聖なる霊のはたらく場
― 無教会全国集会に参加して 2008/5
天よりの風
無教会(*)の全国集会が徳島で開催された。今ふりかえってみると、そこでは確かに神の言葉が語られ、神の愛と導きが語られ、さまざまの出会いが与えられた。そして会場に参加者に聖なる霊が送られてきた会だったのを感じ、深い感謝を捧げる。
(*)無教会とは、江戸時代の末期に生まれた内村鑑三(一八六一~一九三〇)に始まるキリスト教信仰のあり方であり、そのあり方に共鳴して集まった人たちの集まりをもいう。それは新約聖書の福音の本質であるキリストの十字架による罪の赦しの福音を根本として、霊と真実をもって神を礼拝しよう(ヨハネ四・23)とする信仰の心である。言い換えれば、人間的な組織やいつのまにかつくられていった伝承を重要視することなく、聖書とキリストの原点に帰ろうとするあり方である。これは一つの教派というべきものでなく、真理そのものに帰ろうとする精神である。そうした原点復帰への主張は、歴史のなかで繰り返し現れてきた。旧約聖書のエレミヤなどの預言者たちもまさにそのような精神をもって神から遣わされた人であったし、主イエスご自身がそうした精神を完全に持っておられた方であった。
こうした集まりは、神の大いなる憐れみなくば、人間的な議論や自己主張の場となり、議論や知識の強い者が時間をとってしまう後味悪いものとなってしまうだろう。
今回はそのようなことはなく、静かに主の霊が、またいのちの水が流れているのを感じることのできた集会であった。
参加者や私たち受けいれる側の多くの祈りが捧げられたと思われるが、その祈りがそのようなよき賜物を受けることにつながったと感じている。
今まで私は過去四〇年間にわたって、全国集会や四国合同集会、あるいは近畿地区無教会集会など、数多くの合同の集会に参加してきたが、今回の全国集会は、それらの中でもとくに神の愛と聖なる霊のはたらきを感じることのできた集会となった。
もとより、今思えば不十分な点もあり、時間と体力的限界があって、私の知らないところでいろいろ不都合が生じたこともあるのではないかと思われる。
そうしたことはあったにしても、今回は、全体として講話や証しをする人も全体会での発言も司会者によってきちんと時間オーバーしないようになされ、参加者のほとんど全員の信仰や人柄の一端に触れることができた。
それは自分の言いたい主張を言ってすっきりしたとか、多いに議論をたたかわせて啓発された、といったのとは違ったものである。それは、目には見えない何かによって参加者がうるおされたという実感であった。それこそ、聖なる霊によるものだと感じた。
それは日本のさまざまの地から、さらに地球の裏側からの参加者もあり、その方々が祈りとともに天よりの風を運んできて下さったからでもある。
受けいれる側の祈りと合わさって、目には見えない風―聖なる霊の風が静かに吹いているのを感じさせてくれた。
ある近畿地方からの参加者が、次のように書いておられた。
「会場のどこからかイエスさまがほほえみながら見ていて下さった…そう感じました。人ではなく、神様、イエス様を讃美するこのような集会にまた参加したいです。」
このように、主イエスのまなざしと微笑みが感じられた集会であったとすれば、それはひとえに神の愛ゆえの恵みであった。
私たちに注がれる太陽が欠けたところ多いものにも小さな者にも大きなものにも同様にその豊かな光を注いでいるように、神がこのたびの全国集会にその慈愛の雨を降らせて下さったのだと思われる。
今回の全国集会は、五月十日(土)午前十時~十一日(日)の午後五時までであった。二日目の日曜日の早朝六時三十分から三十分間の早朝祈祷会もあった。今回の参加者は二百十七名であり、遠い北海道からは四名、台湾に近い西表島を含め沖縄県から七名、さらに太平洋を越えてアメリカ・ニューヨークからの参加者もあった。
その他岩手、宮城、山形などの遠方からの参加もあり、そのような遠隔地からの参加の方々を見るにつけても、そんな遠くからこの四国・徳島にまで引き寄せられる神の不思議な御手のはたらきを感じずにはいられなかった。
また土曜、日曜の二日間では開会や閉会までの全体プログラムに参加できないから、前日の金曜日から徳島に来て、さらに全国集会終了後も一泊余分に宿泊して全日程を参加された方々も多く、そのようにして、金曜日から月曜日までの四日間もそのために費やされた方々もかなりあった。
また、開会前夜の九日(金)の夜には六〇名を越える参加者によっての交流会があり、さらに全国集会終了後の十一日(日)の夜にも徳島聖書キリスト集会の集会場において交流会(参加者約三〇名)が行われたから今までの全国集会のなかでは、最も参加者との交わりの時間が多くとることができた集会となった。
こうした多様なプログラムにおいて、ふつうの会社や勤務先での会食とか交流とはまったく異なる雰囲気を感じた。
それは私に寄せられてきた個人的感想など(別稿のメールでの感想文を参照)からも感じられる。
たしかに、主は活き活きとしたその見えない霊をおくって下さった。それは驚くべき「風」であった。風は思いのままに吹く、と主イエスは言われた。
たしかにかつて私自身の魂に吹き込んできた霊的な風は、ある時突然吹いてきたものであり、誰一人予想もしなかったことである。
まさに神の思いのままに吹いてきたのであり、それによって私は天の国の消息を初めて知ることになったのであった。
しかし、他方、天よりの風は、人間の側の真実な祈りによっても吹いてくる。じっさい初めてキリスト教がその世界に向かっての伝道をはじめるときには、主イエスご自身が「祈って約束のもの(聖霊)を待て」と命じられたのであり、そのみ言葉に従って人々が集まり日々祈りをもって待ち続けていたとき、時が来て大いなる天来の風―聖なる霊の風が吹いてきたのである。
テーマについて
今回の全国集会ではテーマを何にするかについては、はやくから考えていた。それは今年は徳島が四国集会の担当であったからで、そのため、まだ今年の全国集会のことは何も聞いていないときから、テーマを何にするかと考えていた。それで、去年五月に高知での四国集会が終わってすぐにテーマについて私たちのキリスト集会の方々の意見を聞くため、ほぼ全員からアンケートをとった。そして最も多い内容を中心としつつ、ほかのテーマについてもそれらをできるだけ含むようなものとして今回の「神の愛とその導き」というテーマとなった。
このテーマはたしかに誰にとっても切実な問題である。世の中の数々の問題はみんな、神の愛と導きを受けていないから生じていると言えるからである。
愛なくば、白熱した議論も「騒がしいシンバルの音」にすぎない。(Ⅰコリント十三・1)
また、グループ別集会(分科会)にどんなグループを作るか、それをどのようにして二時間を用いるか、ということも、集会の人たちに意見を出してもらい、さらに文章にも書いてもらってその希望の多いものを採用した。
今回初めて、キリスト教信仰をもっていないとか、基礎的なことを知りたい、聖書の疑問などを出してもらうグループをつくったのも、その際に出されたことだからであった。
今回の全国集会でまず重要と考えたのは、人間の頭で考えた研究や調べたことの発表などでなく、一人一人が神に聞いたゆえのメッセージであり、神によって動かされたという確信が語られるように、ということであった。
そして、だれにでもわかる内容、初めての人、いま苦しんでいる人、闇にある人が励まされるような講話、証し、あるいは交わりを…ということであった。
これは、主イエスがそのような人々を第一に重視されたゆえに、そのイエスのご意志に沿ったものとなる必要があるので、そのことに従ったのであった。
それは主イエス中心であり、神のお心を少しでも表したいとしてなされたことであり、神のわざ中心ということである。ふつうの庶民に分からないような論理的あるいは知的な研究や議論など、それは知的にすぐれた人だけを相手にしようとしているという点で人間的である。
そのような人間的なものを前面に持ってくることでは、人は救われないし、苦しみに置かれた人たちには何の喜びもない。
それから、全国集会というのは、全国のキリスト集会の代表者の会でなく、すべてに呼びかける集会であるから、当然初めての人、まだ信仰がよく分からない人も含まれるのであって、その人たちへの伝道的視点も含まれていなければならない。また何十年の信仰の歩みがあっても揺らいでいる人、固まってきている人もいろいろとある。離れていこうとする人もいる。それゆえ、多様なキリスト者に呼びかける集会では、大学でなされるような研究の発表でなく、神からのメッセージがわかりやすい言葉で語られねばならない。
キリスト中心のわかりやすい内容 今回の全国集会は、主イエスを中心とすることを明確にした。それは主イエスがとくに心を注がれた、弱い立場の者、ごくふつうのどこにでもいる人たちを対象として語られ、証しされるようにということである。
今回の全国集会に関して、県外からのある参加者が、次のように書いておられた。
「今までむつかしいご講義を聞いて、わからないことが多く、自分の不信仰、不勉強のためと思わされてきた。今回やさしく心にしみる聖書でした。」
このような難解な「講義」によっては、今、心の重荷に苦しむ人、また現代の若い世代の人たちの心にも届くことは難しい。それは知的な頭の中だけの理解に終わって、燃えようとする霊的な火を消してしまうものとなってしまうことすら多いであろう。
そもそも、日曜日ごとに語られる聖書からのメッセージは「講義」といった用語はふさわしくない。これは大学のような場でしか使われないからである。主イエスは「講義」というようなスタイルで語られたであろうか。否、であることはすぐに分かる。
だれでもが使っているわかりやすい言葉で、今苦しむ人たちへの喜びのおとずれとなるメッセージであり、通行人にも無学な人にも分かるような表現でしかも無限に深い意味をたたえ、それを神の力をもって語られた。み言葉を語る立場の者はだれでもこうしたことを常にあるべき姿として見つめていたいと思う。
弱さのなかに
今回の全国集会で多くの人たちに証しをしていただいた。そのうち、何人かの重い障害を持った方、聴覚や視覚の障害を持った方々にもキリストがいかに働いて下さったかという証言をしていただいた。
今回の全国集会では、全身の障害のために人工呼吸器を装着し、日々寝たきりの方、そしてもう一人は歩行器につかまるようにすればなんとか歩けるが、ふだんはベッドに寝たきりという二人の方の参加があった。
また、視覚障害者は九名(ち全盲五名、弱視四名)また、聴覚障害者は三名(ろう者一人、中途失聴二名)
そして知的障害者は五名で、合計十九名の障害者の方々が参加していた。
さらに、今回はガンの末期で、胸に水がたまって苦しい状況になっている方も遠いところから参加いただいた。
そして、そのような弱さの中にキリストの力は働いたのを私たちは実感させられたのである。「わたし(キリスト)の力は弱いところに完全にあらわれる。」
(Ⅱコリント十二・9)
今回の全国集会で聖霊を招き寄せるようなはたらきを、そうした方々がとくにして下さったのを感じる。
そのような弱い立場の方々、病気や障害の苦しみにあっても主の愛に生かされ、支えられ、導かれてきたことは、わずかな言葉を聞くだけ、いや彼らのすがたに接するだけでも、私たちはそこに神の深い愛と導きを実感させていただけるのである。そこには何等の学問やむつかしい表現も不要である。
その方々のなかでも、とくに苦しみや涙を伴う生活を送った方々も多いと思われるが、そこから深められた信仰、そこから滴り落ちるしずくを受けるだけで、接する者にはふしぎな励ましや慰めを受けることができる。それこそが、聖なる霊のはたらきであり、神の愛を実感させてくれるものなのである。
一人一人の発言の重要性
今回は二〇〇人を越えるような多くの人たちが、だれもが何かを発言し、何かを主にあって表すということを考えた。それは神は一人一人を大切にされるゆえに、その神の心を少しでも反映させたいと願ったからであった。
そのような多くの人たちが一人一分語っても、二〇〇分すなわち三時間以上もかかるのであるから、時間配分を厳密にしなければ、とうてい決められた時間には終わることができない。一人二〇秒余分に語っても、二〇〇人ともなれば、一時間以上も余分にかかってしまう。三〇秒という短時間でも、その人の心に一番あることは語れる。祈りをもって語れば、ひと言でも心に何かが残る。
全員による自己紹介はそのように時間をきちんと守ってなされ、司会者の適切なやり方によって予定の二時間という枠内に収まり、短時間ではあるがどんな人たちが参加しているのか、主はどのような人たちを集められたかをじっさいに見ることになった。
讃美のこころ
讃美のうち、コーラスについては、日曜日の礼拝に参加する人はいつも参加するとは限らないために、全員が練習する時間をとることがなかなか難しいことであったし、まったくの素人ばかりであるからコーラスの練習も難しいことであったが、よく担当者がそのために労力を費やして県外の人たちもともに祈りをこめて讃美することができた。
全国集会における、コーラスやほかの讃美の時、それは音楽会ではない。それは祈りなのである。あくまで信仰のため、聖なる霊を呼び起こし、神の国からの風を集会の場に吹きいれていただくためのものである。
それゆえに、どれだけ上手に歌えたか、でなく、どれほど祈りをもってその歌詞を心から自分の信仰の心として歌ったか、が第一に重要となってくる。
いくら上手に歌ったとしても、その歌い手の心のなかにひそかな誇りがあれば神はそうした不純なものを見抜き、そこには祝福を与えないであろう。そうした祈りなき歌は単に楽しませるためにはよくとも、聖なる霊を呼び覚ますことはできない。そして聖霊の働かないところでは、本当に魂を揺り動かすことにはならないのである。祈りあるところには神が働いて下さり、たとい歌唱力が貧弱であっても、相手の魂に届く何かを神がなされるのである。
旧約聖書の詩編とはまさに讃美集である。それは、上手に歌え、などという指示はまったくない。あるのは、主に向かって歌おう、であり、感謝と喜びをもって歌おうということなのである。主に向かって歌うとはすなわち祈りなのである。
主イエスは言われた、「神殿とは祈りの家であるべきだ」と。(マタイ福音書二一・13)
神殿とは神がそこにおられると信じられたところである。全国集会の場も神がおられるところであり、ひとつの「神殿」であった。
それゆえそこでなされることはすべて祈りを伴うのでなければならない。単に楽しませるための音楽(*)などはキリスト教の集会では無縁のことなのである。
(*)この点で、昨年の青山学院大の礼拝堂での全国集会で夜のプログラムでのオペラ歌手の歌は、祈りとは何の関係もない、まったくこの世の歌であって、本来あのような聖なる場でなされるべきものではなかった。
キリスト者がその集会でなす讃美は、コーラスであれ、手話讃美や全体讃美であれ、歌や演奏は主に向かって讃美、演奏し、それによって聞くものも皆が、神へのまなざしをもつようにという願いをもってなされるべきであり、そうして初めて御国からのいのちの水が参加者の魂に、その讃美、演奏とともに流れてくるのである。
キリストの証しをする重要性
証し、これはキリスト教伝道の出発点にあったことである。キリストの福音を伝えること、それはイエスの教えを聞いたからではなかった。イエスの教えがよい教えだから、それを伝えようなどという気持で全世界に伝わったのではないというのは意外に思われる。しかし、三年間もイエスのよい教えを聞いていた弟子たちは、いよいよイエスが捕らえられていくときみんな逃げてしまったし、筆頭弟子というべきペテロは三度も激しくイエスなど知らないと否認した。それは三年間、あらゆるイエスの教えを聞いて、奇跡をも数々見てきた人間が単なる教えを聞いたから伝えるなどということには到底ならないということを示すものとなった。
それどころかイエスの死が近づいたときに、十字架で殺される、そして三日目に復活すると予告されたとき、弟子たちはみんなそれを理解せず、ペテロはイエスを諌めようとしたほどだった。
こうした状況を見てもわかるように、単なるイエスの教えを聞いたから世界に伝道をはじめたということでは全くないのである。
そうした教えや奇跡を見たり、イエスの命がけの熱心に触れていてもなお、弟子たちは福音を伝えるという力を受けることはなかった。
彼らが根本から変えられたのは、そうした教えとか命がけの模範を見るとか、奇跡を見るといったことでなく、復活のキリストに出会い、そのキリストと同じ本質である聖霊を受けて初めて福音を伝える力が与えられたのである。彼らの宣教はきわめて単純であった。
「神はイエスを復活させられた。私たちは皆、そのことの証人だ。イエスはたしかに復活したのだ」(使徒言行録二・32)ということが、命がけの伝道の出発点なのである。このように、みずからが魂に体験した復活のキリストに出会うこと、聖霊を受けること、その証しこそが、伝道の根底となる。
すなわち、生きたキリストを知らされたという証しはきわめて重要なのである。使徒パウロも最初に語った伝道の言葉は、復活の主イエスに出会ったことなのであった。
…しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださった。
このイエスは、御自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現されました。その人たちは、今、民に対してイエスの証人となっている。わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせている。つまり、神はイエスを復活させて私たち子孫のため約束を果たして下さった。」(使徒十三・30~33より)
このように聖書に即してみるなら、復活のキリストに出会ったことを確信をもって証しすることは、福音伝道の根底にあることだとわかる。それは議論でなく、研究でもない。他人の本の解説でもない。自らの魂の最も深いところでの現実の出来事をそのまま語ることなのである
このような考えによって、今回の全国集会でもキリストに出会った、キリストによって変えられたじっさいの証しを重視したのである。
人は計画し、神がことをなす
いかに私たちが計画しても神がそれを祝福してくださらないなら何にもならない。私たちは今後とも、主の憐れみと主のわざを待ち望み、主が闇にいる人たちにその光を届けて下さるように、聖霊の風を吹かせて下さるようにと願い、祈りを続けたいと思う。