ことば
(306)神を知るための二つの道
神を知るための道には二つある。聖書を学ぶことはその一つである。
神のご意志を行うこと、これが第二の道である。
この二つの道は、いずれか一つを欠いては、深く完全に神を知ることはできない。
そして、聖書学者になろうとしてもだれでもがなれるものではない。
しかし、どんな人でも、意を決して勇気をもって愛の行為をなすことはできる。そして実行することによって深く、かつ確実に神を知ることができる。(内村鑑三著
「聖書之研究」一九一〇年五月)
・書物をたくさん読む、聖書のギリシャ語や、ヘブル語、歴史あるいは聖書についてのたくさんの解説書等々、それらをいくら読んでも確信は得られない。確信は、みずから信じて実行したときに体験する神の助けや、励ましなど、神の力に触れた時に与えられる。
それらの助けは聖霊によるのであり、そこから来る確信は聖霊の実とも言える。神が本当にこの世におられるということは、聖書を学び、そこでわかったことを少しでも現実の世において実行してみることによって確信へと導かれる。
(307)知識の渋滞
智識は霊の食物である。それは、実行によって消化さる。そして、消化されない知識は渋滞して毒素と化して魂を害する。
聖書やキリスト教などの研究を十年続けたとしても、何の実行もしないならば、そうした聖書に関する知識はかえって私の霊を殺す危険がある。
今や春の雷が天に響く命の季節である。寒さのために地中にひそんでいた虫が生き返ったようになり、木が芽吹く時である。
私は願う、信じる者たちが、ともに立ち上がって、他者を助けると同時にみずからもそれによって助けられるようになることを。(内村鑑三著 「聖書之研究」一九一〇年五月)
・机に向かって書物だけを読んでいても決して深い神の力、神の愛は分からない。できること、可能なこと、あるいはできないと思われるようなことをも、主を信じて一歩踏み出して初めて神の愛、神の守りを深く実感することができる。
春の季節には、死んだようになっていた虫も新たな力を与えられて暗い土中から出てきて活動をはじめる。人間も書物の世界だけにこもっているのでなく、新たな力を与えられることによって働くことができる。春になると木々の芽も出てくる。これも、枯れたようになりがちな私たちへのメッセージであり、神の力によって新たな心が芽吹く。
(308)いましばらくの間、祈りと心の目覚めをもって、耐え忍ぶがよい。
あなたの家族や親しい人々のためにも。そうすれば、きっとあなたの最良のときが来る。
「主よ、私はあなたの救いを待ち望む」(「眠られぬ夜のために」下 七月二五日の項 ヒルティ著 )
いつまでこの苦しい状態は続くのか、と日々悩み続けることがだれしもその人生の歩みのなかで生じるだろう。そうしたとき、このヒルティの言う、祈りと魂の目覚めを維持することを覚えたい。
祈りによって直面している困難を乗り越えるための霊的な力が与えられ、目覚めた心に主の御声が聞こえてくるまで。