リストボタン見えざるものとの戦い

世界的に流行している、新型インフルエンザが大きな問題となっている。少し以前には、テロの防止ということで、航空機の乗客にはかなり検査を厳しくしてきた。しかし、インフルエンザにおいては、感染したばかりで発熱も咳もなにもない場合には、海外から出入りする何万人というおびただしい乗客をチェックすることはできない。
危険物なら目で見えるし、金属物質も探知器械で調べることはできるが、潜伏期間中ならば、発熱などの症状も出てこないから検査にかかってこないので、自宅に帰ってしまい、そこでまた他の人に感染していくことが考えられる。
交通機関の発達によって、短期間に大流行ということが昔よりはるかに簡単に起こってしまう。
外敵など見えるものなら、それが迫ってきたときだけ警戒すればよいが、目には見えないものとの戦いということになると、いつどこで出会うか予測できないゆえに、いつも注意していなければならないし、どんなに注意しても防ぐことができない場合が生じる。
目に見えない危険なもの、ということでは、放射能がある。原子力発電所が危険であるのは、ひとたび大事故が起こると、チェルノブイリ原発の大事故が想像を絶する大きな害悪を及ぼしたことで分るように、やはり目にはみえない放射性物質が大量に出され、そこから出る放射線によって人体に大きな悪影響を与え続けるからである。
人間は、熱や冷たいもの、暑さや寒さ、あるいは強い光など有害なものは、それらを感じて警戒することができる。とがったものや有害なガスにも感知して害を受けないように避けることもできる。しかし、核分裂から生じる放射線を感知したり防御するしくみを持っていない。人間が創造されたときにはそのような強い放射線の存在しない状況であったから、人間はそのようなしくみを持っていないのである。

目には見えない敵との戦いは、心の世界にもある。それは、悪の霊との戦いである。
そしてそのような戦いはずっと昔から言われていた。
主イエスが、「目を覚ましていなさい。いつその時が来るか誰も分からないからである。」と言われた。また、使徒パウロは、キリスト者の戦いとは、人間や組織、国家を相手にする戦いでなく、目に見えない悪の力との戦いであると明言している。

…私たちの戦いは、目にみえる人間を相手にするものでなく、闇の世界を支配しているもの、悪いは目には見えない悪の力(霊)との戦いである。
(エペソ信徒への手紙六・12より)

悪しきものだけでなく、本当に大切なものは、目には見えない。人間にとって最も大切なもの、それは心であり、魂とか霊とか言われるものであるが、それも目には見えない。またそうしたものを人間に与えた存在(神)もまた目には見えない。
このように考えると、最も危険なものも、最もよいものも共に目には見えないのである。そして、ウィルスは、肉眼やふつうの顕微鏡では見えないが、電子顕微鏡では見える。放射能を持つ物質も、計器によって検出できる。
しかし、悪の霊はいかなる方法をもってしても見ることも、検出することもできない。悪の霊はどのような方法をもってしても、私たちの内に入り込むことができる。
それは教育や科学技術、人生経験、人間の努力などによっても防ぐことはできない。
そして、神の愛や聖霊、真実といったものも、いかなる機器によっても測定はできない。また、そうした科学技術や教育、制度などによっても神の愛や聖霊を受けることもできない。
しかし、私たちは、目には見えない悪の力、霊的なものを、目には見えない神の力(聖なる霊)によって防ぐことができる。そしてその聖なる霊は私たちの絶えざる心の目を覚ましていることにより、私たちの内に生きて働くようになる。
新型インフルエンザは、次々と新しい型のものが生じる。これからの世界は、物質的な方面からも目には見えないウィルスや核兵器、原発といったものから出される放射線というものに脅かされることは続くであろう。
そして、悪の力(悪霊)との戦いもまた、世の終わりまで続く。
しかし、神とキリストを信じるものは、いかなることが生じようとも、最終的には、万能の神の力によって勝利が約束されているのであって、そこに永遠の希望がある。


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