神の言の力を受けた人物 ―ヘボン―
神を真に信じて生きてきた人たちはみな、神の言葉の力を受けて生きているのであるが、 ここでは、ごく一部の例を取り出したい。
神の言葉の力を知らされた人は、どんなことがあってもみ言葉を伝えたいという熱心が起こされていった。自分の平和な家庭的幸福を持つより、危険に満ちた遠い未知の国へと出発し、神の言葉を伝えるというただ一つの目的のために、次々と自分の家庭や祖国と別れて、神の言葉の力を知らない人たちに伝えることを目指しての生き方がそうした人々にはあった。
現代の私たちが、書かれた神の言葉(聖書)を自由に読むことができるのは、多くのそうした先人の命がけの歩みによっている。江戸時代の末期に大西洋から、アフリカの南端喜望峰を廻り、さらにインド洋を経て、半年という歳月をかけて日本に渡って日本人に神の言葉を伝えるために来たのが、ジェームス・カーチス・ヘップバーン(James Curtis Hepburn)であった。日本では、通称ヘボンと言われるようになった。
ヘボンは、若き日に医者となっていたが、二十六歳のときに結婚した妻とともに東洋伝道の重要性を神から示された。さまざまの妨げを振り切って東洋伝道に旅立った。しかし、その途中の船の中で最初の子供を流産で亡くした。さらに、シンガポールについたときに、長男を亡くした。妻も病気となり、アメリカに帰った。
アメリカで生まれた三人の子供は、最もかわいい年齢の五歳、二歳、一歳という年齢で、次々と亡くなった。
神へのあつい信仰を与えられ、遠いアジアまでも伝道を実行しようと実際に夫婦でアジアに渡っていったほどの神への献身を若くして実践していたヘボンのような人に、どうしてこのような悲劇が次々と生じるのか、ヘボン夫妻だけでなく、まわりの人たちにとっても謎のような出来事であったであろう。
神が何か深い意味のあることをなそうとされるとき、このように、取りわけ大きな試練を与えることが多い。そのような苦しみや悲しみの中からひたすらに神のみを求めて生きようとするのかどうかが試されるためであり、またそのような試練によって信仰が深められ、心が深く耕されるためであった。
そのような悲しみが打ち続いたが、ヘボンの東洋への伝道のあつい思いは消えることがなく、再び東洋へ、今度は日本への伝道を神から示された。そのとき、彼はニューヨークで屈指の優れた医者として評判が高く多くの財産もできていた。しかし、そうしたものをすべて売り払って伝道の資金とし、ただ一人残った長男をすらアメリカに残して日本に向かっていくヘボン夫妻の心はいかばかりであっただろうか。
ここには、神の言葉そのものを伝えたいという深い主にある情熱がある。そしてこの世の繁栄、名声をも捨て、一人息子をも太平洋のかなたに置いてまで、未知の危険な国、キリスト教伝道を公にしようとすれば、殺されるような国へと旅立たせたのも、また神の言葉であり、その力であった。
こうした神の言葉への絶対の信頼と、何にもまして尊重するその姿勢を、神は祝福された。そして、さまざまの困難にもかかわらず、キリスト教禁制のただなかであったが、ヘボンは聖書を日本語訳するための準備の辞書作成と、医療を通じての信頼を勝ち取ること―そこから伝道への足掛かりも与えられた―に取り組むことになった。
このような、神の言葉への愛に基づく献身によって、現在の私たちの使っている日本語訳聖書の基礎が築かれたのである。