平和の憲法 2008/8
私たちに与えられている憲法第九条の非戦の精神は、戦後はじめて与えられたものである。
そしてこれは一般の社会問題や政治問題と異なって、聖書の真理に直接に根ざす精神であるゆえにキリスト者としてこの憲法がぜひとも守られねばならないと考える。
この憲法が生まれたのは六〇年余り前のことであるが、神の国においてははるか二〇〇〇年前から、平和主義は神の国の《憲法》として定まっていた。主イエスが、明確に「剣をもってするものは剣によって滅ぶ」、「あなたに敵対するものを愛し、迫害するもののために祈れ」と示されたのは、いわば神の国の平和憲法といえよう。
そして、「私の平和をあなた方に与える」という約束もまた平和に関する神の国の憲法なのである。真の平和は、神から与えられるものなのである。
キリストの平和、それは神が持っておられる神の国の平和であり、罪ゆるされた平安、清さ、愛、力などあらゆるよきものをたたえたものである。そのような比類のない価値をもつものを、ただ主イエスを信じるだけで与えられるという約束であり、これは千年たっても二千年経っても変ることがない。
また、九条では、武力による戦争を否定した。しかし、これは目に見える戦争のことである。
私たちは目には見えない霊的な力、闇の力との戦いは決して放棄してはならないのである。そして、目に見える軍備でなく、目には見えない神の武力を与えられて、それをもって戦うようにと導かれている。(新約聖書・エペソ書六・10~20)
私たちに与えられた武力とは、永遠の真理であり、キリストの十字架によって罪ゆるされたという確信であり、また福音、すなわち神の言葉をつねに前面に出していくことであり、聖なる霊によってうながされる祈りである。それは放棄するどころか、日々求め、身につけておらねばならない。
私たちは、九条という条文としての平和憲法だけを見つめることに終わることなく、この憲法の精神のさらに奥にある主の平和を見つめ、神の国の平和を与えられ、霊的な戦いをつねに戦うものとして歩みたいと思う。