回り道を通って 2008/1
イスラエルの民がエジプトから解放されて目的地のカナンに向かうとき、四〇年もの歳月を荒野ですごした。
しかし、エジプトからユダの地エルサレムまでは、地中海沿いの道をとれば三〇〇キロ程度の距離であって、毎日五時間程度歩いて、二〇キロほど進んだとしても、わずか二週間ほどの日数で行くことができる。
それは、イエスの誕生のとき、ヨセフとマリアたちは、み使いから命じられたままに、エジプトに逃げていくが、それは「夜のうちに幼な子とその母を連れて去り、へロデが死ぬまでそこにいた」とある。そして、帰るときにも、幼な子と母を連れて、イスラエルの地に帰って来た。(二・21)と簡単に帰れることが示されていることからもうかがえる。
それゆえに、次のような箇所で記されているように荒野で四〇年もさまよったというのは、きわめて異例のことであったのが明らかになる。
あなたの神、主は、あなたの手の業をすべて祝福し、この広大な荒れ野の旅路を守り、この四十年の間、あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった。
(申命記二・7)
イスラエルの人々は荒れ野を四十年さまよい歩き、その間にエジプトを出て来た民、戦士たちはすべて死に絶えた。彼らが主の御声に聞き従わなかったため、我々に与えると先祖たちにお誓いになった土地、すなわち乳と蜜の流れる土地を、彼らには見せない、と主は誓われたのである。
(ヨシュア記五・6)
神はこれほどまでに回り道をするように仕向ける。四十年とか四十日といった表現は、特別な数字であり、主イエスが受けた試みの期間は四十日であった。(マタイ四・2) 神が決められた長い期間、それがこの四十という数字に込められている。
… さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。
神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。(出エジプト記十三・17~18)
ここで、ペリシテ街道とは、地中海沿いの道である。その道を通れば、すでに述べたように、カナンの地までは、二週間ほどで到達することができるのである。
なぜこのように考えられないほどの回り道をさせたのであろうか。それは、途中の敵対する民族との戦いが生じたら、滅ぼされてしまうと恐れてエジプトに引き返してしまうかも知れないので、あえて、多民族との戦いはないが、はるかに遠い道のりを長い年月をかけて、苦しみつつ歩んでいくようにと導かれたのであった。
私たちにおいても、前途に目に見える大きい困難があるときには、とてもそれを超えていこうという気持ちにはなりにくい。そのような場合には、別の道を示されることがある。
ダンテの神曲でも、最初は自分の力や意志で、清めの山(煉獄)を登っていけると考えていたが、それはたちまち強い敵の力によってそのような気持ちが粉砕されてしまう。そのために、神からダンテのために遣わされたローマの詩人に導かれて歩むということになった。
私たちの人生に生じる数々の苦しみや悲しみ、それは私たち自身の罪によるもの、他者の悪意などの罪によるもの、また病気や自然の災害等々、どうしてこんなに苦しみが次々と生じるのかと心沈むことがしばしばある。それは遠い回り道のように見える。
それは、そうした回り道を通って御国へと行くこと、主に導かれ、聖なる霊に導かれて歩むことを徹底して学ぶためにこのようなさまざまの回り道のように見えることをしなければならないのであろう。