巻頭言
あなた方も用意していなさい。
人の子(キリスト)は思いがけないときに来るからである。
(ルカ福音書十二・40)
枯れ葉の道 2006/12
晩秋から初冬にかけて、わが家に至る山道には、クヌギの木の葉が敷きつめるようになる。道のそばにある、かなり大きいクヌギの木は、他の木々の紅葉が終わる頃に、その葉を落としていく。その役目を果たした後に、しずかに地面に落ちてくる。茶褐色のその大小さまざまの枯れ葉、目立つ鋸歯(きょし)は、ほかの木々の枯れ葉と異なる特徴をもって、道に広がる。
その一枚一枚が異なるかたちであって、道一面に落ちたその葉は、あらたな役目をするべく待機しているかのようである。
そしてその葉それぞれが、枯れ葉であるのに、生きているように感じるほど、その一枚一枚が自然の美しさ、緑色のときの葉とはまた違ったよさをたたえているのに気付かされる。
春の芽を出す時、長い穂のような花、そしてそれらの成長や結実をささえる緑の葉のはたらき、役目を終えて、枯れ葉となるが、それはまた、微生物のはたらきによって分解され、二酸化炭素などの気体となって大気中にかえるものもあれば、また葉の成分のうち、灰分(金属化合物)は地中に戻っていく。そしてまた新たな植物の栄養分となる。
静かな人知れないところでの循環が続いていく。
私たち人間も、年老いて枯れていくようになる。しかし、そこにもまた別の美しさがあり、つとめがある。この世から去ったあと、見えなくなったようでも、何かを後の世に残していくのである。
クヌギの葉で敷きつめられた道を歩きながら、私たちの道もまた、過去の無数の人たちの生み出したもの、残したもの、さらには、神によってさまざまの必要なものが敷きつめられた
道を歩いているのだと思った。
、時代の崩壊の足音ではなく、神の国の到来の静かな響きが聞こえるように、この世は造られているのである。