リストボタン神の言葉と非戦論の源流

 現在の日本に課せられた使命の一つは、憲法九条を守ることである。政治や経済、科学技術、芸術、医療、教育などいろいろの分野は、どこの国でも、たえず変貌し、また発達し広げられていく。しかし、憲法九条の非戦の精神は世界的にみても、きわめて貴重なものである。そしてその背景をたどってみると聖書の言葉が大きく影響をしている。

 

 この非戦の精神を近代において世界的にクローズアップさせた重要人物はトルストイであった。キリスト教国といえども、聖書の精神を無視して戦争を肯定するのが普通であった時代状況にあって、ロシアの大文学者であり、思想家でもあったトルストイが投げ込んだ一つの石は大きな反響を生み出した。それがもたらした大きな波紋の原動力は、彼の言葉でなく、聖書の言葉、イエスの言葉であった。

 

 名声や権威者から認められることなど、すべてを捨て去って、ただキリストの単純な言葉に自分の魂を全面的にゆだねて、周囲にそのことを宣言する。

 

 いかに、ときの宗教界の指導者や政治的な権力者たちが立腹しようとも意に解せず、キリストの言葉に堅く立ったという点では、驚くべきことである。

 

 こうした、トルストイの、単独で神を信じて立つ、という姿勢は内村鑑三にも深い共感を感じさせた。内村は、その著作で、六〇回以上もトルストイに言及している。そして、次のように書いている。

 

「トルストイ一人は露国一億三千万の民よりも大なり、キリスト一人は世界十三億の人よりも大なり、米のルーズベルトと英のチヤムバレーンとは戦争の宏益を説くも我らは彼らに聴くの要なし、全世界の新聞記者は筆を揃へて殺伐を賛するも我らは彼等に従ふの要なし、我らはただ、主イエスキリストの言に聴けば足る、世がこぞって争闘を謳歌する時に、我らは天より降り給ひし神の子の声に聴いて我らの心を鎮むべきなり。 」(「聖書之研究」 一九〇四年九月) 

 

 当時のキリスト教指導者たちも、正義の戦争が有りうるということは当然のように認めていた。しかし、トルストイは、新約聖書のなかのキリストの言葉に深い霊感を受けた。トルストイは次のように書いている。 

 

…私にとって一切の鍵であったのは、マタイ福音書五章三九節の「目には目を、歯には歯をと言われていることをあなた方は聞いている。しかし、私は言う、悪人に手向かってはならない。」という箇所であった。

 

 この言葉は、突如として私には、まるで今までついぞ読んだこともなかったような、まったく新しいものに思われてきた。…

 

 キリストは決してわざわざ苦難を受けるために頬を差し出したり、衣服を与えたりせよ、と言っているのでなく、ただ、悪に逆らうな、と命じ、そのさいには、災難にあうかも知れない、と言っているのだということを私は悟った。

「悪もしくは、悪しき者に逆らうな」というこの言葉こそは、私にとっては、一切を啓示してくれた真の鍵であった。(「トルストイ全集」第十五巻十一~十二頁 ・河出書房刊)

 

  このキリストの言葉は、トルストイに重大な影響を与え、彼が非戦論の主張をする根拠となり、当時のロシアのキリスト教界が戦争を認めていたことを痛烈に批判した。

 

 彼は、キリストの精神は福音書に記されているように、「悪を根絶する道はただ一つ、それは一切の差別なしに万人に対し悪に報いるに善をほどこすこと」であると強く主張した。

 

 このトルストイの主張と福音書のキリストの言葉を共に受けいれて、歴史に残る重要な非暴力の戦いを貫いたのが、インドのガンジーであった。ガンジーは南アフリカでのひどい差別を受けた体験から、その差別の撤廃のために立ち上がったが、その根本においた精神はキリストの言葉、「右の頬を打つ者には、左の頬を向けよ。下着を盗ろうとする者には、上着をも与えよ」であった。

 

 この同じキリストの言葉に傾倒したトルストイからも深い影響を受けていたゆえに、ガンジーはアフリカにおいて、差別撤廃のための非暴力の戦いによって逮捕された人たちの家族を養うための農場を創設したとき、その名前をトルストイ農場と名付けたほどであった。

 

  そしてこのガンジーの精神に強く影響されて、黒人差別の撤廃運動を徹底した非暴力をもって戦ったのがアメリカの黒人牧師、マルチン・ルーサー・キングである。

 

 トルストイも当時のロシアキリスト教界から破門され、ガンジーも、キング牧師もその大いなる使命を生きて戦いの生涯のさなかに、共に暗殺された。しかし、彼らを動かした信仰、そして彼らの中心にあった、キリストの言葉の力を滅ぼすことは決してできなかった。

 

 このように、神の言葉、キリストの言葉の力は、個人的な慰めや励ましとしてもほかの何ものにもまして力あるものであるが、広く社会的、政治的な状況においても、また長い歴史的な時間の流れの内においても、その力を確実に現し、変革し、また新たな動きを生み出してきた。

 

 人は、パンだけでは生きることはできない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。と主は言われた。

 

 私たちが人間として生きるのは、食物によってではない。神の言葉の力によって支えられ、生きるのであることをあらためて心に深く留めたいと願う。

 

 それとともに、この比類のない神の言葉を、人間の言葉ばかりがあふれているこの日本にもっともっと伝わるように、またそのための働き人が起こされるようにと願っている。


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