日本の根本問題 2008/9
九月二一日、東京地方裁判所で、君が代、日の丸を強制し、従わない教員を罰するという東京都教育委員会のやり方は許されないとして、原告らの主張を認めた判決が出された。このような訴えは、数多く出されているが、はっきりとこのように、「憲法が定める思想良心の自由を侵害する行き過ぎた措置だ」としたのは初めてのことである。
このような、君が代と日の丸の強制へと方向づけたのは、一九八五年四月、当時の高石邦男初等中等教育局長名により、各都道府県の教育委員会教育長宛に出された通達であった。
これは、戦後初めて全国の公立小・中・高校すべてについて、入学式や卒業式における、君が代や日の丸について回答を求めるという極めて異例なものであった。
当時の、その高石初等中等教育局長は、愛国心の名のもとに、こうした調査結果を公表し、君が代、日の丸をわずかしか用いていなかった、沖縄や京都、関東の一部の都県などに強い圧力をかけるようになる。
この通達の背後には、自民党の強い働きかけがあった。
そしてこの時以来今日まで二〇年あまりの期間において、次第にこうした強制が全国へと広まっていく。
そして愛国心の育成のため、などと主張していたこの高石初等中等教育局長は、そのとき政財界を揺るがしたリクルート事件での罪を問われ、逮捕された。そして懲役2年6月・執行猶予4年の有罪判決が出た。
このような人物であっても、「国を愛する心」を育てるなどということを日本全体の教育委員会に命令するというのだから、彼らのいう「愛国心」なるものには信頼がおけない。
国歌と国旗を掲げ、歌うということ自体は一般的に言えば、国歌も国旗もあるのが好都合であり、それをみんなが何のこだわりもなく歌えるようであったらそれにこしたことはない。
しかし、今から二〇年あまり前から始まった、権力による強制ということは、そもそも一体何が目的なのか。戦前は、日の丸と君が代を前面に押し出して、戦争にかりたてる道具としてきたことはたしかである。その戦争がいかに悲惨なことになったかを、深く知るゆえに、憲法も全面的に改訂し、教育基本法も変えたのであった。とすれば、本来は、戦前の侵略戦争のときにふさわしいものとして用いられた君が代、日の丸も、広く国民のさまざまの人達の議論を集め、かつ学識者たちによって検討し、また新たに一般から公募するなどの方法をとって戦前のまちがった国の体制から全面的に決別するのが本来なすべきことであった。
憲法や教育基本法は根本的に新しくされたのに、古い憲法や教育勅語と深くむすびついて教育の現場でも用いられてきた日の丸、君が代はそのままで残るということ自体が矛盾したことであった。
このうち、日の丸は言葉ではなく視覚的なシンボルであるので、まだしも抵抗感は少ないと言える。しかし、君が代は、歌であり歌詞を持っているから、その歌詞の内容が当然問題とされねばならない。
君が代は、千代に八千代に さざれ石の 巖となりて 苔のむすまで
という短いものである。これは、戦前では、天皇の支配する時代は、何千年でも(永久に)続くように、との意味を持っているとして歌われたものである。この歌詞の意味が何であるのか、そのことを戦前の解釈も含めてはっきりと教えられないから、いつまで経っても国歌とされても、大多数の国民が何かあいまいな気持ちでこの歌詞を歌うということがずっと続いている。この歌を歌っている人は、どのような内容のものと考えて歌っているだろうか。天皇の御代(支配する時代)が永遠に続きますように、といった内容と解釈するなら、これはまるで、心から歌えないものとなる。現在は、天皇は単なる象徴であって、戦前のように日本は、天皇の支配する国家ではないからである。
また、君が代というのを、「君」を「you」のことだ、と曲げて意味づけ、「あなたの時代」などと解釈するなどというのは、あまりにもいい加減な解釈と言わざるをえない。明治維新から八〇年近い年月を、もっぱら「君が代」とは、「天皇の支配する時代」という意味で使ってきたものを、突然、それを「あなたの時代」だなどと言い出しても、それが千年も八千年も(永遠に)続くように、などと誰が一体本気で歌えるだろうか。
とすれば、これは天皇の御代(みよ・治世)が永遠に続くようにという解釈にならざるをえない。そしてそうなれば、このような事実に合わない内容を歌えといわれても、心から歌う気持ちになれないのが本当であろう。
なぜ、文科省はこの内容をきちんと戦前にいかなる意味として歌われたのか、その歴史からきちんと教えるように指導しないのかと疑問に思う人も多い。それは、そうすれば生徒たちも、いかにこの歌が戦前の軍国主義を引っ張っていくのに大きな役割を果たしたかを知ることになり、一層歌うのを躊躇するようになるだろう。そこで文科省はきちんと内容を指導するようにとは言わないのだとも言われている。
私が教員をしていたとき、県の教育委員会の何人かが、学校視察に来たことがある。放課後に全教職員を集めて、対面で県教委の話しを聞くことになった。そのとき、私が、「君が代」を強制しようとするが、その歌詞の意味をどのようにとらえておられるのかと、県教委の人達の見解をただしたことがあった。意味も分からない歌を強制することは無意味だからである。「君が代」の歌詞の意味をどう考えているか、その説明を聞きたいと言ったところ、「我々は専門家でないから、君が代の意味について十分な答えができないから、後日、回答したい」、などといって何人もの教育委員会の人達が一人も答えられなかったのに驚いたことがある。
それほどこの君が代という歌の意味については、きちんと教育の場でも教えられなかったし、教えようともしなかった。そして結局その回答は教職員には何等連絡がなかったから、学校には後日送られてはこなかったようである。
ずっと以前から、疑問だとされてきたのは、高校の日本史の授業で、太平洋戦争など戦前から現代に至る歴史をほとんどきちんと教えないことについて、教育委員会や文科省は何も指導しないことである。君が代、日の丸などの強制の根拠として、学習指導要領にあるからということを根拠にしてくる。しかし、日本史で教科書を現代史の重要部分を省略しないで、現代まできちんと教えるということもまた、本来学習指導要領の基本にあることなのである。
それは、その時代の歴史を詳しく教えると、生徒たちが、日本の犯した罪の深さに気付くから、教えないようにと仕向けるためでもある、とも言われている。
靖国神社問題も前回と前々回で詳しく述べたように天皇が戦前は深く関与していて、国民を戦争にかりたてる道具としていた。
また、全世界で日本だけにしかない、特定の人間の名前を時間を数える際に使っている、元号制度もまた、天皇とかかわっている。天皇の事実上の名前を時間を数えるときに、用いるということだからである。自分の誕生日を明治○年、昭和○○年などとしか言えない日本人が多いが、それは明治政府が、天皇の名前を使うことによって日本人の魂の中に、天皇の名を刻みつけようとしたのが出発点にある。昭和天皇の本来の名前は、ヒロヒトである。昭和とは、そのヒロヒト天皇の死後の諡(おくりな)であるから、昭和○○年と言うことは、天皇の個人名を使って時間を数えていることになる。さらに、昭和○○年ということは、昭和天皇の治世(支配)の○○目、ということであって、現在の主権在民という理念にも矛盾するのである。
また、日の丸の旗は、太陽が中心に描かれている。天皇が天照大神の子孫だという神話を大まじめに受けとる立場にとっては、日の丸の旗は天皇を象徴していることになって、天皇を現人神として敬うことは、日の丸の旗を敬うことと同一線上にあるということになっていた。
自民党の憲法改悪の議論も、伝統、文化を大切にする、というのがある。ここでいう伝統の代表的なものが、天皇制であるというのである。このように、日本の政治や社会で大きな問題はその背後に天皇ということが深く結びついている。
靖国神社の参拝がなぜ国際問題にまでなるのか、それは天皇のために死んだ軍人たちが、神として祀られ、天皇が特別に参拝していた神社であるからである。だからこそ戦前で特別に重要視され、現在でもほかの神社と異なる政治的問題をもっている。
現在政権党である自民党の最大派閥の領袖(りょうしゅう)である、森喜朗元首相は、今から六年半ほど前、神道政治連盟国会議員懇談会(会長・綿貫民輔)でのあいさつで、「日本の国はまさに天皇を中心とする神の国であるということを国民にしっかりと承知していただくという思いで活動をしてきた」と述べ、「神社を大事にしているから、ちゃんと当選させてもらえる」と言って大きな問題になったことがある。
このような考えは、戦前の教科書に出てくる文言(*)を思いださせるものがある。
小泉、安倍両氏は、この森派に属していた人物であり、このような間違った考え方の流れを受け継いでいる側面がある。単なる人間(天皇)を現人神として崇拝し、その命令を絶対視していくことは、太平洋戦争の遂行を支えるものとなっていた。
(*)『日本ヨイ国キヨイ国。世界ニ一ツノ神ノ国』『日本ヨイ国ツヨイ国。世界ニ輝クエライ国』(小二年用修身教科書)
東京裁判(*)がよく問題になる。原爆投下の責任が問われなかったことやA級戦犯のことはよく問題になるが、この裁判で、本来は最高の責任者であるはずの天皇の責任が最終的には追求されず(一部の国がきびしく天皇の責任を問題にしたが)、退位すらなかったということは、後々まで大きな問題を残すことになった。太平洋戦争は天皇の名によって開始され、また終結したのであり、会社でも、部下が大きな罪を犯せば、社長が辞任することになる。そうしたこの世の常識的なことすらなされなかったために、太平洋戦争という甚大な悲劇を起こした罪というのが全体としてあいまいになり、それが太平洋戦争を実行していった最大の責任者たちを神と祀る神社で彼らをも崇敬することになり、それが現在の靖国神社参拝問題にもなっている
。
(*)日本の戦前・戦中の指導者二八名の被告を〈主要戦争犯罪人〉(A級戦犯)として,彼らの戦争犯罪を審理した国際軍事裁判。(「世界大百科事典」による)
憲法とともに、教育基本法を変えようとする動きが大きくなっているが、とくに「日本の伝統」を重んじることが強調されようとしている。ここにも、こうした人達によってしばしば最大の伝統とされるのが、天皇の存在である。
そうした人達は教育勅語を持ち出してくる。しかしこれは、やはり天皇中心の発想が根本にある。これは、この勅語自体を見ればすぐに分かることであり、文部省が書いた次の表現にもはっきりと表わされている。
「…わが国の教育は、明治天皇が『教育ニ関スル勅語』に訓へ給うた如く、一に我が國体に則り、肇国(ちょうこく)の御精神を奉体して、皇運を扶翼(ふよく)するをその精神とする。」(「國体の本義」一二一頁 一九三七年三月 文部省発行)
このように、この勅語の精神は、第一に、「国体」に則る、すなわち、国体を基準としてするということである。国体とは、次のように規定されている。
「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これは我が、万古不易の国体である」(「國体の本義」九頁)
このように、教育勅語とは、天皇が神であって永遠に統治するという発想を根源に置いているのであり、そこから教育も、その皇室の運を助けるのがその精神だ、というのである。いかに、教育勅語が、国民中心でなく、天皇中心であるかがこれを見れば明らかである。
このように、日本では明治維新以来、国家、国民にとって重要な関わりをもってきて、現在もそうであり続けるのが天皇のことであり、天皇を基本的人権すら奪うような状況に閉じ込めておいて、神にまで祭り上げ、その存在を利用しようとすることが間違いの根本にあった。
現在も、教育や政治、そして国際問題にまでなっているのは、その元をたどればこの問題なのである。
天皇という存在自体は、一種の王であり、それがヨーロッパの一部の王政の国のように、神に仕え、国民に仕えるべき存在というのがはっきりしていれば特別に問題にはならないだろう。王政がなくなったら、国の問題は解決するとは限らない。現在では王制を持たない国が圧倒的に多い。王政がなくとも、問題はいたるところにあるのは絶えずニュースなどで報道されている。
しかし、ヨーロッパの王政の国々では決して起こらないこと、それは、王を神とするような発想が日本にはあるから問題なのである。それは、古代において、ローマ帝国の皇帝が自分を神としてあがめるように命令したような、時代錯誤的発想である。
聖書にも王制は旧約聖書にある。しかし、それは、次の詩にあるように、神こそ王であり、その神は愛と正義に満ちて真実なお方であるという信仰が基本にある。地上の王はその神から力と英知を与えられ、民に仕える存在なのである。
…神は諸国の上に王として君臨される。神は聖なる王座に着いておられる。(詩編四七・9)
このように、明治になってから、現在に至るまでの様々の問題の背後に、天皇という人間を神としてあがめるという間違った宗教的発想がある。
どの国々にもいろいろな問題があるが、日本にはとくにほかの国には生じない特殊な問題があると言えよう。そうした人間を神とするような発想こそ克服されねばならないのであって、それこそ聖書に記された真理、キリストによる罪の赦しに表された神の愛に導かれることがこうした問題の究極的な解決の道なのである。