休憩室 2006/9
○九月に入って、風はそれまでの蒸し暑さが消えていき、さわやかな風を感じるようになりました。湿気の多い風と高温につけられたような日々であったから一層このさわやかな風が心地よく感じます。
温度が同様であっても、太平洋の湿度の高い風と、大陸からの湿気の少ない風とではまるで異なるものとして感じます。
ちょうど、新聞やラジオやテレビ報道に乗ってくるこの世の風は犯罪や暗い出来事が多くて気持ちを暗くするようなものが多いけれども、天を仰ぐときに感じられる霊的な風は、まったく異なるものがあります。
エアコンは、夏の蒸し暑さから一時的に解放してくれますが、その部屋だけのことです。しかし、天からのさわやかな風は、地上のどこにいても、私たちの心をまっすぐに神に向けるだけで与えられるという、他には代えがたい特質をもっています。
偏西風というのは常時吹いている西よりの風です。天の国からも常時地上に向かって吹いている風があります。私たちが天の国からの風を感じ取ろうとするとき、聖書、空の青さ、白い雲、夕日、夜空の星、川の流れ、そして樹木、野草といったものがそれを助けてくれます。
○セミたちの元気のよい鳴き声がいつしか聞こえなくなったこのごろですがそれに代わって、たくさんの虫たちのコーラスが野山に響くようになっています。とくに誰の耳にもなじみあるのが、エンマコオロギの澄んだ流れるような響き、マツムシのチンチロリンといった鈴をころがすような声、それからスズムシのリーン、リーンという声です。
ツヅレサセコオロギのジィッ、ジィッという地味な鳴き声も草むらや石垣などのどこからともなく聞こえてきます。
小さな柔らかい羽をこすり合わせてあのような美しい響き、しかも大きな音が出るのは奇跡のようなことです。子供のときエンマコオロギを飼育してその鳴き方を観察し、あとで羽をこすってみたが全く音も出ないので、とても不思議だったことを覚えています。
神がなそうとすれば、不可能だと思われるようなことを簡単になされるという例だと思います。
私たちもまた、小さな罪深いものに過ぎないのですが、神の御手がはたらくとき、神の証し人としてささやかながら、この世に讃美の歌を響かせるものへと変えられるといえます。