リストボタン収穫は多いが働き人は少ない    2008/7

神の国のためにはたらくとき、必ず収穫はある。この世は朝早くから夜遅くまではたらく人はたくさんいる。先頃の調査であきらかになったように、財務省などにつとめている人は深夜になって帰宅するのが、勤務日の半数を越えている人が相当数いるとのことである。
それほど多く働いているが、それは神の国のためにはたらくということとは関係のないことである。主イエスの時代から、いつの時代にも一日中はたらく人はいくらでもいた。そうしないと生きていけないというのが普通であった。それでも、日本の江戸時代にしばしばあったように、冷害などのために作物が不良となり、大飢饉が生じて飢え死ぬ人が多数生じたほどである。
そのように日々の暮らしのために働く人はいつの時代にも無数にいる。それゆえ、主イエスが「働き人が少ない」と言われたのは、そのように日々の暮らしのための働きを言ったのではないことはすぐにわかる。それは、神の国のため、福音のために直接的な働きを意味しているのである。
主イエスは言われた。
「収穫は多いが、働き手が少ない。
だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(マタイ福音書九・3738

主イエスの目から見ると、この世はすでに刈り入れを待つばかりとなっている。イザヤ書などでキリストが来られるということが預言され始めて七百年もすぎたが、その長い年月は主イエスが来られるための準備の年月であった。そして時至ってキリストは来られ、まったく新たな時代となった。それはまた無数の人たちが救われ、神の国へと導かれる収穫の時の到来であった。
それゆえ主イエスは言われた。

あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。(ヨハネ四・35

まだキリストは来ない、まだそんな時期でない、という感じ方はいつの時代でも同様である。 しかし、神のまなざしをもって見るときには、無数の穂が色づいて刈り入れを待っているという。それは救いにいたる人たちがキリストの福音を聞いてすぐに信じて神の国に入るということがありありと見えるということなのである。
そしてこの主イエスの鋭いまなざしは、たしかにそのとおりであった。
主イエスが十字架によって処刑されたのち、弟子たちやイエスに従っていた人たちの多数が日々祈り続けていたが、時がきて聖霊がゆたかに、激しく注がれた。それによってキリストの復活が証しされ、十字架での死の意味が宣べ伝えられて、波のようにその福音は世界へと伝わっていった。
これはまさに収穫であり、刈り取られて神の国に入れられたということなのである。
現代もその収穫の時代は続いている。神の国のために働き人が今も求められている。


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