煉獄篇 第十三歌
妬みへの罰と神の愛 2009/2
ダンテとその導き手であるウェルギリウスは、ようやく煉獄の第二の環状の道へと上ることができた。
そこでまず気付いたのは、前の第一の環状の道に見られた、山の側面や道に刻まれた彫刻がなにもないことであった。ただ、鉛色の崖と道が見えた。それは、妬みの罪の心の状態を暗示するものであった。重く暗い光沢の鉛、それが嫉妬の魂の状態を示すという。
嫉妬する心は輝きがない。明るいものがない。他者のよいことを喜ぶことができず、かえって心を憂鬱にする。このような心は、他人の不幸を喜ぶということになる。それはまさに重くて暗い心とならざるをえない。
この重い心、暗い心をもっていると、他人にも伝染していく。このような魂には上よりの裁きが与えられ、魂に光なく、喜びもないような状態となる。これは嫉妬する心が受ける罰なのである。
この道に着いたウェルギリウスは、右に行くべきか左に向かうべきか分からなかった。清めの道を歩むことは、理性の力をもってしても方向が分からない。その状況を打破してくれたのが、人間を超えた光である。ウェルギリウスもその光なくば、暗闇にて歩いていかねばならない。
いずれに行くべきか、私たちもしばしば大きな悩みとなる。これが解決されるのでなかったら、まちがった方向へと進んでしまい取返しのつかないことになってしまうかも知れない。
ここでも、ウェルギリウスは、神を象徴している太陽に向かって祈る。
(*)ああ、うるわしい光よ、あなたに頼って
私はこの新しい道に入ります。
この場所に必要な導きによって私を導いて下さい。
あなたは、世界を暖め、世に光を注いでいます。
あなたの光こそ、つねに私たちの導きの光なのです。
(*)O dolce lume a cui fidanza i'entro.(原文)
O sweet light in whose trust I enter on the new path.(R.DURLING の英訳)
「うるわしい」 と訳された原語は、ドルチェ dolce であって、ダンテはこの語を多く用いている。英語では、sweet と訳される。このdolce や訳語のsweet は、うるわしい、心地よい、新鮮な、良い、香りある、甘い等々の多様なニュアンスを持った言葉である。 地獄の苦しみや暗さ、苦い味わいとは全く逆の、快いものを全体として含むニュアンスをもっているこの語が多く用いられている。それは地獄や煉獄の苦しみとはうってかわってうるわしく、心が清められるような、しかも愛すべき実感を抱かせる、そういう目には見えないものを天より与えられる。それをこのdolce という語で表そうとしていると感じられる。
煉獄編においても、この語は四十六回、dolcemente など一部の関連語も含めると五十一回も用いられていることも、ダンテが天に由来するよきものを表すためにこの語を多く使ったのがうかがえる。
例えば、煉獄篇の最初において、地獄の恐ろしい闇の世界のなかを歩んでようやくそこから脱して、煉獄へとたどりついたとき、彼の眼前に広がっていたのは、澄みきった青空であった。
…私の目と心を悲しみで重くした地獄の死の大気から出て、(煉獄の山に)たどりついたとき
東方に産するサファイアのような、うるわしい青い光が
はるか水平線にいたるまで澄みきった大気に満ちて
私の目にふたたび喜びを与えてくれた。(煉獄篇第一歌13~16行より)
青いサファイアのような澄みきった光、それはよどんで暗い地獄とは全く異なる清い希望を象徴するものであり、煉獄の色彩はこの青によって象徴されるべきものとして、ダンテは煉獄の最初にこのような描写をしたのであるが、その青色もまた、うるわしい(dolce)という言葉で表現されている。
私たちにおいても、日々こうした青い色を頭上に広がる青空というかたちで見ることができるし、神は自然のなかにさまざまの私たちへの愛をこめておられるが、ここにもそれが感じられる。
また、天の助けによりようやく煉獄の門が開かれたとき、その扉が開く音の奥の方から聞こえてきた、神への讃美の祈り(テ・デウム 私たちは、神なるあなたを讃美します…)を表すときにもこの dolce を用いている。
「私は扉を開く最初の響きに、顔を向けて耳をすませかが、そのうるわしい音楽に混じるひとつの声のうちに、テ・デウムを聞いた…」(煉獄篇九歌141行)
煉獄においてウェルギリウスやダンテを導くのは、神の恵みであり、それは前途をさし示す光であり、また愛によって私たちの魂を暖めつつ導く。それをダンテは太陽がそうした神の導きを象徴するものとして用いている。
さらに、煉獄篇の最後の部分に現れる、地上の楽園がある。
そこでダンテが出会った女性が「その罪赦された者は幸いなり」と讃美しつつ、そばを流れる川岸を歩いていた。そのとき、その女性がダンテに向き直って言った、「見よ!耳をすませ!」。
突然そのあたり一帯に光が稲妻のように駆けめぐり、さらに輝きを増していった。それとともにその光に満ちた大気のなかを、うるわしい楽の音が鳴り響いてきた。(煉獄篇第二九歌13~22)
このように、煉獄において清められた魂が最後にたどりつく楽園においても、光と音楽に満ちた光景が記されているが、そこでの音楽にもこの「うるわしい」dolce が用いられている。
煉獄の第二の環状の道において、こうした魂には鉛色の重く、暗い心を抱いてかつての妬みの罪を罰せられ、その苦しみによって清められていく。そこで、ダンテを導くウェルギリウスは、私たちを暖め、かつ光をもって導く神の愛をその導きとして祈り願っている。
人間は自分より以上の高いものによって導かれなければ、人間として高みに上れない。単なるこの世の知識はそうした高みに引き上げる力を持たないのである。
地上では、そのウェルギリウスの祈りに答えるかのように、嫉妬の罪への罰をうけている人たちへの呼びかけの声が聞こえてきた。
… 一マイルほどの距離を、すでに私たちは進んでいた。あっという間に。それもひたむきな意欲のゆえであった。
すると姿は見えなかったが、魂の群れが
愛の食卓につくように、と やさしく招きつつ語りつつ
羽音を響かせて私たちの方へ飛んでくるのがきこえた。 (煉獄篇第十三歌22~27)
神を象徴する太陽に向かっていずれの道を取るべきか、その導きを祈ったのち、彼らはたちまち一マイルほどを進んだ。現在においても、上よりの導きを受け、前進への意志がしっかりしているときには、私たちは霊的に進んでいく。
ここで、天使の群れが語りかけた。それは「愛の食卓に付くように」ということであった。
それは何の意味があるのか、このところだけでは不可解な言葉である。嫉妬とは、神の愛とは正反対の感情であり、他者がよくなることを見たくない、他者のよいところが失われるようにという暗い心である。
それ故に、彼らは瞼を閉じられて、その苦しみをもって魂を清められている。そうした人たちには、愛の食卓につけと言われる。神の愛を受けよという霊的な意味でこれは言われている。
そしてその天使たちの第一の声は次の短い一言であった。
「彼らにぶどう酒なし」
それは、このような短いひと言であった。これがどうして嫉妬の罪を犯した者を立ち返らせることに関係があるのだろうか。これは、象徴的な言葉である。
ヨハネ福音書の中でこの言葉は、イエスが行った最初の奇跡として記されている。
…ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。(ヨハネ福音書二・1~5)
召使たちはイエスの言われるままに、空の大きな水瓶に水を一杯満たして祝宴の場に運んだところ、それが驚くべきことにぶどう酒になっていたのである。
これはそのまま表面的に読むと、ありえないこと、なぜこんなことが書いてあるのか、といぶかしく思うだけの人が多数を占めるだろうと思われる。
また、イエスの母マリアにしても、単にぶどう酒がなくなって困ったことをイエスに知らせただけで特別な意味も感じられないという人が多いだろう。
しかし、「(彼らに)ぶどう酒がなくなった」という言葉は、人間の欠けたところを思いやる愛の心の象徴的表現なのである。この世は至るところに欠けたもので苦しんでいる。金がない、医療がない、薬がない、また教育の設備もない、食物もない、平和がない、ゆとりがない、真実がない、思いやりがない等々。そうした欠けたものがはんらんしているこの世において、それを目ざとく見出してそこに良きものをもって補おうとすること、それがこのさりげないように見える言葉に隠された意味なのである。
しかもそれを単に誰にでも言うのでなく、わざわざイエスに告げている。欠けたものを人間に知らせたところで欠け多い人間は埋めることができない。それができるのは、ただ主イエスのみである。
欠けたものをイエス(神)の持っているもので満たそうとする、そこに愛がある。婚礼が、愛を象徴する出来事としてここでは用いられている。
天使たちが、「愛の食卓につくように」と呼びかけたのは、この欠けたところを補って下さる神のもとに行くことなのである。すべてを補うことのできるイエスのもとに赴くこと、それはすなわち愛の食卓につくことなのである。
主イエスは、人間すべてが欠けた存在であることを深く見抜いておられた。「彼らにぶどう酒なし」、人間には本当に必要なもの、一番大切なものが欠けている。使徒パウロは、すべての人間は、真実な歩みができないし、愛がない、正しいものでないと深く知らされていた。そのことを人間はすべて罪を持っているといっている。
欠けている者を見て非難するのでなく、それを神の国の賜物で満たして下さる主イエスへと連れていくことの重要性がここにある。
その声が終わったとき、また新たな声が聞こえてきた。それは、ギリシャ神話に現れる物語に登場するある人物の声であった。それは、親友のために自分の命をも顧みないで、自分が身代わりに殺されるということを甘んじて受けようとした人の声であった。これは新約聖書にも最も深い愛であるとして記されている。
…これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 (ヨハネ十五・11~13)
そして聞こえてきた声の第三番目は、「なんじの敵を愛せよ!」であった。このように、嫉妬の罪を犯してその罰を受けている魂たちがその苦しい罰のあいだにも絶えず語りかける声によって、嫉妬という暗い感情から決別していくという仕組みになっている。
こうして、この環状の道での鞭は、愛ということを中心として、ここにいる魂たちに呼びかけがなされている。それゆえ、次のように言われている。
…この環状の道では、妬みの罪を鞭打つところなのだが、
そのために鞭は愛によって打ち下ろされるのだ。(37~39行)
愛によってなされたことを直接に、煉獄にいる魂に語りかける。それが鞭になる。それは馬を扱うときに使われるものをここで意図されている。適切な鞭を受けると、馬は困難な道を乗り越え、苦しみをも耐えて前進し、走りつづける。それと同じように、人間を最も適切に前進させるには、愛でより合わされた鞭が最も力を発揮する。
主イエスは、まさにその愛の鞭を与えるお方である。鞭であるというのは、私たちにさまざまの苦しみが襲うことである。事故や病気、自分の失敗や罪、また人間関係の複雑さや敵意、裏切り、背信行為、侮辱や無視を受けること、自信喪失等々、私たちをおそってくるさまざまのことは、鞭である。それは偶然的なわざわいに見える。あるいは悪い人が意図的に仕掛けてくる行為だとみえる。さらに運命という得体の知れないものが私たちをおしつぶそうとしているのだと思われることもある。
しかし、そうしたすべては、実は愛の鞭であったのだと、後になって気付かされることは何と多いことであろう。信仰を与えられて生きるということは、こうした愛の鞭を繰り返し受けていくということなのである。
神に選ばれた者―キリスト者は、生じるすべてがともに働いて良きに転じると約束されている。私たちが自分にふりかかるすべてを最終的に良きに転じていくのだと、信じることができるとき、それは愛の鞭として受け取ることができているということになる。
ダンテは導いていたウェルギリウスから指摘され、目をこらして見ると、その環状の道には周囲の岩と同じような鉛色をした服を来ている魂たちがいた。重く、暗い鉛色とは、他者のよいところを見つめようとせず逆に引き下ろそうとする妬みを象徴しているものであった。
しかも彼らは、それぞれが互いに肩で支えあい、また後ろの岩にもたれて体を支えていた。こうした姿は、他者を妬み、引き下ろそうとするような悪しき心の魂はみずからを支えることができないということを象徴しているものであった。他者がさらによくなるようにと願う心は、自分もまた神に祝福されて強められる。み心にかなったよき心は、相手をも自分をもよくするものであるが、他者が悪くなるようにといった思いはみずからの内部のよきものをも壊し、力を失い、自分を支えることもできない状態となっていく。
しかもここにいた人たちは、その目は、そのまぶたがことごとく針金によって縫われていたのである。他者のよきところを見て、それを否定しようとする心は、自分で立つこともできなくなるだけでなく、さらに見えなくなる。まぶたを閉じて、静まらねばならないのであった。私たちにおいても、他人のよいところ、自分より優れたところを正しく評価し、さらにそれがよくなって神のため人のために用いられるようにと願う心が生まれるには、静まって神を見つめなければならない。主を前において初めて私たちは他者を正しく見つめ、その欠点や長所を知り、その欠点が正されてよくなるように、よきところはさらによくされるようにと願う心が生じる。
ダンテはこのような姿を目にして、思わず涙があふれてきた。ダンテはこのすぐあとで、「私の目もやがてここで縫われてしまうだろう。」との予感を記している。
この神曲の全体にいえることであるが、地獄にせよ煉獄にせよ、全く自分とは関わりないものとして見るのでなく、絶えずそこに深い共感をもって見つめるまなざしがある。罪を犯してしまった魂たちに対しても、自分ももし神の助けと憐れみがなかったら、そのようになっていたのだという実感がある。その実感が神曲に生き生きとした描写を与え、私たちにも伝わってくる。私たちもまた、そうした表現によって地獄や煉獄、また天国にあるさまざまの人間のことを自分のこととして、また自分に与えられる約束として感じ取っていくことができる。
そこにいた人々のうち、一人がダンテを待ち受けているとみえた人がいた。その魂は女性で、生きているときには妬みが強く、愛なきものであったことを知らされ、ここで自分を助けてくれる方(マリア、ペテロや天使ミカエルなど、とくに強い信仰に生きた過去の人たち)に涙して祈りつつ、生きていたときの罪を浄めていると言った。彼女は、生前には他人がひどい目に会うと自分が幸いなことを喜ぶことより、他人が不幸な目にあうことを喜んだほどであった。しかし、こうした愛なき人間であったが、死が近づいたときには、その罪深さを知らされて悔い改めたゆえにこの煉獄に入ることができ、ここでこうして罪を浄めているのであった。
その女性は、ダンテに対して、祈りで私を助けてくださいと願った。煉獄の人たちの歩みは、地上の信仰深い人の祈りよってより早められるからであった。
このことは、地上に生きて何らかの苦しみによって浄めを受けつつ神の導きで生きる私たちにもあてはまる。この世は相互に深い関わりがあるように造られている。自分だけで生きているのでなく、無数のひとたちの共同のはたらきで私たちは生きている。そのことは少し立ち止まって考えるとすぐにわかることである。
私たちがそもそも成長できたのは、親のおかげであるし、多くの知識も過去に生きた人たちの知識、書物により、学校教育による。また毎日食べる食物、また衣服、交通機関、道路、病院、医者、等々だれかがそこにかかわって他者をささえることになっている。さらに食物は植物に由来するが、それは太陽や空気、水によって成長する。そうしたすべてはその背後の神によっている。このように、無数の人間や自然、その創造主たる神によりて支えられて私たちは現在がある。
さらにそうした目にみえるものだけでなく、目に見えない心のつながり、支えも網のように複雑に関わり合って私たちの日々がある。そのような関わりのなかで生きることを知らされたものは、おのずからそこに神の御手によってそのつながりが織りなされるようにと願うようになる。それが祈り合うということである。
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ダンテの神曲について
神曲についていろいろな人たちがどのように受け取っているか、その批評とか感想、研究などは数限りなくあると考えられる。ここではその一端を記してみたい。それによって、この神曲が歴史のなかで、どのような役割を果たしてきたのかを知る参考になり、私たちもいっそうこの作品の重要性について知らされると思われるからである。
・ダンテの神曲は普遍の真理の源泉であり、不朽の芸術の殿堂である。時代は移り、人は変るとも、ダンテはその神曲のゆえに人類の教師として永遠に立つ。(一九二八年出版の「ダンテ神曲序説」青山学院大学教授
高柳伊三郎著の紹介文。)
・地獄編は、最も話題となってきたものであると共に、最も近づきやすい作品である。しかし、ダンテの詩人としての偉大さを最も完全に現されているのが煉獄篇なのである。(PURGATORIO:DURLING MARTINES オックスフォード大学出版局から発行された神曲の翻訳と注釈付翻訳の著者。)
・確かに、神曲は、人間によってかつて書かれた単一の詩としては、最も偉大なものである。それは、人間のあらゆる面を包み込み、永遠的なかたちにしたといえる。おそらくシェークスピアの全ての作品を合わせたものがそれに比べられるものと言えるだろう。(John Ciardi-アメリカの詩人、ダンテ翻訳者1916-1986 THE PURGATORIO の序文)
・ダンテによって、真理を見る目が開かれるであろう。何となれば、ダンテが真理を見る目を開いて自分の生活と周囲の世界を観察した人でありますから、ダンテの精神に私どもが触れるならば、私どもが真理によって心が燃やされることができるだろうと思うのです。…
ダンテの書いたものにぶつかっていくと、全部は分からなくても、あるいは部分的に誤解をしても、ダンテの真理に対する愛、あるいは真理に対する熱心にふれることができる。(「土曜学校講義」矢内原忠雄著
第五巻九頁 みすず書房)
・一九〇〇年の教会歴史上に信仰の偉人は多い。しかし、永遠の世界を自分の住所とし、見えざるものをかえりみ、天にあるものを思うことにおいて、だれか詩人ダンテに並び得たものがあろうか。
ダンテの内的生活は、探れば探るほど深き驚異である。…
神曲の行程はダンテの全生涯の歴史である。彼は、生涯のある時期にとくに短い期間を限って地獄、煉獄、天国の三界を巡歴したのではない。見えざる永遠の国は実に彼の魂が常に住んでいたところであったのである。天にいつもかれは座して、そこからすべての秘められた世界を見下ろしたのである。そしてその長い間の実経験を綴ったものがかの偉大なる神曲である。(「神曲瞥見」藤井武全集第七巻
五二六頁 岩波書店一九七一年刊。 藤井武は、内村鑑三の信仰上の弟子の一人。1888~1930)
・私は神曲が、当時の現実の社会や国家に関する興味や人間に関する出来事についてもっている深い関連、それらを考えることによって神曲の意義が一層深く認められ、ダンテに対する我々の理解が真に生きてくるものと思っている。
彼が、神曲の中で取り扱った数多くの当時の人物や事件は、神曲の趣旨を明らかにするために引用された例証ではなくして、それらの人物や事件こそ、神曲の生命であったと思われる。
それらのものなくしては、神曲は単なる平面的叙述にすぎない、そのモザイク画のような平面性に彫刻的な立体性を与えたものは、以上の現実的な人物及び事件であった。
そこに神曲の近代的特色があり、ルネサンス人としてのダンテの明らかな立場がある。(大類伸 1884年 - 1975年、西洋史学者、東北帝国大学教授。)
・早稲田の文科の学生として、島村抱月先生からダンテの「新生」の名を聞いた。…まもなく私たちは英訳を通してダンテの神曲をやはり抱月先生に読んでもらったものであった。あのころの私たちにとってはダンテの作品というものはふつうの芸術品というばかりでなく、未知の世界からもたらされた尊い神品といった感じを与えたものであった。
私たちはダンテの一句一句を感激に燃えて聞いたものであった。私はただ漠然として文科に入ったものであったが、抱月先生からダンテの作品について講義を聞くときだけは、文科にはいったことを幸福だと思った。
先生の講義はたいてい朝八時からであったので、霜の深い朝、私たちは早稲田のストーブもない古い文科の教室でふるえながらもダンテの神曲を聞いたものであった。寒くはあったが、ダンテの神曲を聴くにはおごそかな冬の早朝がふさわしいようにも思った。(吉田弦二郎 1886 - 1956年は、小説家・詩人・歌人・俳人・随筆家)
・神曲の偉大さはそれを読んでみないと分からぬ。そのあらすじを書いたり、解説したりしたのでは、読まない人にその偉大さを伝えることは到底できない。ラスキンは、神曲の中のある部分の詩を人の力では企てることの難しい奇跡だと言い、ゲーテは、この詩のある部分を人類の手になる詩歌の最高のものであると言い、ヘーゲル、ショーペンハウエル、シェリングなどの哲学者たちは、この詩の研究を生涯捨てなかった。…
地獄の激しい風に吹かれつつ、双影相抱いて離れぬ男女の霊を招いてフランチェスカの悲恋の物語を聞くくだりをはじめとして、神曲は、後世の無数の詩歌悲劇の源泉となっていることは周知の事実である。
この名篇において、彼が独創的であるのは、中世時代そのものも集約的に表現している点にある。そして、その個々の物語に生き生きとした現実感を与えて、読者の心霊にこの作品において、錐のごとく迫る力を与えた点である。…実にこの神曲は人間の想像力が生んだ最高の創作のひとつであると言えよう。(平林初之輔。作家、文芸評論家。1892 - 1931年)
・神曲の全編は、じっさいにおいてダンテの世界観、宗教観、恋愛感、社会批評、人物論などの一大集成であって、歴史としても、哲学としても、文学としても興味のつきない宝庫である。神曲のなかで、地獄篇が最も一般的に知られているが、天国篇を最も高く評価している人(*)もあるゆえに、最後まで玩味してみたいと思う。
形式の方からいっても、いかにもよく整ったもので、中世イタリアの大聖堂建築を見るように、厳然たる統一の美を示している。
彼はこのために、骨身を削るような思いをして書いたのである。このことは、天国編第二五歌の書き出しのところに、詩聖みずから、悲痛な哀音をもって歌っているのである。(**)
(大槻憲二、戦前、フロイトを日本で初めて本格的に紹介し、病める者の立場に立った人道的な「精神分析」を主張した在野の精神分析学者)(以上四名の文は、一九二九年発行の新潮社
世界文学全集の月報より)
(*)T・S・エリオットなど。
(**)天も地も、制作の共労者であるこの聖なる詩、
それゆえに幾年もかけて私をやせ細らせたこの詩…(天国編第二五歌1~3行)
・…何と喜ばしいことか、神曲は今、私の書となった。私が永く所有することができるものとなった。私は人のいない所において、はじめてこの書を読む時を待ちかねることになった。
この書を読んで私は生まれ変わったようになった。ダンテは実に私のために、新たに発見した「アメリカ大陸」というべきものとなった。
私の想像の世界は、今だかつてこのように、広大にしてこのような豊かなる天地を見たことはなかった。
その岩石、何とけわしくそびえ立っていることであろうか。また、その色彩は、何と美しく輝いていることか。私はこの作者ダンテと共に憂い、作者とともに喜び、作者とともに当時の生活を詳しく見ることができる。
…ダンテの描写が真に迫る生きたものであるため、その状況が深く私の心に彫りつけられたためであろうか、昼は私の心にあり、夜も夢の中にもそれが現れるほどであった。
(アンデルセン「即興詩人」95頁~筑摩書房。これは童話作家、詩人として有名なアンデルセンの自伝的小説であり、アンデルセンの若き日二八歳のときに一年数カ月をイタリアに旅したときの日記をもとにしたものである。いかにアンデルセンが神曲に強い印象を受けたかがうかがえる。)
・神曲は、偉大であるだけに、やや親しみ難いような感じを皆に抱かせる中世最大最高の詩巻…。この神曲は、その当時の人々から「聖なる コンメディア(DIVINA COMMEDIA)」と呼ばれてきた詩巻は、地獄、煉獄、天国の三界にわたって、高く飛翔する幻想と、深奥な中世神学に加えて、するどい直感をもって偉大な詩人の目に映じた、生き生きとした中世の現実の世界の絵巻を、如実にその百段(百歌)に及ぶ歌に繰り広げ、描きつくしていくので、力の弱いいわば末世の私どもには、容易にその足跡に付随していくのが赦されないような感を抱かせるものだった。…
しかし、ダンテの詩編は、そうした困難や、ときには難解さやあるいは忍耐力に、十分以上に報いるだけの価値を持っている。それは美的とか、芸術的文学的とか、宗教的、また倫理的といった規範を越えて、さらに広いあるいは高い次元の本源的なものの価値だといえよう。
(呉 茂一 1897~1977年 は、古代ギリシア・ラテン文学者。日本西洋古典学会初代会長、東大大学院西洋古典学主任教授、名古屋大学教授、ローマ日本文化会館館長など歴任。メロスの詩編の翻訳が有名)
・まず、神曲を開こうとする者は、自分に問わねばなりません。単にダンテをよく知っている人たちの仲間入りをしたいのか、あるいは、あなた自身が人間として正しく生きるための力や洞察を得、さらに自分の生きる道の導きを求めようとしているのかということです。…
ダンテは軽い読み物ではありません。「尊厳なものは重い」からです。しかし、その深いところまでも、すべて理解できるものであり、哲学的に深いところであっても、分からないことはありません。…
ダンテは聖書と同様、自分で読まなければならない本であり、何度も繰り返して静かに思いをひそめることによってのみ、しだいしだいに入って行けるものなのです。
ダンテはすでに多くの人々にとって、より高い生活への指導者となっていますし、おそらく現代においてこそ、ますますそうなるでありましょう。なぜなら、地上の「悩みと疑惑の荒涼たる森」(地獄篇第一歌)から抜け出す正しい道を、現代の多くの人々はもはや見出しかねているのですから。…
私は、ダンテに対して最も理解あり、最も博識である注解者の一人(*)の言葉を引用し、これに賛意を表しておきましょう。
「ダンテを読むは、これ一つの義務なり、
そは、再読反復するを要す、
そを感じ得るは、すでに偉大さの証明なり。」
Leggere Dante e un dovere,
Rileggerelo e bisogno,
Sentirlo epresagio di grandessa.
(leggere 読む、 e ~である、dovere 義務、Ri-繰り返し leggere 読む lo それを、bisogno 必要、sentir 感じる presagio 前兆、予見 grandessa 偉大さ )
(*)ニッコロ・トマセオ (1802-1875 イタリアの詩人、辞書編纂者として有名。ヒルティと同時代の人)
(ヒルティ著作集第六巻283-288pより、邦訳名は「愛と希望」となっているが、原題は「Briefe」で、「書簡集」の意。教育や人生、人間の目的、キリスト教信仰などについて、手紙のかたちで書いた論文集 白水社刊。)
煉獄篇 第十三歌
妬みへの罰と神の愛 2009/2
ダンテとその導き手であるウェルギリウスは、ようやく煉獄の第二の環状の道へと上ることができた。
そこでまず気付いたのは、前の第一の環状の道に見られた、山の側面や道に刻まれた彫刻がなにもないことであった。ただ、鉛色の崖と道が見えた。それは、妬みの罪の心の状態を暗示するものであった。重く暗い光沢の鉛、それが嫉妬の魂の状態を示すという。
嫉妬する心は輝きがない。明るいものがない。他者のよいことを喜ぶことができず、かえって心を憂鬱にする。このような心は、他人の不幸を喜ぶということになる。それはまさに重くて暗い心とならざるをえない。
この重い心、暗い心をもっていると、他人にも伝染していく。このような魂には上よりの裁きが与えられ、魂に光なく、喜びもないような状態となる。これは嫉妬する心が受ける罰なのである。
この道に着いたウェルギリウスは、右に行くべきか左に向かうべきか分からなかった。清めの道を歩むことは、理性の力をもってしても方向が分からない。その状況を打破してくれたのが、人間を超えた光である。ウェルギリウスもその光なくば、暗闇にて歩いていかねばならない。
いずれに行くべきか、私たちもしばしば大きな悩みとなる。これが解決されるのでなかったら、まちがった方向へと進んでしまい取返しのつかないことになってしまうかも知れない。
ここでも、ウェルギリウスは、神を象徴している太陽に向かって祈る。
(*)ああ、うるわしい光よ、あなたに頼って
私はこの新しい道に入ります。
この場所に必要な導きによって私を導いて下さい。
あなたは、世界を暖め、世に光を注いでいます。
あなたの光こそ、つねに私たちの導きの光なのです。
(*)O dolce lume a cui fidanza i'entro.(原文)
O sweet light in whose trust I enter on the new path.(R.DURLING の英訳)
「うるわしい」 と訳された原語は、ドルチェ dolce であって、ダンテはこの語を多く用いている。英語では、sweet と訳される。このdolce や訳語のsweet は、うるわしい、心地よい、新鮮な、良い、香りある、甘い等々の多様なニュアンスを持った言葉である。 地獄の苦しみや暗さ、苦い味わいとは全く逆の、快いものを全体として含むニュアンスをもっているこの語が多く用いられている。それは地獄や煉獄の苦しみとはうってかわってうるわしく、心が清められるような、しかも愛すべき実感を抱かせる、そういう目には見えないものを天より与えられる。それをこのdolce という語で表そうとしていると感じられる。
煉獄編においても、この語は四十六回、dolcemente など一部の関連語も含めると五十一回も用いられていることも、ダンテが天に由来するよきものを表すためにこの語を多く使ったのがうかがえる。
例えば、煉獄篇の最初において、地獄の恐ろしい闇の世界のなかを歩んでようやくそこから脱して、煉獄へとたどりついたとき、彼の眼前に広がっていたのは、澄みきった青空であった。
…私の目と心を悲しみで重くした地獄の死の大気から出て、(煉獄の山に)たどりついたとき
東方に産するサファイアのような、うるわしい青い光が
はるか水平線にいたるまで澄みきった大気に満ちて
私の目にふたたび喜びを与えてくれた。(煉獄篇第一歌13~16行より)
青いサファイアのような澄みきった光、それはよどんで暗い地獄とは全く異なる清い希望を象徴するものであり、煉獄の色彩はこの青によって象徴されるべきものとして、ダンテは煉獄の最初にこのような描写をしたのであるが、その青色もまた、うるわしい(dolce)という言葉で表現されている。
私たちにおいても、日々こうした青い色を頭上に広がる青空というかたちで見ることができるし、神は自然のなかにさまざまの私たちへの愛をこめておられるが、ここにもそれが感じられる。
また、天の助けによりようやく煉獄の門が開かれたとき、その扉が開く音の奥の方から聞こえてきた、神への讃美の祈り(テ・デウム 私たちは、神なるあなたを讃美します…)を表すときにもこの dolce を用いている。
「私は扉を開く最初の響きに、顔を向けて耳をすませかが、そのうるわしい音楽に混じるひとつの声のうちに、テ・デウムを聞いた…」(煉獄篇九歌141行)
煉獄においてウェルギリウスやダンテを導くのは、神の恵みであり、それは前途をさし示す光であり、また愛によって私たちの魂を暖めつつ導く。それをダンテは太陽がそうした神の導きを象徴するものとして用いている。
さらに、煉獄篇の最後の部分に現れる、地上の楽園がある。
そこでダンテが出会った女性が「その罪赦された者は幸いなり」と讃美しつつ、そばを流れる川岸を歩いていた。そのとき、その女性がダンテに向き直って言った、「見よ!耳をすませ!」。
突然そのあたり一帯に光が稲妻のように駆けめぐり、さらに輝きを増していった。それとともにその光に満ちた大気のなかを、うるわしい楽の音が鳴り響いてきた。(煉獄篇第二九歌13~22)
このように、煉獄において清められた魂が最後にたどりつく楽園においても、光と音楽に満ちた光景が記されているが、そこでの音楽にもこの「うるわしい」dolce が用いられている。
煉獄の第二の環状の道において、こうした魂には鉛色の重く、暗い心を抱いてかつての妬みの罪を罰せられ、その苦しみによって清められていく。そこで、ダンテを導くウェルギリウスは、私たちを暖め、かつ光をもって導く神の愛をその導きとして祈り願っている。
人間は自分より以上の高いものによって導かれなければ、人間として高みに上れない。単なるこの世の知識はそうした高みに引き上げる力を持たないのである。
地上では、そのウェルギリウスの祈りに答えるかのように、嫉妬の罪への罰をうけている人たちへの呼びかけの声が聞こえてきた。
… 一マイルほどの距離を、すでに私たちは進んでいた。あっという間に。それもひたむきな意欲のゆえであった。
すると姿は見えなかったが、魂の群れが
愛の食卓につくように、と やさしく招きつつ語りつつ
羽音を響かせて私たちの方へ飛んでくるのがきこえた。 (煉獄篇第十三歌22~27)
神を象徴する太陽に向かっていずれの道を取るべきか、その導きを祈ったのち、彼らはたちまち一マイルほどを進んだ。現在においても、上よりの導きを受け、前進への意志がしっかりしているときには、私たちは霊的に進んでいく。
ここで、天使の群れが語りかけた。それは「愛の食卓に付くように」ということであった。
それは何の意味があるのか、このところだけでは不可解な言葉である。嫉妬とは、神の愛とは正反対の感情であり、他者がよくなることを見たくない、他者のよいところが失われるようにという暗い心である。
それ故に、彼らは瞼を閉じられて、その苦しみをもって魂を清められている。そうした人たちには、愛の食卓につけと言われる。神の愛を受けよという霊的な意味でこれは言われている。
そしてその天使たちの第一の声は次の短い一言であった。
「彼らにぶどう酒なし」
それは、このような短いひと言であった。これがどうして嫉妬の罪を犯した者を立ち返らせることに関係があるのだろうか。これは、象徴的な言葉である。
ヨハネ福音書の中でこの言葉は、イエスが行った最初の奇跡として記されている。
…ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶ