休憩室 2008/5
○竹の成長
朝の山道でたけのこが七~八メートルに成長していたところを歩いたのですが、その若い竹の、まだ竹を包んでいる茶褐色の皮の先端から小さな水滴(*)が次々と頭上から降ってくるのに出会いました。
(*) これは竹水といって、ヒスチジン、セリン、リジンといったアミノ酸を多く含んでいるとの分析がされています。
以前にも、裏山の竹林でタケノコが数メートルに成長したものからは、その竹の根本付近が水でぬれているのを時々見かけることがありましたが、細い雨のように頭上から降ってくるのに出会ったのは初めてのことです。
タケノコは、一晩で一メートルほども成長するという、植物としてはほかに類のないようなスピードで成長していくものです。その成長期の二〇日ほどはこのように根本から多くの水を吸い上げ、その余分のものが、竹から沁みだして滴となって落ちていたのです。
この驚異的な竹の成長も、一つ一つの細胞内であらたな物質が次々と合成されていくことでなされていますが、このような物質の合成は人間がする場合には、広大な敷地に巨大な工場を建て、高い温度や圧力をかけ、さまざまの薬品を反応させなければなりません。
しかし、植物の成長は一〇度や二〇度といった低い温度で、わずか一ミリの幅に数十個も並ぶような小さい細胞のなかでさまざまの物質が合成されてなされているのです。その複雑極まりない化学反応を、もし見ることができるとしたら、まさに驚異的なスピードで整然と化学反応が行われ、新たな物質が次々とつくられ、そこに根本からの水も次々と送り込まれているのが分かると思います。
竹が一日でぐんぐん成長する外見も目を見張るものがありますが、その目には見えない内部の化学反応を思い浮かべるときに、驚くべき指令が出されて人間の技術などはるかに及ばないことが行われているわけで、一本の竹から絶えず小さな水しぶきとなって落ちてくるのを見上げながら、しばし創造の神秘に感じたことでした。
人間の場合も、目には見えない霊的な祈りのなかで、闇の力との激しい戦いをなし、あるいは他者のために熱誠こもった祈りがなされ、そのゆえにあちこちであらたな人が神の愛に目覚め、神の国のために働こうとするように変化し、あるいは絶望の淵にいた人が天来の光に目覚めるという、目にみえる変化となっていくのだと考えさせられたのです。