リストボタン闇の中から続く道    2007/4

聖書のなかには、どうしてこのような記事があるのか、といぶかしく思われる内容がしばしばある。それは旧約聖書の中には多いが、新約聖書の中にもある。次のような箇所もその一つである。
それは、イエスがみ言葉を伝えていた地方の領主ヘロデとその妻や娘が、神から遣わされた預言者ヨハネ(洗礼のヨハネ)を計略をもって殺害するに至ったことである。ヘロデは、兄弟の妻を奪って自分の妻にするという不正なことをした。そのことを、ヨハネによって神の道に反すると公然と非難されていた。

ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。
ヨハネが、「あの女と結婚することは律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。
ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。人々がヨハネを預言者と思っていたからである。
ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘(サロメ(*))が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。
それで彼は娘に、「願うものは何でもやろう」と誓って約束した。
すると、娘は母親に唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言った。
王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、
人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。
その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。(マタイ福音書一四・312より)

*)この娘の名は、新約聖書には記されていないが、ヨセフス(**)の「ユダヤ古代誌」第十八に、次のようにサロメと記されている。 「ヘロデアは、ヘロデ大王とマリアムネ(大祭司シモンの娘)との間にできた子、ヘロデ(アンティパス)と結婚した。二人の間に、サロメが生れた」(「ユダヤ古代史 新約時代篇四・78頁」山本書店刊)
**)ヨセフス(AD35年頃-100年)は、主イエスの死後数年して生れた古代イスラエルの著述家。「ユダヤ古代誌」や、「ユダヤ戦記」などの詳しい歴史書を残している。紀元66年に勃発したユダヤ戦争において、はじめユダヤ軍の指揮官として戦ったが、捕らわれた。後に、ローマの将軍ティトゥスの部下としてエルサレム攻撃に加わった。このユダヤ戦争によって、エルサレムは焼かれ、ユダヤ人たちの多数が殺され、あるいは国外に追放され、以後一九四八年の独立まで流浪と迫害を受ける民族となった。このことは、主イエスが、生前に次のような深い嘆きの言葉を発して預言したものであった。
「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。 見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。」(マタイ福音書二三・3738


領主ヘロデの誕生日に豪勢な祝宴が行われ、そこで娘のサロメが踊って、ヘロデを喜ばせた。彼が、サロメに望むものは何でも与えると祝宴に集まった多くのひとたちの前で約束した。そこで、サロメは母親のヘロデヤにそそのかされ、ヨハネの首を持ってくるという誰もが予想もしなかったことを要求した。この世の策略はある種の賢さがある。悪用されるときにこのようなひどいことが生じるのである。
国の半分までも与えようと、約束されたにもかかわらず、サロメは、ヨハネの首を望んだ。このことからみても、いかにヘロデヤとサロメたちの憎しみが激しかったかがうかがえる。人間的な愛も激しくなれば、相手のためには、命さえ惜しまないとか妨げるものを排除しようとするが、憎しみもまたそれがひどくなるときには、その一点に集中されて他のことが見えなくなるのである。
このようにして闇の力がその祝宴を支配し、領主ヘロデはそのような娘への約束を果たすことになって、神からの預言者であったヨハネはいとも簡単に殺されてその首が祝宴に参加していた多くの権力者や支配者、金持ちたちの面前にさらされることになった。
神の力を受けて、神の言葉を語り、主イエスの出現を予告し、その偉大さをだれよりもはっきりと見抜いていたヨハネ、そのような人間がいとも簡単に殺されてしまう。このようなことをなぜ、神は許されているのか。
この聖書の箇所は、読む者にとって実に不可解な、読みたくないような箇所である。
なぜこのような、神の無力を示すような記事が掲載されているのだろうか、初めてこの箇所を目にしたときに、不可解な思いが生じたことを覚えている。何のため、何を読者に訴えているのか、このような悪の力の強大さを前に何を神はメッセージとして伝えようとされているのだろうか。
洗礼のヨハネを殺害した領主ヘロデの父親は、ヘロデ大王と言われた。彼は、主イエスが生れたとき、イエスを殺害しようとしたが、見つからなかったためにその付近一帯の幼児を皆殺しにしたと伝えられているような人間であった。こうした彼の性質は、家族に対しても深い闇をもたらした。ヘロデ大王は、自分の権力の維持に妨げがあると考えて義母や、義兄弟を死に至らしめ、嫉妬などのために叔父や妻を殺害し、王位をねらったという疑いによって三人の自分の子供をも殺害していった。
このような暗黒の象徴とも言えるような王がヘロデ大王であり、この王の時代にイエスが生れたのであった。マタイによる福音書に、イエスの誕生を書き記すとき、冒頭に「ヘロデ王のときにイエスが生れた」ことを、明記しているのもこうした背景がある。
洗礼のヨハネが、ヘロデ大王の息子(領主ヘロデ)によって、さらにその妻や娘たちの策略によって無惨にも殺されたこと、それは何を意味しているだろうか。
 ヨハネがこのように無惨に殺されたという報告を受けて、主イエスはどうしたか。深い悲しみと怒りを持ったことであろうが、一言も発せず、ただ、一人静まって、船に乗って退いた。そのときの主イエスの心はどうであっただろう。神の国の働きの第一線にいた人物がいとも簡単に殺されたことを、どのように受け止められたのだろうか。
それらすべては、沈黙の祈りで受け止められた。祈りはあらゆることを受けとることができる受け皿である。喜びのとき、悲しみのとき、世の中の暗黒のとき、すべてを受け止めて力に変えることができる。
こうした一人静まっての沈黙の祈りのあとでとくに重要な五千人のパンの奇跡が記されている。不可解な出来事を前にして、私たちが本当の意味を知らされるのは、祈りによってである。祈りとは、神との交わりであり、神のご意志を告げられるときであるからである。
このような主イエスに対して人々は、どのように反応しただろうか。
もはや夕暮れであったし、食物も持たず、イエスに引き寄せられるように後を追いかけて行った。主イエスは舟に乗って行ったのであるから、陸を歩いて追いかけるのでは、かなりの時間を要したはずである。男だけでも五千人という多くの人たちが夕暮れ近い湖の岸辺にそってイエスの方を目指して歩き続ける。ここには、夕暮れ近づいた湖に沿ってたくさんの人々が、イエスの後を追ってついていこうとする不思議な光景がある。彼らは途中でいろいろ話しながら歩いたであろうが、何を話したのか、パンも持たずにしかも夕暮れであったのに、どうしてこのようなたくさんの人たちが引き寄せられたのか、それは、現在も続いている主イエスのうちに宿る不思議な力による。
それは他に例を見ないものであっただろう。何一つ珍しいものを持っているわけではない、また、何かをもらえるということでもない。地位が上がったり、この世の評価を高くすることでもない。それでも人々はイエスの方に向かって目には見えない何ものかによって歩いていくのである。
 それは、主イエスの人間を引き寄せる力のゆえである。イエスはこの力を弟子たちにも分かち与えた。そのことが、次の言葉の意味なのである。
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。(マルコ一・17

イエスに従っていくことによって、不思議な人間を引き寄せる力が与えられ、人間を集めてキリストのもとに導くことができると言っているのである。事実、このことは実現してローマ帝国時代の激しい迫害にもかかわらず、次々と人間を引き寄せ、キリストのもとに集めていったのである。
 これは単なる昔の話ではない。現在も何も持たないで、イエスの方向を目指して歩む無数の人がいるのである。
ここに、時代を越えて変ることなく自らのもとに引き寄せ続けるキリストの力が示されている。この世には悪に引き寄せられ、身の破滅を受ける人たちも多いが、それと全く逆の存在である光に満ちたキリストに引き寄せられる人たちがイエス以後、現在までの二千年間、途絶えることなく続いている。
このイエスを求めて夕暮れ近い道を歩き続けた人間は、そのまま現代の人間の魂の状況を連想させるものがある。
 その多くの人々を見て主イエスは、「深く憐れんだ」。(*
「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ」とある。とくに好奇心でやってきた人たちを見たということだけなら、せっかく一人でいるのに、邪魔な人たちだというような気持ちになることはあっても、全身であらわすような深い憐れみ、愛を彼らに感じることはなかったはずである。
魂の平安なく、闇の力に苦しめられている人たちに対して、その度合いがひどいほどそのような状況を目の当たりにしたら、心もからだも痛む思いがするだろう。
主イエスは、多数の群がる人々の内面を鋭く見抜かれ、飢えや病気などで痛む心身をかかえている人たちが、その魂の状態が闇と混乱であり、魂の空き家のような状況であり、そのままでは滅びに向かっているのを知っておられた。
それゆえに、主イエスは、魂と体全体で人々の現状に痛みを覚え、深い愛を感じられたのであった。

*) この原語は、一語であって、「深く」といった言葉はない。スプランクニゾマイ (splanknizomai)という語である。この言葉は、スプランクノン (splanknon)という語(心臓、肝臓、肺臓、腎臓などの内臓を意味する語)からできたものである。このような体の一部を表す語から派生した語がなぜ、「深く憐れむ」などというような心の深い感情を表すようになったのか、それは、この感情がからだの奥深い部分も動かされるような内容を持っているからである。真の愛は、全身全霊をもって働くものだからである。

まず病人をいやされ、表面上では病人でないが、神の目からはすべての人が病んでいるのであったから、それらすべての人たちの乾きと飢えをいやすべく行われたのが、五千人のパンの奇跡と言われるものである。
いくら悪の力が強く支配しているように見えても、そのようなただ中にイエスを求め、従っていき、イエスから何かよきもの、神の国にあるものを分けて頂こうとする人たちがいる。
このような引き寄せる力によって人々はイエスのところに集められた。しかし、そのような人々の状況は、イエスの時代のユダヤの人たちだけのことでは決してない。この聖書の記述は、私たちが昔の美術館などを見るような気持ちで過去にはこんなことがあったのだと他人事のように読んではいけないのである。
このたくさんの群衆の中に自分もまた見出されて、そこを歩いていると言えるのではないか。
主イエスはこうした迷える一匹の羊たちの群れに対してどのように言われただろうか。
何のためについてきたのか、食事もないのになぜこんな所まできたのか、といった叱責の言葉はなかった。弟子たちはさすがに夜が近づいたので、すみやかに食事のことを考えないととても困る事態になると考えた。しかし、主イエスは何と言われたか、意外なことに「あなた方が彼らに食べ物を与えなさい。」というのである。
 キリストの弟子たちとは、このように飼うもののいない羊のように迷っている人たちに「食べ物を与える」(16節)ことがその任務なのである。
「悔い改めよ、神の国は近づいた」と宣べ伝えよ、と主イエスは弟子たちを派遣するときに命じて言われた。神の国が近づいてそこにある、それゆえに弟子たちは、人々に霊的な食べ物を与えることができるのである。
弟子たちは自分たちの大きな使命にまだまだ目覚めていなかった。それで、群衆が自分たちで食べ物を得るようにと、考えた。
しかし、イエスは「あなた方が彼らに食べ物を与えよ」と言われた。弟子たちは自分たちが持っているのは、五つのパンと二匹の魚だけであって、それでは何にもならない、と思ったが、それは当然のことであった。
五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。(口語訳、新改訳もほぼ同じ)(*

*)マタイ福音書では、単に「祝福した。」となっているが、ルカ福音書では、原文で見ると「それらを(euvlo,ghsen auvtou.j)祝福した」、となっていて、祝福の対象は、パンと魚であることが明示されている。
新共同訳では、この「祝福した」という箇所を、「讃美の祈りを唱えた」と訳しているが、この訳はごく少数である。
原文は、avnable,yaj eivj to.n ouvrano.n euvlo,ghsen であって、「讃美の祈りを唱える」という訳語の原語は、ユーロゲオー eulogew であり、他の外国語訳の大多数が、「祝福する」と訳し、少数が、「感謝する」と訳している。例えば、英語訳二十種類ほどでは、ほとんどが bless と訳している。そのなかで、ドイツの一つの訳だけが、Lobpreis(ほめたたえる、讃美する) と訳している。新共同訳はこの訳に近い訳語を採用している。
この原語は、新共同訳でも他の多くの箇所は、「イエスは彼らを連れて行き、手をあげて祝福された」(ルカ二四・50)のように、「祝福する」と訳されている。


…he looked up to heaven, and blessed and broke the loavesNRS
…raised his eyes to heaven and said the blessing. NJB
…Und er blickte zum Himmel auf, sprach den Lobpreis,Ein
なお、EXPOSITOR'S GREEK TESTAMENT1970 EERDMANS )でも、マタイの箇所は、 「パン」を祝福したと、パンという語を補って読むと注記されている。
さらに、ヨハネによる福音書では、「パンを取って感謝して(eucharistew)、分け与えた」とある。

五つのパンと二匹の魚、それがなぜ、男だけでも五千人もの人たちを満たすようになったのか、それは、この、イエスが天(神)を見つめて、パンと魚を感謝して、祝福した、というところにある。イエスによる祝福こそは、大きな転換をもたらすのである。

この、主イエスによる祝福が特別な変化をもたらした例が次にある。

彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。 (新改訳 ルカ二四・3031

二人の弟子が、エマオという村に向かって歩いているとき、復活したイエスが近づいてきて、彼らに話しかけた。そしてその道すがらずっと聖書全体にわたってキリストのことが預言されていることを説明された。しかし、それでもなお、不思議なことであるが、彼らはそのお方が復活したキリストであることには目が開かれなかったという。しかし、何か不思議な力に惹かれるように、そのまま通りすぎていこうとするイエスを無理に引き止めて、食事を共にした。そのとき、イエスがパンをとってそれを祝福して弟子たちに分け与えたときに、彼らの目が開けて復活のイエスである、と初めて気付いたのであった。
このように、イエスの祝福には特別な力が込められていることが記されている。イエスは神と同質であり、神の祝福を来たらせるからである。こうした特別な力は、神にあり、私たちが神への感謝と讃美の気持ちを捧げることによって下されることが示されている。
そして、そのようにわずかなもの、小さな取るに足らないものが、イエス(神)の祝福によって数知れない人たちを満たすこと、そればかりでなく、残りのパン屑を集めると、十二の籠いっぱいになったと、わざわざ記されている。それは、十二という数は完全数の一種であり、そのことからもうかがえるように、残ったものであるにもかかわらず神の祝福は完全である、ということを示している。
実際、人間が使ったあとの残り物は不十分で、リサイクルに出しても限られた用途しかない場合が多い。それ以外はゴミであり、もはや役に立たないから捨てられるか、有害なものが残るだけである。
それに対して神の祝福はいくら使っても使ってもその祝福は終わることがない。事実、キリストの祝福は、五千人どころか以後二千年にわたって無数の人、全世界の人たちにその祝福が及んでいる。
このパンの奇跡は、四つの福音書すべてに記されているばかりか、マタイ福音書とマルコ福音書では、わずかに記述が違っているがほぼ同じようなパンと魚の奇跡が、二回ずつ記されているのであって、四つの福音書では、六回も繰り返し記されていることになる。
このように特別に強調されているのは、ほかの奇跡では例のないことであり、マルコ福音書のような簡潔な福音書であってもわざわざ二回もこの記事が記されていることは、特別にこのパンと魚がイエスの祝福によって数知れぬ人たちを満たしたということが重要とされたのが分かる。それは例えば、マルコ福音書では、イエスが三十歳になるまでは何をしていたのか、どんなことを考えていたのか、家族との関わりはその三十年どんな風であったのか、等々をすべて省略して、いきなり三十歳のときから書き始めるほどに大胆にカットするにもかかわらず、パンの奇跡がとくに繰り返し記されていることは際立った対照を見せている。
それは福音書を書いた著者たちの背後におられたキリスト(神)が、そのことを特にうながしたからだと言えよう。それは何か。神の祝福の力は、どんなに悪がはびこっているように見えても、いかに悪が正義や真実を蹂躙しているようなことが生じようとも、それらを越えて、増え広がっていくということなのである。
このパンと魚の奇跡によって神の祝福の力、増え広がる力が示された後で、何が書かれているかというと、イエスが、海(湖)の上を歩くという、一見およそ信じがたいように見えることである。
この記事はヘロデやその妻子たちが、神の人ヨハネの首をとって大勢の遊び戯れる客人たちの席に持参させるというヨハネの無惨な最期を記したことと何らかの関係があるだろうか。
先ほどのパンと魚の奇跡の記述の冒頭には、
「イエスはそれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとりで人里離れた所に退いた」(マタイ十四・13)とあるので、パンの奇跡とつながっているのがうかがえるが、次の記事もまた、パンの奇跡の記述が終わったあと、「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、向こう岸に行かせ、群衆を解散させてから、祈るため、一人山に登った」(同十四・22)と記されている。
ここにも、「それからすぐ」とあるように、パンの奇跡のあったすぐに、ということでその奇跡とつなげて記されているのである。そして、パンの奇跡のときにも、まず「イエスは一人人里離れた所に退いた」ことが記されて、それに続く海の上を歩く、という記事の冒頭にも、やはり「祈るためにひとり山に登った」ことが特に記されている。
神の人が、女と娘との策略で殺されるということは、いかに悪の力が強いか、善の力が弱いかを示すようなことであり、そのようないまわしいことが詳しく記されていること、それをイエスは「聞いた」と聖書は記す。それによってイエスはそのあとに取った行動と奇跡の二つとも、「ひとり離れて退いた、祈った」ということがその記述のはじめに置かれている。
悪の力に対処するには、このように、静まって祈ることが必須である。そうしなければ私たちは、悪の力に引き込まれ、目には目、歯には歯といった仕返しの心、憎しみの心が生じてくるだろう。そしてそのような憎しみの心こそは、悪に敗北したしるしである。憎しみこそは、愛でなく、悪の力から生れるからである。
イエスは強いて弟子たちを舟に乗り込ませたが、「彼らの舟は悩まされていた。というのは、風は反対向きであったからである。」ここで、「悩まされる」と訳されている原語は、バサニゾー(basanizw)という語(*)で、これは、単に悩むといった軽い意味ではない。別の箇所では「責めさいなむ」というように訳されているような言葉である。

*)この語は、新約聖書では十二回ほど使われているがそのうち五回は黙示録である。そこでは、「火と硫黄で苦しめられる」(黙示録十四・10)とか、「彼らを誘惑した悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこで、昼も夜も限りなく責めさいなまれる。」(同二十・10)といった箇所で使われているのであって、これを見ても、この語は英語訳では torment(激しい苦しみを与える) を用いているように、厳しい意味を持った言葉である。

荒波は暗夜のなかで海の上の舟に激しく打ちつけたが、それは乗っている弟子たちの心にも死ぬかと思うほどの苦しみであったことがこのような用語でうかがえる。
そして、この「湖」と訳された原語(*)は、本来は海を表す語である。

*)ギリシャ語で、サラッサ( qalassa )。 口語訳では 「イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。」と訳している。
 最近の英語聖書の代表的なものとされている、新改訂標準訳(NRS)や、新エルサレム聖書(NJB) においても、he came towards them, walking on the sea, … のように、海と訳しているのも多い。


そして聖書においては、海というのは決して現代の人が連想するような、ロマンチックなものではない。それは、神が制御することによって初めてその巨大な力に限界が置かれたことが、すでに聖書巻頭の書、創世記の最初の部分に書かれている。

神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。
神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海(ギリシャ語訳では、qalassa)と呼ばれた。 (創世記一・910

また、黙示録には、「一匹の獣が海から上がってきて、その獣に悪魔(サタン)が、自分の力と権威を与えた。」(黙示録十三・12より)と記されていて、悪魔の力を受けるものが潜んでいたのが、海であったことも、古代において聖書の時代では海がどのようなものとして受け止められていたかをうかがわせるものとなっている。
このようなイメージは、すでに旧約聖書からみられる。

その日、主は厳しく、大きく、強い剣をもって逃げる蛇レビヤタン、

曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し
また海にいる竜を殺される。 (イザヤ書二七・1
この箇所の表現は、初めて読む場合には、これだけ見ても何のことか分からない。これは、世の終わりの日、神があらゆる悪の力を滅ぼすという啓示を神話的表現を用いて述べているのである。曲がりくねる蛇とか、海にいる竜というのは、この世に深く宿っている悪の力、悪そのものを指しているのであって、神の定めた日、それはしばしば「主の日」と言われるが、そのときには、人間を苦しめ混乱させてきたそのような悪は滅ぼされ、一掃される、という預言なのである。
ここでも、この悪の霊的存在は、「海」にいるとされているように、古代から、海とは得体の知れない力を持った世界であるとされた。海は少し深くなると暗くなり、どこまでも続くと思われていた暗黒の深い世界が闇の力である悪そのものが住んでいるというように受けとられていたのである。
弟子たちは、この海に象徴される悪の力に苦しめられていた。風は逆風であったと特に書いてあることも、当時の状況を反映している。神の国への歩みを始めているキリスト者にとって、ローマ帝国の権力は、厳しい迫害を始めていた。そのことは、聖書の最後の黙示録に象徴的に記されている。
それはまさにキリスト者たちにとって、大いなる逆風であった。
逆風が強く吹いてきて、弟子たちは夜の闇のなかを長時間苦闘した。それは明け方にまで及んだことがわかる。
 この箇所でも、「夜が明ける頃、イエスは海の上を歩いて弟子たちのところに来られた」(マタイ十四・25)とある。
人が、よりよい目標に向かって前進しようとするのを妨げ、壊してしまおうとするのはこの世の現実である。しかし、そこにイエスがきて下さる。闇の力たる海を踏んで、来て下さるのである。
そして、弟子たちにも、「安心せよ、恐れるな。」と語りかけて下さる。そしてそのような語りかけを聞いた者は、そのイエスを見つめていくならそれまで闇の力に呑み込まれそうになっていたような者であっても、新たな力を与えられて、闇の力なる「海」を踏んで歩き始めることができる。
ただし、もしイエスだけを見つめるのでなく、この世の闇を見つめていたら私たちはたちまち引き込まれる。それが、次の記述の意味なのである。

イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
すると、ペトロが答えた。
「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」
イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。
しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。
イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。
そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。(マタイ福音書十四・2732

イエスの言葉を信じて、イエスを見つめて歩むとき、この世の悪の力にも引き込まれないで歩むことができる。しかし、そこから目をそらした途端に、海の中に沈み始める。すなわち悪の力の中に引き込まれていく。私たちの日常生活というのは、海の上を歩いているようなものであって、洗礼のヨハネがいとも簡単に婦女子の手の策略によって殺された、この世は結局悪が強いのだ、などと思って、この世の力に気を取られていたりすると、私たちも闇の力の中に落ち込んでいく。
このように、「海(ガリラヤ湖)の上を歩く」という奇跡は、あり得ないようなこと、私たちと何の関係もないことを書いてあるのでなく、日々深い関わりあること、悪の力に立ち向かう道が示されているのである。
洗礼のヨハネが王妃とその娘の策略によって殺害されるというような、いまわしい出来事が詳しく書かれてあるのは、なぜなのか。それはいかに目を覆いたくなるような暗い出来事が生じようとも、他方では、五千人のパンの奇跡に表されているように、神はわずかなもの、小さなものを祝福し、そこに大いなる力を与えて増え広がり、成長していくようにされているということ、そして、現実の悪に直面したときには、悪にのみこまれない道をも、「海の上を歩くイエス」という奇跡によって伝えようとしているのである。
長いキリスト教の歴史において、この二つの道によって、その真理は滅びることなく続いてきたし、悪に滅ぼされない魂が無数に起こされてきた。
このように、ヘロデ王の妻と娘という女二人のために殺害されたことをなぜわざわざ書いてあるのか、それはこれがこの世の現実だということである。聖書は決してきれいごとを書くことはしないで、この世の厳しい現実を常に見据えてその本質を書き記している。しかし、通俗の小説やテレビドラマのようなものが単なる興味本位で書いているのとは全く異なる目的をもって書かれているのである。
そしてその現実にいかにして打ち負かされないか、という道をも明確に記している。そのためにこそ、このような記事がある。


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