巻頭聖句

しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。
わたしが与える水はその人の内で泉となり、
永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ四・14


リストボタン谷川の水   2008/6

澄んだ水が谷に流れている。どこを通ってきたのか。それは以前に降った雨が土にしみ込んで、さまざまの土の中を通ってしみ出てきたのが谷川となって流れる。汚れた土の中を通って清い水がしみ出てくるのに自然の不思議さを思う。
神の道、それはこの世のどんなに汚れた世を通ってきても決してその清さを失うことはない。たとえ人の汚れや悪があり、敵意や憎しみ、そしてそれらの大規模な現れである戦争など数々の暗い出来事があっても、そのただ中を流れてその清さと真実を保ち続けている。


どこまでも負って下さる方
誰もが日一日と老年に近づいていく。若い人は自分が老人になることなど考えることもしないであろうが、確実にすべての人は老いていく。
老いとは、さまざまの人間の弱さがしずかに、時には突然に次々と寄せてくることである。
病気、孤独、さまざまの楽しみの喪失、はたらきができなくなることから生きがいの喪失、行動の不自由、人間関係の困難さ、前途の希望が失われて影のようになってしまう等々。病院や施設でさえも、こうした苦しみを部分的にしか除くことはできない。
こうした老いの苦しみをどこまでも担ってくれるのは、ただ人間的なものを超えたお方だけである。

わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。 (イザヤ書四六・4

どんな状況になっても、必ずそばにいて私たちを担って下さると約束してくださる神、最終的には死という最大の難所をも御手をもって持ち運び、越えさせて下さる神を待ち望み、そこに希望をおきたいと願う。


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