ことば 2009/1
(302)天の下には幸福で満たされた者などほとんどいない。悲しみや不安がどこからでも追いかけてくる。
おそらく皆さんの働きは、いつの日か、悩み疲れた者がしばしの休息と清涼剤を得る泉となるかもしれない。」(*)
「私ではなく―あそこから、天から、すべてがもたらされるのだ」(**)
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(*)オラトリオ「天地創造」を演奏するために集まった演奏家たちに向かって言ったハイドンの言葉。
(**)ハイドンの死の前年に最後に参加した彼の作品「天地創造」の演奏会で、終わったときの聴衆からの大きな拍手に対して、彼は天に向かって両手をあげて述べた言葉。いずれも「大作曲家の信仰と音楽」教文館発行 41~45頁より。
オラトリオとは、キリスト教の音楽劇。宗教的音楽劇の呼称。イタリア語で小礼拝堂とか、祈り場などを意味する。ラテン語の オーラーレ orare(語る、祈る、願う)が語源。
・ハイドンは明るいキリスト教音楽をたくさん作曲したが、家庭的には恵まれなかった。ここで言われている悲しみや苦しみとはそうしたことも背景にあると思われるが、彼は音楽が、そのような人たちの安らぎとなるようにと願っていたことがうかがえるし、自分の作曲した音楽も最後まで神から贈られたのだと実感していたのが分かる。
(303)キリストの寛大さは何と驚嘆すべきことか。
すこししか良いことを行わなかった者にも多く与えるばかりでなく、また彼を、"あふれる大水のように" その豊さにおいて守り、前進させるのである。(「アシジのフランシスコの第二伝記」41頁あかし書房刊)
・これと似たことはキリスト者となった人たちの誰もが実感するところであろう。良いことどころか罪深いものなのに、それを赦し、また心の平和というほかに代えがたいよきものを与えられてきたという実感である。
少ししか良いことを行わなかった者、そればかりか、まったく良いことを行わなかった放蕩息子にすら、ただ悔い改めたというだけで、最大のよきものを与えられるというたとえが主イエスによって語られた。
(304)…キロンは呻きをあげてパウロの前にひざまづき、手で顔をおおって動かずにいた。
パウロは星の方に顔をあげて祈りはじめた。
「主よ、あなたの御前のこのみじめな者、その悲しみ、悩みと涙をごらん下さい。我々のために血をお流しになった恵みの神よ、あなたの苦しみによって、死と復活によってこの者をお赦しください。」
それから沈黙し、なお長い間星を見つめて祈っていた。(「クォ・ヴァディス」下巻237頁 岩波文庫)
・キロンとは、恩人グラウコスを裏切り、それだけでなくその妻と子を奪い、暗殺者をけしかけたばかりでなく、そのすべてをキリストの名によって赦してもらいながら、なお、さらにグラウコスを迫害者の手に渡したという悪魔につかれたような男である。しかし、彼は最後になってその深く重い罪を悔い改めるに至った。
パウロがそのようなキロンに対して心を込めて祈ったが、その祈りは夜空にまたたく星を見つめつつなされた。星は神の永遠の光を象徴するものゆえ、星を見つめて神に祈るとき、いっそう私たちの祈りも引き上げられる。