光への熱望 2008/10
福音書に、道端で物乞いをしていた盲人がイエスが通りかかると聞いて、大声で「憐れんで下さい!」と叫び続けた人のことが記されている。
この盲人はいつからこのような道端での乞食をしているのか、家族はどうしているのか、少なくとも子供のときは、家族が育てただろうからいつからこのような乞食をしているのか、どのような決断があったのか、だれがこのようなみじめな生活をするようにと言ったのか。また、それで生活はできたのか。寝るのはどこなのか。生活の場からどうやってそのエリコの人通りのあるところに来ていたのか。誰がそこまで連れてきていたのか。食事、水、トイレはどうしていたのか。場所が分からないしだれかに手引きしてもらわないといけない。小さな子供でもできることが、できない、というそのみじめさは当事者でなければ到底分からない苦しみであっただろう。こうしたからだのハンディは、周囲からの精神的な侮蔑をも共に受けなければならなかった。それはハンセン病と同じであった。肉体の苦しみだけではすまなかったのである。
文字通り、土埃にまみれつつ、人の足音を聞いては、誰彼なく、ものを恵んで下さい、という一日、それは実に絶望的な生活であっただろう。十分なものがもらえないこともある。腐りかけたものが与えられることもあっただろう。
そのような文字通り暗黒の生活はどこにも喜びも希望もなかった。過去を振り返ってもただ悲しみと苦しみであったし、現在も同様であり、そして将来もいかなる希望も見えない生活であった。
しかし、そうした暗黒のただ中にて、わずかな光を感じていた。それはどこからか伝わってきたイエスという人のことであった。不思議な力、驚くべき愛をもっているお方だと言われている。その人のところに行っていやしていただきたい、しかし、自分では行けない。他人にそのようなことを頼んでも、治るはずがない、といって相手にしてもらえない。
しかし、その闇にある盲人は望みを捨てなかった。イエスのことが心の奥にとどまり続けていた。そうしたときに たまたま通りかかったお方がそのイエスであった。今まで一度もそのイエスの近くにいたことがなかった。その教えも聞いたことはなかった。しかし、この見捨てられた人間の中には、イエスに対する全身をあげての信頼の心がたちまち燃え上がった。
周囲の者たちは、この全盲の人がイエスによっていやされるとは思ってもいなかった。だから、彼が大声で叫んだときにも、叱りつけたのである。もし人々が盲人のいやしもされるほどにイエスは力あるお方だと信じていたら、叱りつけたりしないでいやしてあげて下さいと言う人もいただろう。しかし、人々は単に黙らせようとするだけであり、この盲人の苦しみや信仰を全く理解しようとはしなかった。
しかし盲人はイエスへの全面的な信頼をもっていた。これは意外なことである。ほとんどイエスの教えも聞かず、奇跡をも見ずしてそのような強い信仰を与えられたのである。これはカナンの女、異邦人の女の信仰と似た者がある。そのような異邦の地で、一体どうしてイエスがダビデの子孫としてあらわれたメシアであるなどと信じられたのか不思議である。これは神の啓示としか考えられないことである。
神の啓示はこのようにごくわずかの情報のもとでも確信を与える。しかし啓示なければ、どんなにイエスの奇跡を見ていても、教えを聞いてもなお、分からない。教えを聞きつつ導かれることはある。こうした日曜日の礼拝もそのためである。しかし、そうした教えが魂に本当に入っていくためには、聖霊の風をも同時に受けていかねばならない。そしてそのために一人一人はたえず主に心を向けていく必要があるし、このような礼拝集会も、ペンテコステのときに集まりで全体として聖霊を受けたように、共同で聖霊を受ける場ともなっている。
憐れんで下さい! それは旧約聖書の詩編(例えば五六篇、五七篇など、たくさんある)によく見られる。詩編とはある意味で、その神の憐れみを必死になって求めつづけ、そして与えられたという経験が母胎にある。私たちはその悲しみや苦しみの深さのなかから、神の憐れみを求め、そしてじっさいに与えられた経験を知るために、詩編は最もよい神からの贈り物となっている。
光を闇のなかから必死で願い求め続ける、主よいつまでなのですか、との叫びをあげつつも、望みを捨てないで 求めていく、そのような光への熱望は必ず主が応えて下さるのを福音書とともに詩編からも学ぶことができる。