リストボタン原発の危険性について  2007/7-8

七月には、予期できないことが政治や自然現象、科学技術の方面で生じた。しかし、その中で、とくに将来的にも重大な問題をはらんでいるのが原発と地震の関係である。
今回の新潟県中越沖地震において、新潟柏崎原発では、現在までに変圧器の火災や放射能漏れなど重要度の高いトラブルが六十件余り発生したが、その後、さらに、床の変形や蛍光灯の落下など比較的軽微なケースも含めると、トラブルの総数が一二六三件にものぼったという。
とくに注目すべきは、原子炉の真上にある重さ三一〇トンというクレーンの部品が破断していたことで、この原子炉はたまたま定期点検中で稼働していなかったから、大事故に至らなかったが、もし稼働中であったなら、そしてクレーンで核燃料の交換などのときに破断していたら、はるかに重大な事態が生じていたかも知れないのである。
また、事故への対応が遅れたのは、停電があったからだというが、このことについても、専門家は次のように言っている。
「今回、柏崎はチェルノブイリに匹敵する事故が起きてもおかしくない、危機一髪の状況にありました。火災がおきたこと自体も世界で初めてのケースで、世界中に打電されましたが、さらに危ないことが起きていたのです。原発内での停電はたいへん危険なのです。
停電のせいで、冷却水を動かすポンプに何らかの支障が発生した場合、冷却水は一気に高温になり、放射能はあふれ、大事故が起きることになります。」(京都大学原子炉実験所・小出裕章氏 、「週刊現代八月四日号」)
この小出氏は、毎日新聞でも、次のように今回の事故のうち、とくにクレーンの部品が破断していた事故について次のように述べている。
「使用中に地震が来ていたら、大事故につながった可能性がある。燃料が落下すれば、破損して放射能もれにつながるし、使用済み核燃料プールに重いものが落下すれば、燃料を収めたラックが破損して、臨界事故(*)になる可能性もある。」(毎日新聞七月二五日)

(*)臨界事故とは、核分裂が制御できなくなって、放射線や熱が外部に放出され人体や機器の損傷がおきる事故をいうが、それが大規模となるとチェルノブイリ事故のような大惨事となり、広大な地域が汚染されて人間が住むこともできなくなり、とくに日本のような狭い国土であれば壊滅的な打撃を与えることになる。

また、この柏崎地域の原発は、一〇〇万キロワット級の大型のものが七基も並んでいるという世界で最大級の原発地域であるのに、地震対策が最初から不十分であったことが指摘されている。東京電力はこの原発を建設する前の調査で、今回の地震を起こしたと考えられる断層の一部を見出していながら、耐震評価の対象からはずしていたという。
そして、実際にこの原発の地下二〇kmには、今回の地震を引き起こした活断層が走っていた。また、耐震強度をマグニチュード六・五としていたが、それは今回の地震の強度の六・八以下であった。
また、地震の揺れの強さを示す加速度についても、柏崎原発は八三四ガルを想定して設計されていたが、今回の地震は二〇五八ガルという驚くべき高い数値であり、想定をはるかに上回っていたという。(毎日新聞七月三一日)
このように、科学技術とか、それによる人間の予想などというものはしばしば自然の広大無辺の現象を予見することはできないのである。にもかかわらず、科学技術者は、こうした実際の事件や事故が生じないかぎり、絶対に大丈夫だとか、大事故はあり得ない、それは科学技術を知らないからだ、などといって本来自分たちが決して予見できないものをあたかも予見できるかのように説明してきた。
もし今回も、原子炉の運転中にもっと大きい地震に見舞われていたら、クレーンの破断事故は、どうであっただろうか。燃料が落下したりして、放射能を持った物質が大量に外部に拡散し、あるいは臨界事故となり前述の小出氏が述べているようなチェルノブイリ級の大事故につながっていたかも知れないのである。
そんなことはあり得ない、などとよく原発推進派の学者や政治家は言うが、今回の事実でもはっきりしたように、そうした学者や政治家たちの言うことはまるで信頼がおけないのである。
前述の小出氏たちが作成した京都大学原子炉実験所が作成した「日本の原発事故 災害予想」」という文書には、大事故となった場合には、今回のケースなら、柏崎市では人口の99%までが死亡し、近隣の市街地でも放射能の強い影響のために、半数が死亡する、さらに、関東、東海、近畿という日本の中心部全体にわたって数十万という人たちがガンで犠牲になり、放射能の影響は東北にまで及ぶといった予想がたてられているという。
たしかに、チェルノブイリ原発事故がいかに国を超え、世界的に広大な被害をもたらしたかを考えると、チェルノブイリとは比較にならない大人口が密集した日本であるから、これは決して誇張したものでないことがうかがえるのである。
チェルノブイリ事故では原発から三百kmも離れた地域にまで高度に汚染された地域が広がり、事故原発のすぐとなりにあるベラルーシ共和国では、高濃度に汚染された地域に住む人々は四百万人にも及んでいた。
柏崎原発から東京まで直線距離では二百数十キロほどしかない。原発の大事故という事態になれば、一つの市や町が被害を受ける、といったこととは比較にならない状況となって日本中が大混乱となるであろう。
そんなことは起きない、地震にも万全の対策をしてあるのだ、などとよく言われてきた。原子炉本体を入れてある建物は、大事故が絶対に生じないように最も強固に安全に設計してあるはずである。しかし、その重要な建物のなかのクレーンに破断事故が生じていたということは、人間のすることがいかに現実に対応できないかを証明したものとなった。
しかも、今回の地震がもっと大規模であって、原子炉の破壊などが生じていたら、このような恐るべき予想が現実に生じたかも知れないのである。
環境問題で二酸化炭素の排出を抑えるために、原発が再び建設を増大させようとする機運がある。しかし、今回は地震に対するもろさに限って書いたが、原発から大量に出てくる放射性廃棄物の処理という困難な問題や、原発の増大によって核兵器が作られる危険性が同時に増えていくという難しい問題などを考えると、原発には本質的危険性を深く内在させているのである。
そして人間の科学技術や政治の力などをはるかに超える自然の災害の前に謙虚になるなら、人間がどんなに科学技術で安全だと保証しようとも、そういう保証は到底信頼できるものではない。科学技術そのものが大いなる限界を持っているうえ、そうした機器類を扱うのは人間であって、その人間はどんな過ちを犯すか分からない弱いものであるからである。
アメリカのスリーマイル島の原発の大事故、チェルノブイリの原発事故なども、機器類の問題とともに、人間の操作ミス、判断のミスが深くかかわっていたのである。
原子力発電においては、一度大事故が生じたら、取り返しのつかないことになるのであり、いかに困難であっても原発を次第に減らしていく方向へと向かうのが、この問題に対するとるべき道なのである。


音声ページトップへ戻る前へ戻るボタントップページへ戻るボタン次のページへ進むボタン。