきた人たちが多数を占めていたからであり、太平洋戦争を生み出したのは、そうした聖書的真理を無視したことによるのが明らかであったからである。
このように、現在大きな問題となっている、武力を持たず、武力に訴えないという平和主義の改定や、教育基本法にある、真理と正義そのものを愛するということから、自分の国中心の愛国心の強調へと改定しようというのは、聖書に示されている永遠の真理に背こうとする動きだと言える。
こうした、究極的真理である聖書やキリストの真理に背こうとする動きは、いつの時代にもあったのであって、それらは繰り返し歴史のなかで生じてきた。しかし、それにもかかわらず、そうしたあらゆる真理への敵対にもかかわらず、キリストの真理は変ることがない。
私たちは、憲法の平和主義や教育基本法の背後に込められた、聖書的精神、真理をあくまで主張し続けるものである。そしてその真理はそれが真理であるがゆえに、いかなる表面的な動きにもかかわらず、滅びることなく続いていく。
私たちの必要とされているのは、そのような真理への確信であり、それぞれの場においてこの真理を証ししていくことである。

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