巻頭言
悪をもって悪に報いることなく、かえって祝福を祈りなさい。
あなた方が呼びだされたのは、祝福を受け継ぐためなのである。
(一ペテロ 三の9)
国家の品格 2007/1
去年は、この表題の本が不思議なほど売れたという。国家の品格を論じるために、「武士道」とか日本の伝統などを持ち出しているが、そんな必要はない。
人の命を奪うことは、最も重い罪である。それゆえさらに多量の人間を殺害し、傷つけ、財産を奪い、家族を破壊し、他国の自然や領土をも破壊するようなことがあれば、それは最も品格がないと言わねばならない。とすれば、他国との戦争を引き起こすような国家は、最も品格を持たないということになる。
それゆえ、戦争を決してしない、という決意を憲法で明示し、それに従ってきたからこそ、日本は世界的にその「品格」を認められてきたと言えよう。
しかし、その貴重な平和憲法の実質を変えてしまおうとする動きがますます濃厚となりつつある。
最近は、教育基本法が改訂され、日本の伝統と文化を重んじることが、とくに強調されている。しかし、長い日本の歴史において、基本的人権(幸福追求の権利、思想、信教の自由、居住移転の自由等々)を尊重するという伝統も文化もなかったのである。これらが日本に取り入れられたのは、明治時代になってからであり、キリスト教の伝統を持つ、欧米から受け入れたのである。
このように考えればすぐに分かることであるが、ある国だけにしか通用しない「伝統」を重んじることよりずっと重要なことは、個々の国の伝統や文化を超えた真理に立ち返ることなのである。
聖書は、すでに数千年も昔から一貫して、国家、民族の品格とは何かを告げている。
正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。(箴言 十四・34)
この言葉にあるように、正義こそは、国を高める。その正義に反すること、罪は国民を恥ずかしめる、すなわち品格を失わせるというのである。
今から二千六百年ほども昔から、エレミヤのような旧約聖書の預言者たちは、イスラエルやユダの人々たちに向かって、神に立ち返れ、神の言葉に従え、と命をかけて語り続けた。
…「ダビデの王位に座るユダの王よ、あなたもあなたの家臣も、皆、主の言葉を聞け。主はこう言われる。
正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え。 寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。またこの地で、無実の人の血を流してはならない。(旧約聖書
エレミヤ書二二・1~3より)
ここで語られているようなことこそ、正義であり、真に品格ある国家、民族への道なのである。