天来の賛美
早朝、おきると小鳥のさえずりが耳にはいってきた。すぐ家の外に出た。かつてない近いところで主の日(日曜日)ゆえの静けさのなかをひたすら歌っていた。
それはホオジロであった。小さな子どものときからこのさえずりは親しんできたし、今もしばしば耳にする。
しかし、この朝は違っていた。驚かせないようにと静かに近づいて行った。ちょうど手前に木があったために、わずか四~五メートルという距離まで近づいてもホオジロは私に気付かず、歌い続けていた。
そこでずっとそのさえずりに耳を傾けることができた。ふだんはこのような低い樹木にやってきたことはなく、いつも高い樹木の梢にてさえずるのであった。
この鳥はもう五〇年も前からよく知っていたが、こんなに近くでしかも一〇分以上もずっとさえずりを聞いたのは初めてのことであった。それは今もなお耳に残っている。私の心に天の世界の賛美を聞かせてくれるために、使わされた天使であった。
高名なソプラノ歌手の歌よりも、私にはこのホオジロの歌声がはるかに心奥深くに流れ込んできた。
これはまさに神の国の賛美であった。いかなる混じり気もなく、聞かせようという心も名誉心もなく、ただひたすら神の創造されたままの声で早朝の大気に浸透していくこの歌声、それは人間にはいかにしても真似ることのできない賛美であった。
この朝のように、至近距離で神の賛美を聞き続けることが与えられることは今後も二度とないであろうが、その澄みきった響きは私の心から消えることがないだろう。
ここも神のみくになれば、
鳥の音、花の香 主をばたたえ、
あさ日、ゆう日 栄えにはえて、
そよ吹く風さえ 神をかたる。(讃美歌九〇番)
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