リストボタン聖書の用語、訳語のこと

以前、私もその実行委員に加わっていたころ、徳島市民クリスマスで、聖路加病院の日野原重明氏を招いて講演してもらったことがありました。
そのとき、実行委員会の主たるメンバーである、教会の牧師さんたちでもかなりの人たちが、「聖路加」を「せいろか」と思っていたと言われたこと、またキリスト者の人たちもそのように読んでいる人が多いのがわかりました。
東京に行ってたまたまこの病院の近くをタクシーで移動したとき運転手に聞いてもやはり「せいろか」と言っていましたし、パソコンの漢字変換でも、せいろかと間違った読み方が登録されていて、せいるか と入力して変換しても出てこない状態で、辞書作成者も間違って読んでいるのがわかります。
私たちのキリスト集会でも、クリスマス特別集会に参加者に記念として本を贈呈していますが、数年前に日野原重明さんの本をその贈呈本にしたことがあります。その本には、わざわざ「聖路加」を「せいろか」とフリガナまで付けてあったのです。それで出版元の講談社にそのことを指摘しますと、編集責任者が出て、「これは日野原先生の秘書もそういっていた」と言われて間違いでないと言うのです。それで私がそれはその秘書も知らないわけで、この路加という語は、中国語の訳語なのであって、ちょうどキリストのことを、中国語で「基督」 と書くのと同じだ。だから、日本においては、基督と書いて「きとく」などと読んだら間違いであるのと同様に、路加 を「ろか」などと読むのはまちがいであること、(*)これは、ルカだけのことでなく、中国語では、福音書を書いたマタイは馬太と表記され、マルコは、馬可、ヨハネは約翰と表記されることを説明しました。
編集責任者はそれでは再度確認しておくと言って電話をきったのです。それから何日かして、その編集責任者から、「やはり言われるように、聖路加は、《せいるか》 が正しい読み方だと判明した、今後は新しい版から訂正しておく」ということになりました。

*)現代の中国語では、路加という語は、ルカとは発音せず、ルーチャー と読む。馬太はマータイ、馬可は、マーカー と発音する。

このように、有名な病院であってマスコミにもよく登場するような病院の名前がまちがって通用しているのは、それほど日本ではキリスト教に関することの知識が薄弱であるということです。これは、例えば日曜日に休むのは何に由来するかというようなことも同様です。クリスマスはキリストの誕生の記念の日だということは広く知られています。しかし、日曜日に休むようになったのはなぜか、日本人は大多数の人は知らない状態です。
日曜日が休みとなっているのは、キリストの復活の記念の日だからです。そのことと、旧約聖書にある、土曜日の安息日の制度が結びついて、仕事をやすみ、復活のキリストを記念し、礼拝し、み言葉と聖なる霊を受ける日となったのです。
聖書のいろいろな書の名前についても中国語からそのまま転用しているので、わかりにくいのがあります。以前の聖書である口語訳の新約聖書に、使徒行伝という名の書があります。しかし、日本語としては「行伝」などという言葉は広辞苑にも収録されていないのです。これも、中国語の訳語をそのまま使ったから、日本語としてなじめない言葉となっています。それで、新改訳聖書では、「使徒のはたらき」、新共同訳では、「使徒言行録」と訳しています。
こうした意味の定かでない書名は旧約聖書にもあり、例えば士師記という名前は、何なのか初めて見る人はまず分からないはずです。
士師というのは、やはり中国語で、中国古代で、裁判において刑を担当した役人のことを言う言葉です。聖書のこの士師記に、訳語が適切なのがなかったから、裁判での刑を担当、管理する役人を意味する語を充てたのですが、これは日本語としては大多数の人にとって意味不明の語だと思われます。
英語では、士師記は、Judge であり、これは裁判官を意味する言葉で、だれでもはっきりそのイメージが伝わってくる書名ですが、士師記に現れるギデオンなどは単なる裁判官とは大きく異なっていて十分にその内容を表す訳語とは言い難いものです。
また、イースターの前の日曜日(受難週の初日)のことを、「しゅろの主日」といいます。
主イエスがエルサレムに入られたとき、人々が「しゅろ」の枝を道に敷き,あるいは手に持って迎えたことを記念する祝日です。(ヨハネ十二・1213など)
しかし、聖書の地方、パレスチナ地方では、シュロという名前の植物はなく、日本名でシュロという植物は、ワジュロ、トウジュロの二つがあるだけです。ワジュロ(和棕櫚)とは、日本の(和)シュロという意味で、トウジュロ(唐棕櫚)とは、中国原産のシュロという意味です。 シュロは、うちわのような形をした植物です。これはわが家の裏山でも野性的に生えています。トウジュロは庭木として植栽されています。
この二つはよくにていますが、葉の先が垂れ下がるのがワジュロです。
パレスチナ、中近東地方にあるのは、シュロとは葉の形も全くことなって羽のような形をしたナツメヤシです。これは、高さ30メートルにも及ぶ高木になり、実も重要な食物とされます。葉の長さも、四~七メートルという大きなものです。
しかし、シュロは、高さは三~七メートル程度、葉の直径は五〇~七〇センチ程度の丸い形で実も食べられません。
このように、これは全く異なる植物なのですが、日本語訳ができた頃はこうした植物の知識も不十分であったために、事実とは違った植物名がそのまま定着して、キリスト教の行事の名前にまでなったのです。
なお、新共同訳では、以前の口語訳ではシュロとなっていたところはほとんどナツメヤシと訳し変えられ、岩波書店から出た新しい聖書もナツメヤシと訳されていますが、新改訳ではシュロのままになっています。


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