怠らず、霊に燃えて、主に仕えなさい。
希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。
(ローマ信徒への手紙十二・11~12)
滅ぼすことのできないもの 2007/4
長崎市長が、選挙運動中に銃弾によって命を断たれるという悲しむべき出来事があった。原爆を落とされた都市の市長として、核兵器廃絶への強い願いを世界に向けて発信していたような人が、数発の小さな弾丸によってこの世の人ではなくなった。
真実なものを見つめて生きようとする人、あるいは神に遣わされた人たちを受け入れず、迫害したり殺そうとする人たちがいつの時代にもいた。主イエスも、次のように言われた。
…わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。(マタイ二三・34)
主イエスご自身もわずか三十三歳の若さで処刑された。
しかし、このようなことが生じるからといって、真理は滅びることはない。真理は銃弾や近代兵器によっても、滅ぼされることはあり得ない。
実際、主イエスは十字架において殺されたが、主イエスが持っていた真理はいささかも傷つくこともなく、かえってその死のあとイエスは復活し、聖霊を弟子たちに注ぐことによって生きていたとき以上の力でもって増え広がり始めた。
そして次のように教えられた。
…体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れよ。(マタイ十・28)
この言葉で言われているように、体を殺しても、魂は殺せない。同様に、真理を持った人間の命を奪おうとも、真理そのものは決して滅ぼすことはできないのである。